Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

若虎通信 ①

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 2月中旬の安芸の空はどんよりと曇ってはいたが、時折鈍い光が差し込み昨日の天気予報が外れたことをわかりやすく教えてくれた。いい意味で裏切られたと胸を撫で下ろし、少し湿った空気を吸った。それが眼前に広がる太平洋のものなのか、未明まで降った雨の名残なのかまではわからなかった。
 国道55号に抜ける宿からの一本道は交通規制が敷かれていて、ナビが当初示した時間には着かなかった。時刻は11時を指そうとしており、果たして駐車場が空いているのか安芸市に入った頃から気がかりでならなかったが、球場に着くとすんなり第二駐車場に案内されそれは杞憂に終わった。県外や本州のナンバーも見られ相変わらず熱心なファンがいることは伝わってくるが、駐車場のキャパからすればその数は寂しいもので、本当の主を失った意味の重さを思い知った。
 コロナのせいもあるのだろうが、居並ぶ出店も少し活気がなく、焼きそばを買った際に客足について尋ねると、やっぱ二軍じゃねぇとあっさり返って来た。いい選手入ったんだよ、そう言ってみたが特に興味はなさそうだった。
 グラウンドに着いてすぐにバックネットに張り付いて二人の姿を追った。もう終わったのかと弱気になっていると、二人がこっちを向いて目の前でトスバッティングを始めた。バッティング練習はこれからか、まぁ、考えてみれば高卒新人野手の練習の順番なんて一番最後だ。よしよし、結構ついているぞ、年甲斐もなく胸が躍っているのが自分でも分かった。新しい時代が始まる予感がした。令和最初の春のキャンプであることを思い起こしていた。
 気が付いたら日差しがグラウンドを眩しく照らし始めた。

<本日のメニュー>

12球団の”徳”はドラフトが教えてくれる

 怪我で出遅れていた井上はむしろフレッシュで体のキレも良く大飛球をセンター中心に飛ばし、一方の遠藤はここまで自主トレから皆勤のためか少しお疲れ気味で、フェンスを越えるような打球はなかったが、柔らかくて大きく、そして速いスイングに目を奪われました。
 ケージに並んで打っている井上と遠藤を見ていると、自然その昔、田淵と掛布がここで並んで特打をしていた映像を思い返していた。そういえば田淵がまだ出始めの金属バットを持ち込んで打っていたことがあったなぁなどと。2月の高知は南国とはいえまだまだ寒く木製だと詰まった時に手が痺れるから嫌なのだと言って使っていたのです。今思えば無茶苦茶で、よくそんなことが許されたもんです。ただ田淵はそれぐらい手元までボールを呼び込んで打っていた、というのは言えるかもしれません。掛布はというとそんな田淵を横目にキャンプから素手重めの圧縮バットを振り込んでいました。
 田淵のどこまでも遠くへ飛んでいく打球にファンが沸き、掛布が弾き返す打球の速さにバッティング投手が恐怖する。当時WBCがあれば、二人は間違いなくクリーンナップを任されたことでしょう。球界を代表する和製の強打者が、当時の阪神に二人もいたことを、幸せな時代だったと懐かしみ、そんな僥倖は以来令和の今に至るまで一度たりとてないという不幸を嘆いています。
 「四番打者というのは巡り合うもの」 そう言い切ったのは野村でした。あの頃のチームの状況を思うと、半ば育成を放棄していたので咄嗟に出た言い訳のように思え、その反面、ならば阪神はよっぽど常日頃の行いが悪いんやな、とガックリ来たものでした。もちろん思い当たる節があってのことです。阪神という球団は果たしてあの二人や、かつてチームを支えた功労者たちを大切にしたのだろうか? 球団にとって扱いやすかった選手ばかりを厚遇してはいないか? そんなんだから我々はいつまでたっても巡り合えないままではないのか? 多くの虎キチがそう思ったのです。もちろん、スター選手ゆえの彼らの個性がそれをさせなかった、という言い方もできるのでしょう。しかし、野球以外の面でも、つまり社会人としても彼らをしっかりと育て、サポートすることをしていたなら、きっとそういったものは”徳”となって球団に積み重なるものだから、我々は球界を代表する凄い選手に出会えていたのではなかったのかと・・・・。
 傑出した選手はそれぞれ強い運の下に生まれていて、たとえドラフトという制度があったとしても入るべく球団に入るのだ、そんな風に考えながらドラフトを一つのドラマとして長年眺めて来ました。そして我々はどうかと言えば、残念ながら置いてきぼりを喰う一方であった。そういえば逆指名時代にあれだけ無茶を繰り返した巨人のクジ運もさっぱり。お互い”報い”という言葉を秋になると仲良く噛み締めているのです。

 しかし、である。今年の新人六人を観るにつけ、阪神にもそろそろ神様からのお許しが出たのではと直感し、そう思って安芸を訪れてからここまでの四カ月ほどを改めて振り返ると、あのコロナ騒動やその後の空白期間にも意味があったのではと思うのです。タニマチやコアなファンにとっては選手との距離を見直す、球団には選手との関わり方や組織について考え直す、そして何より選手は自分たちの本分について見つめ直す、そのために必要な時間だったのだと。
 あれは天の配剤であった、そう後になって思えるのか、藤浪がきっとマウンドで我々に示してくれることでしょう。

誕生日が語る甲子園でやらかす奴

 井上の存在が気になったのは、阪神に入るなどとは夢にも思っていなかった去年の春のことです。私は毎年選抜出場校が決まると、「週刊ベースボール」であったり、「報知」であったり、選抜を特集する雑誌を読み込み、注目選手の誕生日は必ずチェックしています。
 第91回選抜の場合、まずは注目度NO.1の奥川が4月14日、以下、
 八戸学院 武岡:5月18日、習志野 飯塚:3月20日、横浜 及川:4月18日、桐蔭 森:1月28日、山梨学院 野村:8月27日、東邦 石川:6月22日、熊田:4月15日、津田学園 前:8月13日、智弁和歌山 黒川:4月17日、履正社 井上:8月12日、広陵 河野:8月23日
 そんな風に前評判が高いとされる彼らの誕生日を確認したところで、私は二人の選手を特別に注目することにしました。一人は履正社の井上、もう一人は津田学園の前。理由は二人が8月中旬に生まれたからです。
 私の独断と前置きして申し上げるのですが、甲子園でやらかす男は8月中旬に生まれる傾向にあるのです。

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 もちろん、ほかにもこういうケースはあるのかもしれません。ただ改めて見てもこの面子は凄いと思います。池永清原が同じ誕生日なのも味わい深いですが、甲子園で初の完全試合を演じた男というのが、球児としてはどこにでもいそうな、それも全国的にも有名な進学校のまったくと言って良いほど普通の投手だったというところに大きな意味を感じます。歴代の錚々たる大投手たちにも手が届かなかった快挙なのですから。そしてもちろん彼はやらかす男として宿命づけられた日に生まれていたのです。
 この時期に生まれた球児には、普通の人にはない付加価値がついて回る、そんな気がしてなりません。なんとなくですが、そこには先の大戦で儚くも散った元球児たちの英霊が、終戦の日前後に生まれた彼らをアシストしているのだと勝手に思っています。夢を見ることすら叶わず戦争でこの世を去った男達の何かが乗り移り、そして彼らにそれをさせるのだと。
 さらに言えば、甲子園と無縁だったり出場しても目立つところのなかった選手でも結構いるのですよ。記憶に新しいところでは不惑のノーヒッター山本昌と14年ドラフト4球団競合早稲田のエース有原(共に8/11)、平成の本塁打王中村剛(8/15)、令和の侍守護神山本由伸(8/17)、日本の新主砲鈴木誠也(8/18)などなど多士済々です。
 つまりこの特別な時期に生まれた選手はプロ入り後も大成する可能性が高いわけです。(内緒の話としてもう少し続けると、実はもう一人やらかす奴としてウォッチしている男がいます。そのうちご紹介します。彼は多分、ここのところ球界における存在感を薄め続けている巨人を甦らせるはずだと密かに信じています・・・)
 なので、去年の選抜の段階で、井上と前は要チェックだと個人的に決めました。
 しかし、結果は二人とも不発。井上は奥川にまったく良いとこなく敗れ、前も延長の末力尽きました。夏こそ巻き返してくるだろうと思っていたら、今度はいきなり二人が二回戦で激突。軍配は井上に上がり、これは前が背負っているものまで井上が持っていく、その読みは当たり一気に全国制覇まで駆け上がりました。決勝での奥川からの一発を含めて三本は見事。井上広大を持っている男、そう私が認定したのは言うまでもないでしょう。
 井上を我が阪神が二位で指名したのを知った時、遂に来たかと、二位では高い買い物との意見もありましたが、遂に来たと。私的には一位でも良いぐらいの物件だと思っていたのでまさに本望でした。
 というわけで、2月の安芸詣ではこの段階で決まったのでした。

 

若虎診断 井上広大編

 初めて縦縞の井上を観た時、一瞬元Denaのドラ1で現オリックスの白崎に似ているなと感じました。長身で顔が小さく、スイングスピードよりもヘッドを立ててバットを振ろうとする意識が感じられる点も同じ。ただ横から観ると違いが出ます。白崎は比較的踏み込んだ前脚に重心を乗せて体を回転させるタイプですが、井上は後脚に重心を残したままスイングします。なのでミートポイントが奥にあり、スイング後、上半身を捕手側に傾けてフォロースルーを終えるタイプです。これは意識的なもので、本人も体の前ではなく中で捉えることを心掛けていると多くのメディアで話しています。
 一概に、前脚に重心を移すのがアベレージヒッターで、後ろに重心を残すのがスラッガーかというとそうではないのですが、前者の代表格がイチローで、後者が落合である点は何となくですが象徴的だと感じます。しかしおかわり君は球史に残るスラッガーながら前者ですし、不惑本塁打王門田も前者。井上は言うまでもなく現段階では後者で、阪神にとって待望久しいストロングスタイルの長距離砲なのです。
 しかし、井上の本当の闘いはこれからです。理由は彼が右打者だからです。
 ファームとはいえNPBの右投手のスライダーやフォークは、まだ高卒一年目の右打者から見れば、間違いなく消えるレベルです。そしてそのボールは井上が打席に立つごとに必ず二、三球は投げてきます。それをどう対応するかが、今後の彼の野球人生の分岐点になると思います。
 消える変化球をどう打つのか・・・・?
 見えているうちに打とうとするのが動物としての普通の反応だと思います。となると自然と前で打とうとする。それに変化の幅も小さいという理屈もある。つまりは、後ろに重心を残した今のフォームでは打てない。一番の問題はここで指導者がどのようなアドバイスを彼にするかでしょう。
 「上半身が泳いでいるから打てないんや、もっと下を使って打たんかい!」 二軍の平田監督あたりならそう言いそうで怖い。そう言われると打者は、徐々に大きく踏み込むようになり、自然とステップの幅が広くなっていく。そうするうちに変化球を当てることはできるようになるので、ますますズルズルと大きなステップをして前脚へ重心を移し、結果としてそこで回転する打者へと変わっていきます。
 すると今度は突っ込んだ分ポイントが投手側になり、速球に差し込まれて得意にしていたはずのストレートが苦手になってきます。不意にど真ん中に失投のストレートが来ても、差し込まれてミスショットを繰り返します。そのうち軽めのバットも持ちたがったり、グリップを余すようになる打者もでてきます。一方、変化球をヒットにできるようになったかというと、そっちも駄目のままです・・・・。
 つまり中堅の北條や中谷、江越が依然として陥っている罠がこれなのです。
 良い指導者なら、「切れの良い変化球は打てなくていいから、自分のスイングだけして帰ってこい」 と言えるのでしょうが、それを果たして今の二軍の指導者ができるのか? 北川の手腕が問われることになると思います。
 巨人の岡本でも、一年目のファームの成績は70試合ほどの出場で本塁打は1本でした。イースタンの公式戦の開催球場の左中間は100mそこそこのものばかり。それでもわずかに1本のみ。岡本も井上同様、高校時代から上半身を捕手側に大きく傾けて豪快にスイングする典型的な長距離砲でしたが、一年目は怪我もありそれができなくなっていました。その代償として2割6分を超える打率を残したようですが、彼本来の打撃ではなかったことは言うまでもありません。阪神の中堅だけではなく岡本ですら陥った罠が、これからの井上を待ち受けているのです。
 あくまでここまでの練習試合を観る限りですが、まったく問題なく球を呼び込む自分の形で打てています。一軍の投手が調整登板で投げてくるなかで、この状態を保っていることは素晴らしいの一言。数字は良いのでボールを追っかけず、自分の体の中まで呼び込める今のスタイルを貫いてほしい。ただ一点、注意が必要なのは、後ろに体重を残して、後ろの脚で体を回転させるタイプの選手には腰への負担が付いて回ります。今年のキャンプの初め、ヤクルトの村上がリタイアしたのは彼のバッティングスタイルゆえに起こった故障だと思うのです。

 腰の負担を考えて、フォームやバッティングスタイルを変えざるを得なかった、そんな選手をたくさん観てきました。プロは連戦が続きしかも長丁場です。五試合に一度は休ませるぐらいの配慮が欲しいところです。
 先日もお伝えしましたが、井上は今年はファームで二桁の本塁打を放ち、秋には一軍入りを果たし二、三本放り込むかも入れません。そして、五年以内に三十五年間未踏の生え抜き選手本塁打30本の高嶺を駆け上がり、本塁打王を獲るでしょう!

 しかしそれを阻むものは敵以外にも隠然と存在するのです。

 私が安芸を訪れた一週間後、川藤が現れ、井上にこう言ったそうです。
もっと長いの使わなあかん。もっと重いバットで振れるようになれ!

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 井上のバットは長さ85cm重さ890gだそうです。どこに問題があるのか理解に苦しみます・・・・。
 川藤がどこまで本気で言ったのか知りようもありませんが、井上はまったくバットを変える必要はありません、そう断言しておきます。
 因みに世界の本塁打王バリー・ボンズのバット、

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 34インチ(86.36cm)で実測値905g。井上との差は長さにして1.3cm、重さにして15g。世界の本塁打王のバットは、案外短く、そして重さも高校生の持つ平均的な金属バットのそれとほぼ同じか軽いぐらいです。
 ボンズ自身の体格は188cm、108kg。井上は187cm、97kg。井上があと5kgビルドアップしたら、ボンズとまったく同じサイズのバットを使ってもいいと思いますが、当分は今のバットで良いでしょう。
 バットというのは実に雄弁にそれを持つ打者のことを語ってくれます。重さや長さだけではなく、材質やバランスなど、バットは打者そのものだと言ってもいいぐらいです。
 実は川藤というのは晩年の代打の切り札というイメージが定着していますが、彼のキャリアハイは106試合に出場した74年です。俊足強肩の外野手で、主に代走や守備固めに起用されていました。犠打数20はリーグ最多。盗塁は9で盗塁死は7。代走に出たのに打球に当たってチャンスの芽を摘んだ場面が思い出されます。結構ペナントを左右する大事な場面でした。要するにチョンボが多い選手だったのです。

 また、何故だか当時の川藤は1kg以上のバットを使っていました。近鉄の大石のように重いバットを短く持ってボールにぶつけるようなスイングをするのではなく、普通に構えて普通に重そうに振るのでよくポップフライを打ち上げていました。幼いなりにもそのバッティングスタイルが意味不明であることは理解できました。
 そんな川藤も今やOB会長になるまで出世したのですから、自分の発言が少なくともかつて使ってたバットのように重くなっていることに気づいて欲しいものです。頼むから井上を惑わすのはやめて下さい

 井上とは体格がよく似ているボンズ、彼は最もボールを自分側に呼び込んでホームランを量産した打者だと思います。

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 右と左の違いはありますが、井上はボンズとおおまかに分類すれば同じバッティングスタイルです。

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 そして世界の本塁打王である彼のバットも、ほぼ井上と同じ、比較的短かくて重さも至って普通。更に申し上げるなら、実はグリップを人差し指が入るぐらい余して持っていたことはあまり知られていません(グリップが独自な形状なので判りづらいか・・・)。

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 ボンズのこのグリップから井上に通ずる何らかのヒントがあるのではないでしょうか? 目標はあくまで高く、どうせなら井上にはボンズを目指して欲しいと願っています。

 

今日のおまけ:思わず叫ばす井上は持っている男

 私が安芸を訪れた日の対四国銀行戦の練習試合で、ご存じの通り井上は初打席でホームランを打ちましたが、その動画を早速アップして下さった方がおられました。

www.youtube.com

 ご覧のように井上は第一打席の初球をいきなり捉えるのですが、その瞬間、お恥ずかしい限りですが思わず結構な大声で、”オッケーッ!” と叫んでいました・・・・。

 この動画で確認したら、その声を拾われるに留まらず、テロップまで入っていました。いやぁー、それぐらい衝撃的でしたわ。まいったまいった。