Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

阪神 優勝へのカウントダウン Ⅲ

 先日、阪神ファンの選手に対する目線や、応援の在り方について、そろそろ考える時期に来ているのではないか、そんな話を書いた。まぁ大きなお世話なのだとは思う。百人百様、いろんなファンがいてそれぞれ楽しみ方があるわけだから、いちいち目くじらを立てる必要はない。確かにその通り。がっ、それらをスポーツビジネスとして捉え直した時、案外必要な感覚なのではと思う。極論にはなるがたとえば熱心なファン、つまり生活を投げ売って応援するトラキチを養成する、そういう営業姿勢ではダメなのでは、ってこと。

 そもそもプ口野球は優勝しても勝率は六割。十回やっても四度は負ける。サッ力一のように強いチームは年に二、三度しか負けない、というわけにはいかない。朝から晩まで贔屓チームのことを考えてくれるようなファンの存在は有り難いが、それでは彼らの身体が持たないのではないか。負けることもあるってところを前提に、そこから逆算してチームと向き合うことをファンに求めるのは、果たして傲慢なことだろうか?

 大昔のことを引っぱり出してきて恐縮なのだが、こんな話を聞いたことがある。南海の鶴岡親分が現役の頃だったか、当時の球場はトイレこそあるが、中にはファンや関係者と選手たちも共用というのも珍しくはなかったそうだ。まぁ終戦直後のことなのか、地方球場だったのかもしれない。

 ダブルヘッターの第一試合に南海は惜しくも敗れ、第ニ試合開始までのその幕間、熱狂的な南海ファンがそこで用を足していると、隣にあろうことか鶴岡さん本人がユニフォーム姿でやってきて小便を始めたのだという。

 ファンはためらいながらも、「やい鶴岡、次も負けたら承知しねぇぞ!」そう咬みついた。すると鶴岡は、

・・・・野球ってのはな、勝つこともあれば、負けることもあるのさ。

 そう言うと、前のチャックを締め悠然と去っていったという。いやはやカッコイイ!

 今の球界に鶴岡さんのような出来た人はいない。そこは判る。だから根狂的なファンを諌めるなんて無理、まぁ確かにそうだけど、たとえ負けてもファンをクールダウンさせ納得して帰ってもらえる、そういう野球ってありえないのだろうか・・・・?

 

 できれば球場は家族や力ップルに通ってもらえるハレの場にするのが望ましい。熱狂的なファンが連れ立ってやってくる、そういう場所に限定してしまうのは悪手だろう。そのためにやれることは沢山あると思うのだが。

 試合中継も同様に一工夫が必要。そう思ってスカパーのプ口野球セットの各チャンネルを点検すると、ビジターファン向けに副音声を用意し放送を始めていることに気づいた。以前は実況や解説は消して、スタジアムの音声のみを楽しんでください、というのがデフォであった。予算的に楽してるな、そう思った。だが嫌な解説者や下手糞なアナが担当している場合、阪神寄りの放送でも副音声にしたりミュートにすることも少なくはなかった。つまり贔屓の引き倒しの偏向放送ばかりでは、私のような虎党も実は離れていた。いわんや他球団のファンは、である。

 また球場とは違い、放送を観る半数はビジターファンだということも忘れてはならない。甲子園での阪神の試合しか観ない、そんなトラキチはむしろ少ない。熱心であればあるほど全試合チェックする、それが人情というものだ。彼らにストレスを与えないという意味では、もっと早くに取り組むべきだったと思う。

 これでビジターファンもスムーズに試合に入れるようになった。有料放送の契約者も増えるのではないか。主音声以外にもう一席実況や解説を設ければ、野球関係者の雇用に資することにもなる。良いこと尽くしではないか。こういう工夫は大歓迎だ。

 

 野球に筋書きはない。ハッピーエンドが常に用意されてはいるわけもない。それでも応援する。つまり対価はいらない。応援とは無償のものだ! 以前も書いたが、結局、ファンのそういった自負が、選手を見下ろす目線を生む。それを回避するには、適度にストレスを和らげ、勝敗に関わらずファンに得てもらえる ”何か” を追求しそれを用意する姿勢、それがチームや球団経営に求められているのだと思う。それはファンの選手を見下ろす視線を是正するためにも必要ではないか?

 

 

 トラキチたちの目線以外に、阪神の優勝を阻むものがある。何か? それは甲子園である。正確に言えば甲子園の大きさだ。13,000㎡、比類なきこの広さゆえ、阪神は優勝できないのではと薄々思っている。ではどうすればいい・・・・?

 結論を先に言おう、ラッキーゾーンを復活すべきだ。

 過去五年間、四球を最も選んだチームがセリーグで優勝している、 そう書いた。

tilleternity.hatenablog.jp

 じゃぁホームランはどうか。データーからは優勝とホームラン数の間に連関はない。ホームランをたくさん打ったチームが、結果として優勝しているというわけではないのだ。それでも私は甲子園にはラッキーゾーンを復活すべきだと願う。無論優勝のために。

 

 野球ファンと選手の関係について、最も理想とすべきは恐らくV9時代の巨人であろう。王、長嶋はファンを魅了し、その波は押しては返しやがて大きな波紋となり全国へと広がっていった。極論すれば当時の巨人ファンは皆、王、長嶋のファンであり、この二人を観に球場に通い、日テレにチャンネルを合わせた。

 しかし、である。V9時代の巨人の通算の勝率は六割一分。やはり十回に四回は負けている。年にー度の秋の優勝が、それらのすべてを洗い流したとは思えない。では黄金時代の巨人軍の魅力の源泉とは何だ? 恐らく半年にも及ぶ長いシーズで喫する何十もの敗戦を上回るものを、ONの二人がファンに与え続けたからではないか。

 当時の巨人ファンたちの最大のお目当て、それは二人が繰り広げるホームランであろう。私はV9目しか知らないが、諸先輩方の話を伺う限り間違いない。スラッガーとしてファンの期待に応える、故に王、長嶋は愛され続けた。

 王、長嶋について案外語られていないことがある。それはV9の舞台となった後楽園がいかに狭かったか、である。検証するまでもなく あらゆる証言がそれを裏付けている。あれは1978年秋、シンシナティ・レッズが来日し巨人と対戦した。スタンドへと舞い上がった大飛球、レッズの外野手はオーライとばかりに背走。そしてフェンスにそのままの勢いで激突し昏倒。”何でこんなところにあるんだよ!” 心配して駆け寄るレッズの選手の怒りに満ちた表情が忘れられない。後楽園はそれぐらい狭かった。

 王、長嶋で放ったアーチは合計1,312本。恐らくその六割以上が後楽園のスタンドに飛び込んだであろう。間近で観たファンはその一本一本を鮮明に覚えているに違いない。私も甲子園で直に観た田淵のホームランはすべて諳んじられる。五十を超えた今でもだ。

 ホームラン絶対正義!

 ホームランは野球の華!

 しかし、残念ながら甲子園は言うまでもなくホームランの出ない球場である。甲子園の広さが異質なのは、左中間右中間の膨らみだけではなく、ポール際からありえない曲線を描き急激に打者から遠ざかっていくフェンスのラインにこそある。ベーブルースをしてこの球場は広すぎる、そう言わしめた、それがわがマンモス甲子園なのだ。さらには右から左に吹く強烈な浜風・・・・。

 佐藤輝はまさに今、甲子園、そして浜風と向き合い戦う闘志が萎え始めたように映る。このままでいいのか? 恐らくあの大谷や村上であっても、甲子園と浜風のコンボには痛み分けが精々。いわんや並みの打者ならなおのこと。アベレージヒッターであっても、完璧に捉えたと思った当たりがオーバーフェンスしなければ凹むものだ。ホームランはファンの記憶に直結するだけではなく、打者をも育てることを忘れてはならない。 

 ラッキーゾーンが必要だ!

 今ではメジャーですらそれを誂えた球場がいくつもある。まして国内の他球場もテラスやラグーンやウイングなどフェンスを前に持ってくる球場が増えた。北の新球場もフィールドは小さくまとめられた。機は熟したと言えないか。ネックは高野連だろうが、ラッキーゾーンに観客席を設けることで収容人数を増やせば、コロナによって財政難に陥り寺銭が必要になっている今なら押し切れる。低反発金属バットの導入も後押しするだろう。

 ラッキーゾーンが必要だ!

 詰まったり先っぽだったりの当たりが浜風に乗ってフェンスを越える。そうとも知らずに途中まで全力疾走、塁審にホームランを知らされ信じられないといった表情を浮かべてみせる。打者も人の子、そんな経験がたまにあるから前向きに日々の練習に取り組めるのだ。寝る前の素振りの回数も増えるってもんだ。あのONを育てたのも、他でもない箱庭のような後楽園球場なのだから。

 ラッキーゾーンが必要だ!

 外野スタンドに足を運べば判るが、今でもホームランを観たいという気持ちが素直に湧く。幼いころの記憶が甦る。それはプロの阪神ファンの私であっても同様だ。特にスラッガーが打席に入り、ホームランを期待し、その願いが叶った時の喜び。球場の大歓声が、ダイヤモンドを一周することを許されるただ一人の男を囲む。ファンと選手の理想的な関係とはこの景色にある、そう断言する!

 ラッキーゾーンを復活させよ!

 そうすればマンモス甲子園であっても、ホームランは間違いなく出るようになるだろう。反面、手痛い一発を喰らうことにもなる。トラキチたちの胃に手を当てる回数が多くなり、チーム防御率も悪くなるに違いない。

 しかし、たとえわが阪神が目の前で無様に敗れようとも、貴方に手渡せるものはきっと増える。それが何であるのかは、改めて言うまでもないだろう.。