Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

岡田阪神 快進撃の深層

 阪神が好調である。

 雑誌「Number」 も早速特集を組んだようだ。

number.bunshun.jp

 ここが騒ぐとロクなことがないわけであるが、ぶっちぎりで首位を走る以上世間が放っておきはしない、そういうことなのだろう。

 こんな流れにある時は、なるべく茶々を入れないようにしている。なので更新を控えていたのである、ええ・・・・。まあ半分は嘘だが、5月を全休させていただいたその背景のーつではある。

 思い起こせば四半世紀も前、インターネット草創期に野球系のHPをやっていた。 あの憎き野村めが、わが阪神を滅茶苦茶にするので更新にも熱が入ったものだが、 挙句サチヨが逮捕されるに及び、監督が星野に変わったのを機に畳むことにした。 これで阪神は良くなる、そう確信したからだ。

 漫才もそうであるが、ボケがあるからツッコミを入れるのである。阪神がボケなければ、こちらもツッコミようがない。つまり阪神が好調であればあるほど更新は滞る、そう思ってください。阪神が劇的な試合展開で勝った翌日は、わざわざ極北の当ブログなどに立ち寄るのではなく、 どうかスポーツ新聞を買って読んでやってくださいな。そのうちなくなりはしないか心配なのですよね・・・・。

 というわけで交流戦に入り久々の連敗、ここぞとばかりに更新させていただきました。まぁ、今の岡田阪神に文句の付けようはないです。ただし独走は良くない。

 ”八方好し”、という言葉がある。できれば巨人、そして観客動員が絶好調の横浜と胃も痛むようなデットヒート、というのが理想だ。結果として巨人や横浜に優勝を奪われても本望。球界が盛り上がればこそ。その核に阪神がいれば、何の文句もない。私がヤクルトとオリックスを嫌うのは、彼らが興行としての野球における営業努力を中途半端にしかしないその由である。この国の野球を俯瞰する立場にはないのだが、NPBの長い歴史を振り返ってみても、12球団一の不人気球団の座を争う日本シリーズというのは初めてではないか。しかも二年も続けて。ほんまキツかったわ、トホ。

 

 普段の私は特にトラキチを隠してはいない。その噂を聞きつけ多くの同類たちが私に戦いを挑み、そして敗れ去っていった。大阪に住んでいる以上、それは定めである。

 真の阪神ファン、タイガース評論家、考察者、伝道師、プリーチャーなどなど、私に付けられた字名は多い。しかしそのどれもが私にそぐうものではないとして、頑に拒否し続けている。それでも冠を被せられそうになることがある。面倒臭いので、プロの阪神ファン、そう名乗るようにしている。冥府白道プロ、これからはそう呼んでください。

 春先からの阪神の快進撃を受けて、その理由をプロである私に訊ねてくる者が後を絶たない。私に聞けば間違いはない、そういうことである。

 「どうして阪神は強くなったのですか?」

 どストレートにも、そう尋ねられることもある。

 ひとしきり考えたふりをして、

 「・・・・まあ、いろいろあるんだよね、フッ」

 つまるところ、話は少し長くなるよ、そうサインを出しているのである。

 そしておもむろに、「・・・・まずはね、っておい!

 切り出そうとしたところ、’’そっか、いろいろあるんだ’’、そう呟きながら席に戻っていく背中を見送るのが常である。最近の若者は殊更タイパを重視しているようだ。仕方あるまい。

 特に選手の顔ぶれに大きな変化がない以上、阪神が強くなった理由を岡田新監督に求めることに正しさはあるだろう。しかし断言する、岡田が有能なわけではない。糸原が使われなくなったことも大いにあるが、今日はやめにしておく。

 ではどこにその根拠を求めよう。もし、万がーにも今年阪神が強くなって困っている人がいれば、その人を探せば良いのではないか。そう、この二人のことである。

 矢野はああいう奴なので、信仰も含めて仕方ない気はします。そもそも阪神球団が三顧の礼で迎えたわけですから、責任は球団にある。阪神ファンの多くは、自分を球団社長とまではいかないまでも、編成部長ぐらいのつもりでいるようなのばかり。つまり球団の責任となれば、それは即ちファンの責任。だから諦めるしか手はない。

 それとまぁ任期中のドラフト、くじ運もほぼ完璧で、仕事はしたとも思う、間違いなく無駄な四年間ではあったが・・・・。

 問題なのは井上の方だろう。外様で、阪神に対する愛情が伝わってくる気配もなく、自分のキャリアのためだけにわが阪神のユニフォームに袖を通しているように映った。特に打撃コーチとしての二年間が酷かった。口を開けば初球から振れ、見逃し三振はするな、そればっかり。井上道場なるものを開いていたようだが成果もほぼなし。

 金本監督時代、確か2017年だったと思うのだが、当時25歳以下の選手の通算合計ホームラン数を調べてみたことがある。なんと山田のいるヤクルトを抑えて、甲子園を本拠地にする阪神がトップであった。原口、中谷、高山、江越、大山、北條などが稼いだのである。

 ところが今、生き残っているのは実質大山だけ。とりわけ高山、北條、中谷の三人は井上が打撃コーチに就いてからボロボロになった。別にこの三選手が阪神を背負って立つはずだった、などと捲し立てるつもりはない。しかし、もう少しマシな打者にはなると思っていた。だがその最後のチャンスを井上で棒に振った。

 そもそもフィーリング派の高山や、追い込まれてから勝負の北條、狙い球を絞る中谷に、初球振れの縛りはキツかった。恐らく江越や陽川とて似たようなものだったであろう。百歩譲るとして、大山を育てた功績を力ウントしてさし上げても、果たして彼に打撃コーチとしての才や資格があったのか、疑問を呈さざるをえない。

 初球から振るというのは、すべての球種を待つ、もしくはそこから狙い球を絞ることを言い、難易度は高い。初球から振りにいけるマインド自体は必要であるが、それで確実に結果が出るのは高校野球の地方予選まで。ヨシノブばりの才能を持っているのならまだしも、凡人に毛の生えた程度の選手にそれを課したのでは、二、三度結果が立て続けに出たとしても、均せばその再現性は低くなる。まして見送り三振はするなとくれば間違いなく四球は減るわけで、つまり出塁率は確実に下がる

 過去五年間、セリーグの優勝チームはすべて最も四球を稼いだチームであり、そのうち四度は出塁率もトップであった。井上の課した縛りは、そのセオリーに背くものでもある。打撃コーチであっても、究極の目標はリーグ優勝のはず。しかもHCまでやっているというのにだ。四球や出塁率の意味を理解していなかったとしか思えない。仮に初球から打って出ることと、それによって出塁率が下がる、四球が減ることの間に因果関係がないとするのなら、そこに対する客観的、かつ論理的な答えが必要。

 結局、井上一樹阪神において、打者を育てることも、チームを勝たせることもできなかった。つまり先の野村同様、阪神にとって迷惑な人でしかなかったのだ。

 井上を招聘したのが矢野元監督である以上、残念ではあるが彼もその責任を免れないことになるのであろう。

 

 今年、阪神打線が例年になく繋がる、そう感じる方が多いのではないか? しかしチーム打率自体は現在2割4分台、去年、一昨年とさして変わらない。しかし出塁率は去年から二分、一昨年から一分五厘も上がっている。つまりは要所の四球、それが打線を繋いでいる。

 その証拠に現在チームの四球の数は二番手のヤクルトに20の差、当面の敵である横浜の三割増しでダントツのトップ。このまま阪神打線が四球を稼ぎ続ければ、秋にはAREが訪れるかもしれない。

 因みにであるが、今シーズンを通しての三振数の着地点は1,140前後。去年より100以上喫することになる。しかしそこには際どい球を選んでの見送り三振が含まれていることを申し添えておきたい。罵声を浴びせたくなるシーンであろうことは理解するが、ご容赦願いたいものである。

 冒頭で雑誌「Number」 が阪神を特集したと書いた。その中に興味深い記事がある。それは ”安藤統男が築いていた1985年日本一の礎” である。”育成と忍耐の3年間” のサブタイトルも添えてある。

 私は38年前の日本一には安藤さんの功績も大いにあると思っている。

 矢野元監督が、そしてあの四年間が、数年後このような形で再評価されることがあるのだろうか ・・・・? コーチ選びさえ間違っていなければ、そう素直に感じる今日この頃である。