Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

2022 阪神ドラフト 振り返りⅡ

 なんかウクライナ戦争、終わりが見えて来ませんね。ウクライナの停戦条件はクリミア半島込みで元に戻してもらう、それが大前提になりますから、そうなると長引くでしょうな。まぁ、当たり前のことを言ってるわけで、世間も大方そう見ているのでゼレンスキーの妥協はありえなさそうです。

 とはいうものの、アメリカもこのまま白紙の小切手をウクライナに切り続けるのはとうてい無理。どこで手を打てそうか、かなり動いているようです。

www.mag2.com

 上の記事ではロシアがアメリカに対して ”中国への牽制を行う” ことを停戦の条件に盛って提案したとも取れる話が出ています。正直話半分ですが、実際こんな記事もある。

www.asahi.com

 CIAとSVRのトップがトルコで会ったのは間違いないわけで、バーンズ氏はその足でウクライナに向かってもいます。

 恐らくロシアは同時に、中国に対して上の条件をちらつかせて支援を引き出そうともするでしょうから、もう何が起こってもおかしくはありません。戦争である以上、泥沼という表現なんて当たり前なのですが、世界は再び地獄を見るのかもしれません。

 次にずっと書きたかったラグビー。来年に控えたW杯の前哨戦、オータム・ネーションズは今が盛りなのですが、日本代表、あきませんな・・・・。

www3.nhk.or.jp

 試合前は威勢良かったですがね。「負ける気がしない!」みたいな事平気で言ってる選手もいましたが・・・・。

 ただいま11月20日午後9時半。数分後に始まるフランス戦でもきっとボコられるのでしょうね。今の代表に足りないもの、それは新戦力ではないか。ディアンズだけではなく、もう一人か二人は欲しいところです。

 それでは大きく話を変えて、タイトルの通り阪神のドラフトを振り返ります。

 <本日の新戦力>

 井坪の動画が語るもの

 井坪については恐らくこの動画が出回っているのでご覧になられた方も多いと思われます。

www.youtube.com

 門別の奪三振集動画もそうですが、これも良いとこ尽くしですので、そのまま受け止めてしまうと昔のうちが新外国人を探す際のやり口と同じ目に遭います。なので、あくまで参考程度にとどめておくのが無難かもしれませんね。

 とはいうものの、やはり井坪には魅力を感じてしまいます。西武時代の中島の打撃フォームを完コピできて、さらに自分仕様に力スタマイズもされている。そして関東大会を見る限りですが結果も出て、しかも爆発力もある。高校生らしからぬ打撃フォームに関しては異論は出ると思われますが、個人的にこの三位指名は大満足。内藤、西村をスルーしたことで凹んだ阪神ドラフトオタどもも、きっと春には笑顔を取り戻すのではないでしょうか。

 もちろんご覧のようにクローズ気味に踏み込むため、プロのインコース攻めには苦労するのでしょう。しかしあの高速スイングと、それを支える駒のような軸回転、しかも重心は後ろにしっかりと残っているので、経験を積めばこのスタイルでも十分やれると思う。できれば手直しを入れずに育ててほしい、そう願いたくなる選手です。

 だというのに、私としたことが彼についてはドラフト前はまったくのノーマーク。なので懺悔の意味をも込めて関東の高校野球に精通した知り合いにいろいろと確認しました。

 井坪はきっとこんな選手

 会話の内容を反芻するに、井坪に関する主な特徴は以下の通り。

① 才能はある。上手く育てば素材としては世代トップ

② 守備は完璧、脚も速い 

③ スイングスピード、打球速度は恐らく浅野以上

④ 選球眼、コンタクト率が異様に高い

⑤ ただし、好投手を打てていない

⑥ 肝心な試合やここ一番に弱い

⑦ 一打席目に結果が出ると固め打ち。半面ダメなときはさっぱり

⑧ 試合中であっても、気に入らないことがあれば集中力が削がれることがある

⑨ マイペース型

高校野球が合わなかった選手かもしれない

 以上の十点。

 ①~③は恐らく上の動画を観ればご理解いただけるかと。

 ④について、春以降の公式戦で一度しか三振していない、という話がある。まさかとも思ったが、まんざら嘘ではないらしい。

 そのあたりのロジックについて推測すると、井坪は右投手に対しても、ベース寄りのフットポジションから更に果敢に踏み込むため、バットが届かない、そう咄嗟に判断したコースをボールと割り切ることができれば手を出す必要がない。結果としてアウトコースから落ちたり逃げるボールを追っかけないため、自然選球眼は磨かれていく。

 因みにホームから離れて立つ打者ほど、それができなくなる。また選球眼は投手から180度に限りなく近い位置で、つまりボールを受ける捕手や、その後ろの主審とほぼ同じ角度で見ることができればそこから得る情報量が格段に上がるため良くなる。クローズ気味のスタンスからさらに踏み込む井坪の視座は、ほぼベース盤上にあるといえるので、ボールを見極めるには理想的だろう。

 ただ、井坪のその角度からだと恐らく主に左目でボールを見極めることになる。身体を開いて投手と正対する方が両目でボールを追える優位性はあるかもしれない。しかしホームから離れてもその優位が保たれるのか、そこは申し訳ないがわからない。また井坪の利き目がどちらかなのかという点もあるので、これ以上は私の知識では何とも言えません。ただ、井坪がめったに三振しないというのは、以上の理屈である程度は説明がつくのではないか。

 ⑤についてであるが、浅野や松尾であっても好投手が絶好調で出張ればそう打てるものではない。誰から打った打てなかったではなく、タイミングの取り方や基本的なスイングに変な癖や無駄な動作が無ければ、評価に支障はないように感じる。

 ⑥は確かにその傾向がある。秋もこの夏も、甲子園を逃したゲームでは冴えなかった。他に関東一にもう一人強打者がいれば変わったかもしれない。マークが厳しかったとも思う。

 ⑦の傾向を持つ打者は多い。気分屋という整理でいいだろう。

 ⑧は井坪が二年の春から夏にかけて公式戦に出なかったという謎の空白期間がある。恐らくはいろいろとあったのだろう。米沢監督の言葉にあった、”取組が甘い!”につきる。たぶんメンタルはそう強くない、もしくは打ちたい気持ちが強くなればなるほど自分を見失うタイプか。そこが⑥の要因でもあるかもしれない。

 ⑨は練習試合に井坪が木製バットを持ち出し打席に立ったことがあったらしく、そこからもその一端が伺える。別に練習だから良いだろうではなくて、レギュラーやベンチ入りボーダーの選手にとっては命懸けの試合。そんなことするのなら代わりに出場させてくれ、そう直訴する選手が出てもおかしくない・・・・。

 まぁ、どんな時もマイペースというのが悪いわけではないが、チームを預かる首脳陣としては悩ましいところだったろうと想像する。

 ⑩について、逆にプ口向き、そう捉えなおせないところがつらい。高校野球について回る ”犠牲” や ”献身” とは真反対に位置する選手かもしれない。

 夏にベスト8で敗れた時も、一人だけ涙を見せることもなく淡々としていたという。それはドラフト指名時にも盛り上がる回りを背に、同様な反応であったそうだ。ちょっとしたトラブルメー力ーの臭いを感じてしまう。阪神は小さいながらも新たな火種を抱え込むことになったかもしれないが、まだ高校三年生、しかも早生まれ、可愛いもんだと思いたい。

 西純の二年秋のマウンド上の悪態ぶりも酷いもんだった、いやマジで。絶対に指名してほしくはないわ、そう思いましたもん。しかし今はその片鱗はない。高校生はいろんな面で急激に成長するのです。

 井坪は日本の高校生というよりも、 ドミニカンの若者を試験的に預かるようになった、そう思えばなんとでもなるだろう。

2022 阪神ドラフト 振り返りⅠ 一部訂正

 すでに旬を逸した感はあるのですが、アストロズのWS優勝で今年のベースボール界は幕を閉じました。

www.sanspo.com

 ご存じのようにアストロズは過去にサイン泥棒をやっておりました。がっ、潔くそれを認め、そこから三年で正真正銘の世界一に駆け上がったことになります。

 当時からの主力であったアルトゥーべたちの謝罪シーンは記憶に新しいところ。また本拠地以外では今も激しいブーイングを浴びていることを鑑みれば、禊はいまだ道半ばなのかもしれません。

 しかし、今回の優勝には一転の曇りもない、そう思っています。それもこれもサイン盗みを認めたからこそ、勝利の女神が彼らに微笑んだのではないでしょうか。

 翻ってわが阪神、である・・・・。

 やっておいて、怪しまれて、しかもバレてさえも、今年の初めの12球団の会議の場で、

「やってません!」

 とマイクパフォーマンスに出る始末。

 ”ああ、こいつは絶対に認めんな”、そう匂わせておいてキャンプイン前日に「監督を辞めます!」、といきなり言い出し、今度はさすがに ”盗んでたから責任を取るんだ” と誰もが思ったところに、「辞めるのは今シーズン終わってからね ♪」と付け加えるに及ぶという、なんとも常識を疑いたくなる展開。

 まぁ、わがタイガースらしいといえばそれまでですが、曇り切った私の目を通じて解説すると、サイン泥棒はなかったことにしたいが、しらを切ったところで旗色が悪いのは事実。だいたい、成績自体に問題のなかったサンズをクビにするとか、去年の中盤以降近本の盗塁が激減するなど、あちこちに綻びもある。ただ今辞めるとそれを認めたことになる。だもんで、時間差を作って球団を去ることにするわ、サインを盗む選手どもとも距離を置きたいしな、といったあたりか。

 なんともふざけた話やで。いろいろと回りくどいことしてくれたけど、”それって全部、おまえの都合だけじゃね?” そう感じたファンも多かったと思いますよ、ええ。

 そして蓋を開けたら開幕から大型連敗でしっかりバチが当たったわけで。がっ、それでも辞めんかったな。おまえにバチがあたるのは当たり前だが、ファンや選手を巻き添えにするなよな!

 まぁもうええわ、何が言いたいかといえば、ちゃんと一回どっかで謝った方がええんとちゃうか、ってこと。

 それをしないとますます勝利の女神は微笑まない。なので ”アレ” が遠のいていくような気がするんですがね。

 

 でっ、メジャーに話を戻しますと、今回率いたアストロズが世界一となったことで、ベイ力一さんはアフリ力系のアメリ力人で、最もMLBで成功した監督になったと思う。

 すでに2,000勝もクリアーしていました。

nordot.app

 がっ、嘆くことしかり、

www.afpbb.com

 確か先月、この辺りの事情について書きました。五年前にはMLBにおけるアフリ力系アメリ力人の割合が7. 7%でしかなくなったと。それが今年は7. 2%まで落ちたそうです。しかもWSを争った両軍のスタメンからも消えてしまったではないか、そうベイ力一さんは嘆いているのです、ええ。

 その理由はといえばいろいろあるのですが、まずもって、大学側が高校生アスリートたちの鼻先にぶら下げるところの奨学金。アメフト、バスケ、この二つの球技に対するものが他の種目とは桁違い。飛び抜けている。

 背景には力レッジフットボールとバスケが、大学という教育機関における最大の利権になっているから。稼ぎ頭のおいしいネタというわけ。だからどこもかしこも、それはそれは立派なスタジアムなりアリーナを建てています。

 一方、残念ながら力レッジベースボールでは商売にならん。こう書くと、WSのこの四十年間の視聴率の推移を示すグラフあたりを持ち出して、MLB人気の低迷が大学野球にも影響を与えている、などと言い出す輩が出てくるのでしょうが、残念ながらそうではない。

 確か今から百年ぐらい前の大正の頃、早稲田か慶應の野球部がアメリ力に遠征し、あちらの大学と試合を重ねたり、試合を観戦したりしたそうですが、その回想記の中で、あまりにアメリ力における大学野球の人気が無いので驚いた、という一節があった。こっちはベースボールを輸入し、取り込んで自分たちのものにして、早慶戦を当時の日本最大のスポーツイベントにまで押し上げた。だというのに、本場のアメリ力の大学野球がこれでは情けない、というわけ。

 でっ、この話の肝はその回想の中に、早慶戦に匹敵する大学のイベントというのは、力レッジフットボールだろうか、というくだりがあったところか。一般の学生はもちろん、チアガールにブラバンも押しかけ、実に華やかで熱気にも溢れていた、悔しい! そんな感じで書かれていたかな、確か。

 蒋介石の嫁なんかも、留学先でアメフトのチアガールをやってますわ。あの台湾で長生きした人ね。つまり百年以上も前から、すでにアメフトと野球の全米大学スポーツにおける序列は決まっていたというわけ。

 じゃぁアメリ力のベースボール人気はどうだったかといえば、当時からプ口一本。ヤンキースが良い感じでヒールポジの金満チームであり続けてくれたので、名門各チーム、たとえばレッドソックスがそのカウンターとして存在感を増し、そしてなんといってもドジャースジャイアンツが、ヤンキース一辺倒に嫌気がさして西海岸へと移り、その在野精神からベースボール人気が全米中に伝播することに貢献、まったくその功績は大きい。

 でも結局のところ、MLBの人気は古くからヤンキースとの関係性で語られる、そこに尽きるのです(まるで日本球界の巨人のようにね)。

 なので、たとえMLBの人気がNFLに再び迫ろうとも、力レッジベースボールが盛り上がることはありえません。恐らく奨学金も据え置かれたままでしょう。残念ながらアフリ力系アメリ力人がそこに戻ってくることはないのです、ええ。

 

 それと野球というのは、最適解のあるスポーツ、というのもある。

 フィジカルだけではダメ。確か先月、SBが1位指名したイヒネのところあたりで、

”ベースボールには修行に相当するプロセスがある”、そう書いたと思う。

tilleternity.hatenablog.jp

 それは何かといえば、たとえばトレバー・バウアーみたいないい加減に見える輩でも、ほとんどオフ返上で動作解析をして、自分の投球を最大限に引き出すための答え探しに没頭していた、そういうこと。

 逆にアフリ力系のアメリ力人が、オフの間もスポーツラインに通い詰める、そんな姿は想像できない気がするのです。やらなくてもある程度以上にできちゃうからね。

 つまり野球というのは弛まぬ鍛錬によってのみ、頂点にたどり着くことが許される競技なのです。あえてパラフレーズするならば、身体能力を鍛錬が凌駕するスポーツなのかもしれませんね。

 <本日の弛まぬ鍛錬>

 2位指名 門別 啓人(東海大札幌

 ではでは、ここからが先月の阪神のドラフトのおさらい、森下以外の巻です。

 まず二位の門別であるが、私の評価はC2・・・・。正直、三位の後半で名前が出るかな、ってぐらいの評価でした。なので2位というのはどうだろうか、もしかすると高掴みかもと思ったりしています、スイマセン。

 理由はいろいろあるのですが、画像はほぼこれしか観てないので大したことは言えません。


www.youtube.com

 でっ、この映像からまず判るのは、南北海道の主審のレベルが低いということ。この方だけの問題かもしれないと思っていましたが、知り合いに聞くとはっきり ”酷い!” と切り捨てていました。

 御覧のようにストライクゾーンはガバガバ、内も外も高低も。平気で糞ボールをストライクコールしてます。門別のコントロールについて言えば、悪いわけではなくむしろまとまってはいる。だけどこの夏、右打者が門別のクロスファイアーにまったく手が出なかった、という数多の証言については疑義を呈したい。

 あそこまでストライクゾーンがインコース内側に広いと、手など出せないということ。それとストレートもベース盤上では来てないですね。これも動画を見る限りですが、球の伸びを感じることができない。一応Max150 らしいのですが、いつ頃出たのか? 少なくとも上の動画からは140㌔そこそこの球威にしか見えないのです。

 それと、苫小牧中央の斎藤ともども評価できなかった裏には、今年の北海道勢は春夏甲子園で0勝だから、というのがある。札幌大谷大阪桐蔭と善戦したのが今年の北海道高校野球界のハイライト。それ以上のものはない。例年よりちょい低いぐらいか。なのでこの二人の評価も厳しくなるのです。

 技術的に言えば、上の動画の通り常にセットから軸脚に体重が乗らないまま、浅いテークバックを経て腕を上手く畳んで投げ込む。どちらかといえば立ち投げに分類される。もう少し踏み込めば、自然重心は低くくなるとは思うが、それは素人の浅知恵か。

 変化球もカーブスライダーともに普通。ただチェンジアップは良い感じで抜けているので、指先の感覚は優れていると思います。

 同じ北の左腕ということで、去年の北海の木村と恐らく比較されてきたことでしょう。正直いえば、木村の方が上かな。その木村ですら私の評価ですが、だいたい中位から下位相当。だから、素直に白状するとこの指名には驚きました。最近のうちのスカウト良いのにと・・・・。

 齋藤響を指名して欲しかったかな、というのもある。左腕なら阿南光の森山とそんなに変わらないようにすら感じています。ストレートの質はあっちが上かも。

 ただ、 ドラフト系の雑誌ではほとんどが門別を上としていたように思う。そこに少し明るさを感じている。もう一つの救いは門別自ら、夏は調子が悪かったと述懐している点。チームも継投で甲子園を目指していたそうですから、東海大札幌の首脳陣も、不動の大エースを擁しながらもその不調については織り込んでいたのでしょう。

 最後になりますが、まずは焦らず、関西の水に慣れること。生活面から徐々に我がタイガースに馴染んでくださいね。二軍首脳陣も門別に対しては、自分たちは大学の指導者だ、ぐらいの感覚で時間をかけて育てる気長さを持って接して欲しい。

 それは本人も一緒で、怪我をしたり結果が出なくても、決して焦らない覚悟で入団してね!2位はそう簡単にクビにはしませんから、うちの場合は。

 

 3位指名 井坪 陽生(関東第一)

 三位の井坪にも驚かされましたわ。今年の東京・関東勢も北海道と同様にレベルが低かった。浦和学院と山梨学院が飛び抜けていて、他はボロボ口と見切ってました。背景はもちろんコロナ禍。その影響をもろに受けた。仙台育英の須江さんの言葉を借りるまでもなく、今年の三年は入学直後から通学できない期間が続き、G/Wが明けて、学校に大手を振って通えるようになってさえも、部活は夏前まではほとんど活動できませんでした。当然、遊びたい盛りの高校生。東京やその周辺にあるであろう誘惑は、質も量も大阪や名古屋とは比較になりません。暇ができればそっちに流れるのが普通。

 青春を謳歌できたとは思うが、しかしてその代償は少なくなかった。夏の甲子園ではベスト8に一校も残れず。だから選手についても大してチェックする必要を感じていなかった。先の浦和学院と山梨学院の数人については念入りに確認しましたが、他は利根商の内田ぐらいだったか、真剣に観たのは。

 ただ井坪の評判は聞いていましたよ、ええ。ある大学関係者が、井坪がプ口志望届を出したことで酷く落胆した、という話。へぇーそうなんだ、と思った。ただその頃の情報では、身長は175ないぐらいと聞いていたし、強打のセンターと言われてもそのサイズではな、って感じでスルー。実際去年、夏の決勝でまったく秋山を打てなかったし・・・・ 井坪は二年の夏の決勝は出場してませんでした。干されていたようです。勘違いしてました!

 だから指名後、この動画を見て驚いた。


www.youtube.com

 断言する、まず来年の春、鳴尾浜でセンターを守る井坪が球団の中で一番外野守備が上手い、ということになると思う。江越や中谷がいてもこっちが上。守備範囲は近本でしょうが、肩が違う。鬼肩ですわ。

 打撃については次回以降でじっくりと書きます。ということで今日は寝ます。おやすみなさい。

森下ウオッチャー回想記 Ⅳ

 松山遠征初日、松山城に大観覧車くるりん、子規堂、石手寺などを散策し〆は道後温泉で旅の疲れを癒すという完ぺきなプランニングで妻と娘を接待した私は、翌日の旅程について、
「よーし、明日は 坊っちゃんスタジアムでも行っちゃうー?
そう明るく切り出してみた。
坊ちゃんスタジアム・・・・??? 何それ・・・? 行ってみたーい♪」
 特にスタジアムの意味は読み込まれず、あくまでも ”坊ちゃん” の冠に旅情を感じてくれたのか、思いのほか好反応であった。これ以上の追及の手も特にはないご様子、よし、このまま押せる!
「じゃあー、明日もパパに任せなさーい!」
 行けばすぐに気付かれるのであろうが、あくまでも明るく、破局を迎えるその一瞬前まで、陽気で呑気で気遣い溢れるお父さんを演じ切るつもりであった。

 

 翌日は梅雨ならではの曇天、坊っちゃんスタジアムの周辺はいろんなスポーツ関連やメセナ施設に囲まれ、これならスタジアムに入るまで騙し通せる、そう確信した私はあえて歩みを速めることはせず、余裕のある身振り素振りで案内役に徹することにした。
「あれが武道館で、このまえドリカムが来てたらしんいんだ、あの変な建物は競輪場かな、近寄るのはやめようね。」
 私は球場に入ってもなお平静を装い、エントランスからスタンドへと伸びる長い階段をもゆったりと歩いて見せた。嫁も娘も悪い予感を察知していたかどうかは判らない。振り向く勇気はさすがになかった。
 スタンドに出ると一気に展望が開け、大型のスコアボードが目に入った。グランドからは獣の雄たけびのような声が至る所から聞こえてくる。選手は侍Japanのユニフォームで統一され、数年前に訪れた秋の大学生代表候補合宿のように、それぞれの所属チームの目にも鮮やかで色とりどりのそれが、プレー以上に主張してくる、そんなことはなかった。もうそのあたりから私の興味はグランドにだけ注がれ、後ろで呆れかえっているであろう二人については意識の外となっていた。
 なにせ、ずっと観たかった選手が目の前にいるのだ。投手では森下(明大)、早川(早大) 伊藤(苫駒大)、山崎(東海大)、佐藤(筑波大)、打者では郡司(慶大)、佐藤(東洋大)、海野(東海大)の捕手陣に、柳町(慶大)、宇草(法大)、元山(東北福祉大)、牧(中大)と、ドラフトを間違いなく騒がせるであろう選手が揃っていた。すでにこの面子から新人王、連盟特別表彰合わせて三人も出ている。私の心が躍るのも無理からぬ話。
 その矢先、投手で一番注目していた伊藤が一塁ベンチ前で捕手を立たせて投げ始めた。私はボールを受ける捕手の表情を正面から観たくなって、とっさにポール際まで移動。4Kハンディカムを目いっぱいズームし、捕手に口ックオン。

 伊藤が投げる前に小さくジェスチャーをしてみせる。変化球を混ぜ始めるのだろう。捕手の表情に注目。すると捕球するその刹那、表情が一瞬驚きで歪んだ。ボールはミットの土手に当たってこぼれた。恐らくカットか小さいほうのスライダーか?
 「こりゃええわ・・・・!」

 私はそう呟き小躍りしながら二人の元に戻る。

バカ:「いやぁー、ええもん見たわ!」

二人:「・・・・・・・・・・」

バ力:「・・・・、もしよかったら、明日はマドンナスタジアムで・・・・・・」

二人:「知るかーっ!」

 松山遠征二日目はここまで、

坊っちゃんスタジアム、ビジョン改修 日本一ヤクルト22年4月12,13日凱旋へ - サンスポ

 

 三日目は言うまでもなく一人でマドンナスタジアムへ赴くこととなった。二人は岩盤浴をハシゴするのだという。

 「水分補給はコマメにな!」

 そう言っては見たものの、当然返事はなかった、そりゃそうや。

 大学侍Japan、日米大学野球直前の広島カープ二軍との壮行試合、開始15分前、私が訪れた段階でマドンナスタジアムのバックネット裏はすでに満員。甘かったか、そう歯噛みしたが時すでに遅し。フェリーで乗り付けた広島フアンが一帯を占拠しているのだ。
 仕方ないので通路から立ち見。試合開始と同時にぽつぽつと雨も降り始め、素直にバチが当たった、そう思いました。反省はしなかったけどね。
 カープファン以外を探してみたものの、いかにも野球オタという同類はいない。顔見知りのスカウトも一人だけ。

 「注目は誰?」

 と訊いてもるも、

 「みんな!」

 とつれない・・・・・。
 そんな中、軽めの機材を片手に忙しなく動き回る一群を発見。Jsports のスタッフだった。ネームプレートをぶら下げているので一目瞭然。
 「この試合のダイジェストは放送するの?」

 「いや、まだわかりません。」
 こちらもつれない。日米大学野球並みに注目度高いのに。

 「ほら、お客さんもこうしてたくさん!」

 「はい、なので侍Japan特番の中で、このチームについてもやります、ドキュメンタリータッチで。」
 ” ドキュメントはええから、試合だけやれよ!”、そう言いたかったが押しとどめた。


 前半は試合そっちのけでそんな会話をしていたと思う。というのは先発のメナが無茶苦茶調子よくて、侍打線をまったくよせつけない。恐らく、メナの登板は大学侍Japan側からのリクエストなのだろう。いかにもアメリカ代表チームにもいそうなタイプをと。

 それが観戦する側にとっては裏目に出ていた。しかし打者への攻めはというと非常に緩く、大会前の大事な学生さんたちに怪我でもさせたら大変、とばかりにアウトコース主体。ただメナの球がクソ速い。150㌔級の癖のあるストレートをビシバシ外に決めるので、打者は当てるのが精いっぱいで剛球に圧されっぱなし。引っ張る打球は皆無。まったくお寒い内容、いかにもピストル打線って感じ。佐藤輝を故障で招集できなかったのが痛い。

 一方、豪華投手陣も1イニングごとの顔見世登板。良いといえば良いのだが、あれじゃわからん。エース格の森下のストレートは縦回転が効いているな、とか、今より横から腕の出てくる早川は、どちらかといえば左対策で使われそうだな、とか、伊藤のピッチングは子気味が良くて、こちらは抑えかな、とか、そういうのは部分部分で伝わってくるのだが、所詮は1イニングならば、みんなが良い投手!

 ”長いイニング見せてよ!”、こちらの不満は募るばかり。
 これではわざわざ家族を裏切ってまで愛媛へ見に来てよかったわ、とはなりません・・・・。
 お目当ての森下も6番の大抜擢ながら、一打席目はタイミングを外されセカンドゴロ、だったと思う。

 雨は降って来るわ、見どころがあまりにもないわ、立ちっぱなしで疲れるわで、意気消沈しているところ、Jsports 君がまた目の前を横切る。

 「日米大学野球は全試合放送してくれるの?」

 「二試合ぐらいになると思います。」

 「他の試合は?」
 「BS日テレか朝日が買ったみたいです。」
 「じゃぁ、全試合見れると思ってていいのかな?」

 「いやぁそれはわかりません。お天気が・・・・。」

 言われた先から雨足が強くなっていく。こりゃますます冷えた試合になる、そう覚悟した頃、牧がゴロで三遊間を抜く、今から思うとらしいヒット。
 牧を塁上に置いて打席を迎えた森下、インコース胸元150㌔級のストレートを一閃。目の覚めるような当たりが大飛球となってポール際へ、一瞬 ”ええっ?!” と叫んだ。
 しかし "利き腕の強い右打者のレフトポール際は切れるの法則” で大ファールに終わる。右手は添えるだけでいいのに・・・・。
 それでもこいつやっぱりやらかす奴、ストレートの反応が良い、とますます自信を深める私。というのは、ほぼ森下以外は全員メナの速球に圧されて外野にすらまともに打球が飛ばなかったから。
 現金なものでこうなってくると、一転、次の打席が楽しみになってくる。この日のカープ二軍の大学侍Japanへの攻めは、先の理由でアウトコース主体。たまにインコースを突くことはあっても、のけぞるようなものはない。森下としては躊躇せず踏み込める。打てる環境は揃っているかも。事実、アウトコースのボール気味の球にも手を出し当てることができている。

 待ちかねた三打席目、投手は左腕飯田にチェンジ。あっさり追い込まれるもそこから粘る。そして外のチェンジアップを泳ぐように軽く当てた。バックネット裏に陣取るカープフアンから歓声。打ち取ったと思ったのだろう。実際見た感じはそう。しかし高く上がった打球はなかなか落ちてはこない。ライトが慌てて下がり続け、そして見送った。さっきの歓声が ”えーっ!” という驚きの声に変わった。しめしめの私。
 さらに迎えた四打席目の森下。投手は二軍調整中の中田簾。調子を落としているとはいえ、カープの連覇を紛れもなく支えた右腕。またもや森下はあっさり追い込まれる。特に三球目のど真ん中のストレートをミスショットしたのは痛い。もうストレートなんか来ないぞ。そう思っていたらまたストレート。今度はアウトコース寄りやや厳しめ。森下のバットが芯よりちょい先で捉える。すると打球は打った瞬間にそれとわかる角度で左中間へ。今度は凍り付くバックネット裏。

 「また打った・・・・」

 「誰こいつ・・・・?」

 そんな話声が聞こえる。
 見たか、これが "やらかす奴 森下” なんじゃいっ!

 私の心の中の高笑いが止まらなかったのは言うまでもない。

 続きは明日以降で。

森下ウオッチャー回想記 Ⅲ

 日本シリーズも佳境に入りましたが、ドラフトネタには不自由しません。特にこれには驚いた方も多いはず。

www.ronspo.com

 この疑問に対する答えじゃないか、というのがこれ、

www.youtube.com

 まぁ話半分ですが、いろいろとあるのだろうとは思います。ウラが取れれば後追いさせていただきます。

 <本日の話半分>

 高校野球引退後の森下

 森下は高三の秋、プロ入り表明をするか悩んだという。しかし多くの高校野球オタが、彼のその悩みに気付くことはなかった。高卒外野手の需要は薄く、大学なり社会人へ進むことこそが森下にとって妥当に思えたからだ。また、言うまでもなく東海大相模東海大の付属校。そのまま内部進学が有力のようにも思えた。

 結局、私が内々に森下の進路情報を知るのは、季節が改まった9月の第一週のこと。ああやっぱりとは思ったが、まったくの驚きがないわけではなかった。まず進路先が東海大ではなく中大だったから。それと案外早く進路情報が入って来たな、というのもあった。

 また同時期に、夏の大会で五割、2ホーマー、 11打点を上げた近江の北村も進学へと舵を切り、その進路も中大だという情報も入ってきた。ニュースの価値としては北村の中大入りの方が大きいな、そう素直に思った。なぜならその段階での私の評価は、甲子園で結果を出した北村の方が上だったからだ。粗っぽさを感じさせる森下との比較において、肘を柔らかく使える器用さを持った北村には、一日の長を感じていた。

 ただ、森下の勝負強さは買っていた。北村が試合を作る、先制・ダメ押し型とするならば、森下は試合を動かす起死回生型、そんな風に分類していた。翌春、森下、北村のニ人の成長を眺めるのが待ち遠しい、心からそう思ったのを覚えている。

 そして迎えた19年春。私は目の前で突き付けられた事実にたじろぐばかりであった。二人の差が歴然であったのだ。半年前に自ら下した評価がこうも簡単に目の前で覆ったことを、現実のものと受け止められなかった。

 二人の間に横たわるものを簡単に言えば、打席で振り切れる森下と、当てに行く北村、その差という感じであった。北村にとっては、守備に難があるのも痛かった。一塁やDHは先輩が優先される枠でもあり、出場は叶っても主に代打。すでに外野の一角を不動のものにした感のあった森下とは、春のオープン戦の段階で実戦機会にも差が生じていた。常に4打席与えられる森下と、一節に代打で一度打席に立つ程度の北村。東都開幕以降もその差は広がるばかりであった。

 実戦で活きたボールを見れることと、それができないことで、これほど差になるのか? いやいやそうではなく、そもそもニ人の間には元々差があったのではないか。となるとかく言う私はそれを見逃していた。いや、正確には見抜けなかった・・・・。

 はっきり言えば、二人の差というよりも、そこに私自身少なからずショックを受けていた。つまり森下の活躍によって、皮肉ではあるが自分の見る目の無さを思い知っていたのだ。

 リーグ戦も中盤に差し掛かり、森下の打順が上がって行くにつれて、私の頭の中はさらに混乱していった。一年の春にして、東都公式戦の打席で目一杯のスイングができる森下の存在は私の想定を超えていた。高校時代の森下はどう贔屓目に見ても、 ドラフト上位の評価を固辞し、早慶に進んだ逸材というわけではないのだから・・・・。

 そんな中、唯一胸を撫で下ろしたといえば、”森下はやらかす奴” 、どうやらその見立てが間違いではないらしい、それだけだった。

 結局、シーズンを終わってみると、三割 2ホーマー。ベストナインにも選出され、森下は初夏に行われる日米野球侍JAPANに当然のように選ばれた。直前合宿は今年も松山らしいじゃないか。

 「これは松山に行くしかない、 とことん森下に付き合おう!」

 しかし、一人旅など到底無理。いかに家族旅行に仕立てるか、それが私にとって遠征のための最大のミッションとなったのであった。

 侍JAPAN合宿以降は明日以降で。

 育成ドラフトに物申す!

 ここ数年、最もドラフトの方針でチームで違いが出るのが育成ドラフトではないかと。因みに阪神は今年も1人。一方巨人は9人、ソフトバンクは14人・・・・。

 まぁ言ってみれば球団の方針というのもありますが、予算や受け入れる環境もあるので一概には何とも言えません。私自身はせっかくプロなのだから、育成で線引きするのはどうか、というのもある。そういう意味では今の阪神の育成指名に対するスタンスに特に違和感は感じません。

 でも少し今年考えるところがあって、育成指名は増やすべきではないのか、そう思うように変わってきました。何故変わったのか。理由は選手というよりも、スカウトや指導者目線で見れば、また、チームとしてのノウハウといった点でも必要ではないか、そんな風に思うようになったからです。まぁそのあたりについて、機会があればゆっくりと書いてみたいと思います。

 では・・・・。

森下ウオッチャー回想記 Ⅱ

 なんだかんだであれから四日。ドラフトネタは一区切りで、球界は日本シリーズで宴も竹縄って感じなんですかね、知らんけど。

 もちろん天邪鬼の私はといえば、相も変わらず指名選手の姿をここまで録りためたアマ野球の動画の入ったHDDから必死になって探し出してきて眺めています。嫁も娘も「もうこいつにはうんざり」って感じで冷ややかな視線を浴びせてきます、シクシク。でもね、これがお父さんなんだよ。

 でっ、今更ながら今回のドラフトを振り返ってみて感じるのですが、やっぱり不作だったなぁ、と。指名された選手の数も少なかったですが、それ以上に忖度指名も多かった・・・・。

 たとえば巨人の1位、2位は高松商に慶応。正力亨氏が生きていれば大喜びするような指名。また、西武が3位で九州国際大の選手を指名した際、”ああっ” と声を上げてしまった方も多いと思うのです。下位で近江の山田に救いの手を差し伸べたのにも、西武グループの根源を見る思いがする、というのは言い過ぎでしょうか。

 またヤクルトが最後に中大の北村を指名した裏には、小川GMの影を感じてしまうのです。つまり今年は指名に値する選手が少ないので、枠を埋めるために大人の事情を反映させやすかった、そんな風に感じた次第です。

 <本日の大人の事情>

 選抜以降の森下

 前回お伝えしましたが、選抜の森下を観た際、右腕主導のスイングが気になって、しかも特に矯正する気配もなく、ちょっとガッカリした、というのが正直なところ。チームはベスト4に入りましたが森下自身は、らしさをアピールすることができなかったように感じました。

 ヒットは出たものの長打はなく、自慢の飛距離どうこう以前の問題。そこから春の大会、そして夏の予選前まで調子を落とし、クリーンナップから外される憂き目にも遭う始末。今思えば、選抜の段階ですでに下降曲線を辿っていたようにも感じます。

 夏に入っても調子が上がって来ないので、確か県予選初戦はスタメン落ちしたのではなかったか。というのは当時の東海大相模には、二年に遠藤、一年には西川、山村と逸材が揃っていましたからね。特に西川は小学校の時から世代NO.1と囁かれていました。森下の代わりはいくらでもいる、そんな感じだったのではないでしょうか。

 しかし予選中盤から復帰してそれなりの活躍はしました。特に準々決勝だったか、横浜スタジアムで土壇場の九回にあわや場外という起死回生のホームランを打って完全復活をアピール。

 劇的なホームランという意味では、春の関東大会でもサヨナラの一発を花咲戦で打っています。そんな話題を耳にするたびに、森下が8月14日生まれの ”やらかす奴” であることに間違いはない、そう思ったものです。

 続きは明日以降で。

 虎の指名はブルーニッカンで!

 森下から話は逸れるのですが、ドラフト当日の朝に興味深い記事があったので、こちらも今更ながらですがご紹介しておきますね。

 抜いたのは日刊。

 どんでん、しゃべり過ぎやろ! 調子こきやがって。だからあの野郎をドラフトに絡ませるとロクなことないんだよな。こういうことするからスカウトの心が離れていくのですよ。立浪を見て学べよな、ったく・・・・。

 どう考えても日刊大阪に、岡田と特に昵懇の奴がいるのは間違いありません。来年の阪神、というか首脳陣の動きで知りたいことがあったら、日刊を買うなりWebを覗いてみるのが賢明かと思います。記事の質が他紙と違う気がしますね。まぁ、提灯記事も多いのでしょうけど、トホホ・・・・。

森下ウオッチャー回想記 Ⅰ

 阪神ファン兼ドラフトオタのみなさん、お疲れさまでした。一昨日は興奮して、もしくは落胆で寝つきが悪かった方も多かったのではないでしょうか。まぁ私はというと、比較的ゆっくりと眠れましたけど、その代わり朝は早めに目が覚めましたね。やっぱりスポーツ新聞を報知以外全紙買わないといけませんから、ええ。

 というわけでまさに今、阪神森下誕生ということで、彼の未来図以上に、いったいどんな選手なのか、興味のある方も多いことでしょう。そういう需要を見込んで、また個人的な記念という意味も込めて、この五年間におよぶ森下ウオッチャーとしての日々について思い返してみたいと思います。

 <本日の需要と記念>

 2018年の選抜

 今を遡ること4年前の春先の話、私は毎年、選抜特集号を購入して主要な選手の生年月日を調べるのをルーチンとしているのですが、第90回記念大会の前にも当然のようにそれをしました。目的は8月中旬生まれの選手を探すため。そのあたりについてはここでも書いています。

tilleternity.hatenablog.jp

 実は私は占いにも結構興味があり、8月中旬生まれはスポーツ界、特に日本野球界において、特別な能力、付加価値を秘めた、いわゆる”持ってる男”、”やらかす奴”が多い、常々そう思っています。その傾向は甲子園で顕著であり、そこで何かを起こす可能性がある、そんな気がしているのです。このヨタ話に説得力があるかないかについては、下の表でも眺めてご判断いただければ幸いです。

 因みにですが、森下が生まれた8月14日は、初代ミスタータイガース藤村富美男と同じ。佐藤輝が神様バースと同じ誕生日であるように、森下の阪神入団は生まれた時からすでに決まっていたのかもしれませんね。今更ながらに気づきましたわ。

 まぁ当時はそこにまで思いを巡らせてはおりません。つまり森下が数年後どの球団に入るかなど微塵も考えていなかった。ただただ8月中旬生まれの一人の球児、東海大相模の主軸選手として注目してみよう、そしてついでにドラフト候補なら一石二鳥だな、そんな感じでした。

 高校時代の森下翔太

 来月ぐらいにきっとGAORAが、今回のドラフトで指名された選手のセンバツ映像を特集するでしょうからぜひ観ていただければと思うのですが、高三春の森下は細身でバネはありますが長距離砲には決して見えませんでした。

 一番気になったのは打席で構えた際のグリップ。右手でバットをしっかりと握り、リードする左手で軽くバットを握ったり離したりを繰り返していました。”それ逆や!” 思わずそう画面に向かって突っ込んだのを覚えています。

 当時というか今もですが、森下は利き腕の右手でバットを煽るタイプの打者。高いバウンドのサードゴロやショートゴロが多いのはそのため。いわゆるコネるというやつ。そういうタイプの打者に対して指導者は、右手主導で振りにいくことを矯正するために、構えの段階でバットはできるだけ左手で握るように、利き手の右手は柔らかく添えるだけでいい、そのように躾けるのが常です。しかしあろうことか名門東海大相模というのに、それができていない。私は仕込みの甘さを痛感し、もし近畿の名門校ならこういうことはないのに、そう思うと同時に門馬さんの性格や方針も感じ取るに至っていました。

 門馬スピリッツ

 東海大相模は日本高校球界を代表するチームですが、少し特殊な点があります。それは選手の数。優に百人を越えるのです。毎年全国制覇を目指す超ハイレベルの高校にしてはその規模は際立っており、例えば高嶋時代の智辯和歌山などは一学年十人限定、つまり三十人の選手しか在籍させません。選手への指導が行き渡ることや卒業後の進路を鑑みるとそうならざるをえない、というのが高嶋の自らの方針に対する常套句。正直どうかと思うのですが、因みに大阪桐蔭や横浜などで五~六十人ほど、だいたいこれぐらいの所帯のチームが多いようですね。

 東海大相模は北は北海道から南は沖縄まで全国から選手をスカウトしますが、それ以外でも来る者は拒まずの方針であり、練習もできるだけ平等にさせることを旨としているようでした。ですので特定のエリート選手にだけ手厚く指導する、ということは比較的ないように感じます。少し話が長くなりましたが、森下に対する仕込みの甘さはこういう点にあるのだろうな、仕方がないか、そんな風に思ったのを覚えています。

 もう少しだけ当時の門馬東海大相模について触れると、私はこの方針にある種の正しさを感じています。高校野球は教育の一環であり、決してプロ養成機関ではありません。多くの選手、つまり上手いも下手も玉石混淆となるから化学反応が起き、選手は人間的にも成長する、そう思うのです。

 森下のモットーは今もって、”アグレッシブベースボール”。これは門馬東海大相模のモットー。つまり森下は門馬さんのスピリッツを受け継いでいると言えるでしょう。

 また門馬さんは選手たちによくこうも語りかけていました。「応援される選手に、チームになれ!」。きっと森下はこの言葉をも胸に、虎の一員になってくれると信じています。

 本日はここまで、続きは明日以降で。

阪神森下爆誕!

 まだ夢を見ているようです・・・・。

 三年前、一年の春で大学侍JAPANに選ばれたとの報を受け、森下を観に松山へ行った日のことを思い起こします。

 森下は 三年前から、”やらかす奴” 、そう言い続けてきましたが、まさかうちに来るだなんて。江越がいなくなったら江越が入ってきた、そんな風にも言われていますが、奴は間違いなくやります!

 右手と左手のバランスが明らかに悪いところが最大の欠点ですが、成績が伸びなかったのは、東都ならではのデットボール上等という執拗な攻めに遭ったから。肩から上のデッドボール、ビンボールの数は異様。そして神宮レフト、あわや場外の最上段へぶち込む飛距離はガチ。

 大卒の大砲という観点では、この十年、いや二十年、左の佐藤輝、右の森下は双璧! 因みにですが結構いい顔してるんですよ ♪ そこも含めてまぁ見ていておくんなはれ。