年明け早々文春砲が炸裂したそうです。
私は大阪生まれの阪神間育ち。今回の標的である松本人志とは同じ学区。確か彼は兄と同い年だったかと記憶しています。
ダウンタウンがブレイクした当時、私は学生で東京にいました。帰省した際、TVで視た彼らの漫才を今でも覚えています。上手かった、というのもありましたが、お笑いがここに来たのか、そう驚きました。
私も子供の頃、吉本がある日常の中で育った。中学や高校の文化祭ではコントや漫才を演ったクチ。文化祭の実行委員になると、部活を合法的にサボれる旨味がありました。秋の大会も終わり、走り込みばっかりさせられる時期でしたからなおさら美味しかった。
お笑いというのは学生時代を引き摺ると思っています。そこで培ったもので勝負するのだとすら。なのであえて大まかに分けるなら、まずは体育会系のお笑いがあるかと。とんねるずやナイナイ、ジャルジャル、年末のM1王者の令和ロマンもここに入ると思います。
体育会系ならではの理不尽なシゴキを受ける辛い日々を、笑いで凌ぐことで培われるセンス。先輩から一発芸を命じられることなど日常茶飯事。私も名前が呼ばれ、江夏や田淵、掛布のモノマネをやらされました。体育会系のお笑いタレントについては、裏にあるものが透けて見える気がするだけに、私はこのタイプに弱い、というかつい笑ってしまうのです。
次にくるのが文化部系のお笑い。ウンナンやキャイーン、トレンディーエンジェル、そしてM1二位のヤーレンズもここに落ち着くのではないでしょうか。こちらは新聞部や放送部、演劇部ならではの仲間内から生まれるお笑いです。これら二つの笑いは主に部室から生まれます。
それ以外にも教室の中で育まれるクラスの笑いがあります。昼休みを盛り上げたり授業を上手く妨害し、教師に反抗し揶揄いながらも怒らせないよう綱渡りをし腕を磨いていく笑い。案外ツッパリ系の漫才などもここに分類されるのかもしれません。
かように学生時代、特に中高時の経験がお笑いの感覚を育てると言えるでしょう。
ではダウンタウンはどうか? 見事にこの分類から外れています。私が驚いたというのはそのため。
ああ、きっとこれは帰宅部の笑いなんだろうな・・・・。
二人が出演していた関西ローカルの番組を眺めながらそう感じたのを覚えています。
私が育った阪神間の学校内におけるヒエラルキーでは、基本帰宅部は決して高くはありません。私たちの頃はなんでもいいから部活に所属しとけ、これが決まりのようなところがありました。帰宅部の生徒は何してるのかわからん奴、と括られがち。そこからいわゆる校内の人気者になるというのは、バンドでもやってない限り難しい。
なので部室発でも教室発でもない彼らの笑いのバックボーンが、どこにあるのか判らなかったのです。
関西でウケても東京では無理だろ。
そうも思いました。ところがどんどんメジャーになっていく。それどころか第二第三のダウンタウンのような弟分まで連れて、東京でも時代の寵児として持て囃されていきます。
関西コテコテの二人が全国区となり、同じ関西者である私にとって、それが不思議でなりませんでした。
初期のダウンタウンの漫才は、二人で好きなことを言い合い悪態をつき続けるところが肝で、”よしなさいって” や ”なんでやねん” などのそれを止めるべき合いの手と、最後に持ってくるはずのオチの部分を端折ってみせるのが新しかった。そこで終わるんだ、と見るものを驚かせました。
また二人はNSC一期生。師匠について内弟子となる期間も端折った。
それはまるで当時出始めたユニクロが、素材の仕入れから製造、販売までを一貫して行い、問屋の中抜きを端折ることで低価格高品質の商品の大量販売を実現させ、無駄を省き消費者に支持されていく世相と被って私には映った。
洋服なんて原価が二束三文であることは、半期に一度の半額バーゲンで百も承知だけど、一つ先の季節のものが欲しくなって丸井でローンを組んでまで買ってしまう。そんな見栄を張るだけの生き方を、”ケッ、あいつらアホやで!”、とぶった斬る。その切れ味は確かに鋭かった。
従来は言いたいことはあるがはっきりは言わず、その縁をフラフラし続けることで、言葉にしないまま言わんとすることを客に伝えて笑いを取る、すなわちそれが腕であったし、世の習いとも符合していた。
平成に入ってこの国の住人が、急にはっきりものを言う風潮になった、というわけではなく、むしろ本音は口が裂けても言わないところは変わらないが、言えないことは言わない、から、言いたいけど言えない、にシフトアップしたようだった。
しかしそれは胃の中に収まりかけていたものが、喉元まで上がってくるぐらいの差でしかなく、決して言葉にしてそれを吐き出すことはできません。そんな相変わらずの雰囲気であっただけに、ブラウン管の中における、いわゆるご意見番の役割は大きくなり需要も高まった。
「ア〇コにお任せ!」や「ズバ✖言うわよ!」など、視聴者が言いたいけど言えないことを、替わりに出演者たちが面と向かって世間に対して言ってやる、そんなTV番組が流行っていたようです。何を任せたのか、何を言ったのかは視てないので知らないけれど、そういうニーズは間違いなくありました。
ダウンタウンも同様に、当時のお茶の間の、特に若者たちの代弁者としてカリスマへと一気に上りつめたのでしょう。
当時の私はといえばすでに社会人になっていて、パッとしないサラリーマン。憂鬱な毎日を送っていました。仕事もテキトーにしかせず、というかできず(今も)。
そんなある日、出先から真っすぐ事務所に戻るのが億劫になり、渋谷で寄り道して少し遅い昼飯を食べて時間を潰すかと途中下車。気晴らし紛れに歩いていると、まだ昼下がりだというのに街はルーズソックスを履いた厚化粧の女子高生だらけ。女の子が集まると当然野郎も寄って来るというわけで、平日の昼間とは思えない光景が目の前に広がっている。それを横目で眺めながら、冴えないサラリーマンとしては道を譲り、肩身狭くその脇を歩くばかり。
この子ら何者なの?
なるべく視界から彼らを外して緩い坂を上りながら、先日読んだスポーツ新聞のある記事を思い出していた。
それは高校球児が激減している、というものであった。何でも突如湧き起こったJリーグブームに押されて、野球部の選手の数が減っているのだとか。また最近は部活に属さない帰宅部の生徒が主流になりつつあるのもその一因、そんなことが書かれていた。
なるほどそういうことか
何故東京でもダウンタウンが支持されているのか、私は判ったような気がして、そして改めて彼らを眺めてみると、自分の足元との間にあるのは明らかな断絶。
ああ、時代が変わったんだ
そう思い知った。
これが平成の空気なんだろうな・・・・
ざらついた砂煙のようなそれを、受動喫煙するかのように吸ってみる、それが当時二十代後半の私なのであった。
以上が平成一桁、当時を切り取った一コマです。
松本人志は言うまでもなく平成を代表するお笑い界の大御所。いろんな番組の審査員長も務め、彼を手本と崇める若手も多いと聞く。私がM1以外のお笑い、というかほぼ地上波の番組を見なくなったそのきっかけは、当時のお笑いやバラエティを素直に笑えなくなったから。
毒舌上等とばかりに、いじめやイビリだけとは言わないが、観ていて気分の良いものは少なかった。そしてその種のお笑いを王道へと押し上げたのは、言うまでもなく吉本興業。今やこの国のお笑いの総元締め。そしてまさに今、令和にあってもそのポジに君臨できるのか、正念場を迎えたような気がします。
平成の時代はかくのごとく私にとって好まらざる日々の連続であった。令和になってもそれは変わらないのだろうか・・・・?
元日の地震に航空機事故、日替わりメニューのように厄災が起きる。だけどどこかできっと潮目が変わり、辛いこと悲しことが一つの流れとなって、上手い具合に分水嶺を超えてその先へと逝き去り、空っぽになった地面を雨が満たす。最初は冷たい涙雨や恨み雨かもしれないが、やがてそれが平成の世を洗い流す慈雨であることを、われわれはきっと知るのである。
いろんなものが終わりを迎え、そして新しく変わる。
きっと令和は良い時代になる、そう思っています。
ちなみに今も帰宅部の高校生は増えているそうです。
しかし地域のスポーツクラブやクラブチームに所属している子も同様に増えているとのこと。実質的には帰宅部の生徒数は減ってきているのかもしれませんね。
というわけで今年の新人王ですが、毎年外しているので偉そうなことは言えませんけどね。とりあえず表だけ晒しておきます。