というわけで、センバツは明日決勝です。
健大高崎と報徳というマッチアップ。悪くはないのですが、今回こそは優勝とぶち上げた光星学院が二回戦で、心密かにNO.1投手と見込んだ中崎擁する京都国際は初戦で、それぞれ敗退するという、その誹りは免れません。今一度、今大会をじっくり検証し修行を重ね、夏に備えたいものです。
むすぶ手に 涼しき影を 慕ふかな 清水に宿る 真夏の夜の月
さて今大会を一言で表すなら、”低反発金属バットの大会” 。そう後世に渡って語り継がれるのだと思います。去年の暮れごろまでは芯にさえ当たれば普通に飛ぶ、などと言われていましたが、蓋を開けるとここまでホームランはたったの三本、うち一本はランニングホームランですからね。第46回大会(昭和49年)で一本というのがあるのですが、そこまで遡らねばなりません。もちろん当時は木製バット。しかもその最後となった大会です。
当たり前と言われりゃそれまでですが、打者、もしくは打撃成績に与えるバットの影響の大きさを、われわれは改めて思い知ることとなりました。新基準バットは撓らないとか、芯が狭いなどとも言われていますが、細くなった点が一番大きかったのではないかと。ミートが難しくなり、ボールの上っ面や下っ面に当たった打球が増えてます。パワーや打撃技術も、それが飛びぬけてない限りホームランは打てない。打者の格が問われ、それが示される大会でもあった。
豊川のニキータ、神村の正林、大阪桐蔭の境は上のレベルでもやれるというお墨付きを聖地甲子園から頂いた、と言えるのではないでしょうか。
一方の投手は三年生以上に二年生に逸材が集まったような。残念ながら私が期待した洗平や中崎は、イマイチこの冬の仕込みが甘かったのか、想定していた成長曲線を描いてはくれませんでした。彼らが入学した三年前までは、大会はコロナ禍の下で行われていましたから、そこは詮無い話か。
逆に新二年生たちをもってようやく”脱コロナ世代”、そう言えるのかもしれませんね。
話を再びバットに戻すのですが、各メーカーは今後果たしてどのような営業戦略を描こうとするのでしょう? そこにも興味が尽きません。
なんでも今大会では、どうもゼットのバットが一番飛んだ、という噂も漏れ聞こえてきています。まぁそこはまだ話半分ですが、そろそろ各社横並びというわけにはいきませんから、どこを売りにして球児や関係者たちにそれを訴求するのかが問われてくる。たとば材質で差をつけようとするのか、それともバランスを重視するのか、いっそのこと価格なのか、などなど。オタやヘンタイさんたちは、そこをしっかり見届けねばなりませんね。
最後に去年の今頃、韓国球界の低迷と同じ轍をこの国の高校野球が踏まないようにとこんな記事を書きました。
簡単に言えば、韓国の高校球界は金属バットの使用をやめて木製に統一することで、ボールが飛ばなくなり強い打球も打てなくなって投高打低が定着し、すると次に投手が手を抜き始めてレベルを落とし、そこに引っ張られて打者のレベルが更に落ちた。そんなイメージ。
翻って低反発金属バットのコンセプトは限りなく木製に近い金属バットなので、このセンバツが指し示した立ち位置とは、韓国高校球界に投高打低が定着したあたり、と言えないか。つまりここから本格的に投打ともにレベルが落ちていく転換期なのだと。
われわれオタクにとってそれは死活問題である。となると現場に望むのは、この国の指導者たちが、打者を変に小さくまとめようとしないで、ということになるのであろう。
そう思って今大会を振り返ると、実に興味深い場面があった。それは大会九日目、準々決勝の第三試合 青森山田-中央学院 のことである。
青森山田は冒頭で紹介した中崎のいる京都国際を初戦で下し、続いて優勝候補の広陵をも劇的なサヨナラで勝利し波に乗っていた。一方の中央学院は二回戦を冷や冷やで勝ち上がっており勢いの差は明確であった。
私にとって青森山田は四強予想の京都国際に勝ちやがった迷惑なチーム、とはいうものの、今大会屈指の好ゲームを平然と演じてみせた粘り強い彼らに肩入れしていた。
しかし試合が始まってみると残念ながらガス欠感は否めず、序盤から苦戦の展開。そしてその場面は四回裏に訪れた。
二死満塁で勝負に出た青森山田兜碕監督は代打に二年生の佐藤洸を送る。
私は打席の佐藤を見て、驚きを隠せなかった・・・・。
「さ、佐藤君、バット・・・・、長くねぇか・・・・・?」
そんな電波が青森方面から私の耳元にまで届いたような気がしたのだ、確かに。
実際のところ二年生で身体もまだ出来上がってない彼が、グリップエンドに小指を掛けて構える姿に違和感がない、わけではなかった。だって、長く持ったところで低反発バットだしさ。
どうやらベンチからも盛んに声が掛かっているようだ。しかして佐藤君がそのストロングスタイルの構えを改める気配は微塵もない。つまり指示が飛んでいるのではなく、気合を入れろ、とか、入れ直せ、とか、そんな𠮟咤のようであった。
結果ライトフライでチャンスは潰えた。
八回裏、青森山田は再び中央学院に襲い掛かる。二死二三塁。打席には佐藤君。名誉挽回のチャンスが巡って来たのだ。当然のように私の注意はグリップに注がれた、
「あぁ、やっぱりそのままなのね・・・・・。」
青森方面から再び(以下略)。
結局、またもやライトフライでチャンスを物にすることは叶わなかった。
試合後、敗れた青森山田の選手たち、肩を落とし涙を流す選手も多い、そんな彼らを眺めながら、ふと思った。
あれでええんやで・・・・。
あの試合、私は青森山田に勝って欲しい、試合前からそう願っていた。難攻不落と思われた高尾を攻略し、優勝候補の広陵に競り勝った彼らこそ四強に相応しい、心底そう思ったから。
それ故、佐藤君にはチャンスで長打よりも渋いヒットを望んだのであろう。しかしてそれが、目の前の勝利だけを追わんとするその心根こそが、この国の高校野球、いや遍く日本球界のレベルを貶めるものなのではないのか・・・・?
きっとこの夏までに、われわれは幾たびもそういった場面に出くわすのであろう。己の胆力が試され、その度にこう呟こう、”小さくまとまらずフルスイング!” きっとそれはどんな場面であろうとも優先されるべき鉄則。つまりはこの国の野球レベルを押し上げ続けるための専権事項なのだと、いやマジな話。
そう思ってみると、あの時、ベンチから佐藤君を励ます兜崎監督のメガホンの持ち方までが計算され尽くした用意周到のものであるかのようで・・・・。
今こそ、逆境に至ってこそフルスイングなのである。いやはや日本の野球の未来は明るい!
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