先月の24日は美空ひばりさんの三十三回忌でした。できれば先週のうちに書いておきたかったのですが、サボりました、寝ました・・・・、スイマセン。
美空ひばりさんが亡くなられたのが平成元年。当時、時代との別れ方をまだ知らなかった私は、「ああやっぱり昭和は終わったんだ」 そう感じたのを覚えています。64年にも及んだ昭和を二つに分けた場合、彼女は間違いなくその後半を背負った方でした。そういえば石原裕次郎さんが亡くなられたのも昭和最晩期の61年でしたね。翻って4年前だったか、安室奈美恵が引退を宣言した際、先の天皇のご退位のおことばとも重なり、ようやく平成は終わる、そう悟ると同時に、正直ほっと胸を撫で下ろしたように思います。平成という時代、いかにも我々とは相性が悪かった・・・・。
時代どころか明日を変える力もなかったと、冷静に受け入れられるようになった今、令和を良い時代にしたい、大人しくその想いを深めるばかりの今日この頃です。
美空ひばりさんの歌で真っ先に思い出すのが、意外かもしれませんが「リンゴ追分」です。私が生まれる十年以上も前の作品。なのに、不思議と印象に残っています。古いとか新しいとかではなくて、詩も曲もとても奇麗で、ふと映像が浮かび上がる、そんな歌です。
曲は津軽娘の悲恋を歌っています。”追分” という言葉が、”別れ” や ”分かれ道” を意味していること、若い方は知らないかもしれませんね。
年を重ねれば、誰しも多くの別れや分かれ道を経て今に至っているはず。きっとその多くが正解ではなかったでしょうが、失敗ばかりとも言い切れないのでは? というか、その正否を問うたり、あまつさえ星取表を作ろうというのは野暮な話。それらは等しく自分に必要なステップだったと、そう思うようにしましょうや。
ただ決して誤ってはならない追分というのがあるのも事実。特に国の舵取りに間違いは許されません。たとえば先の太平洋戦争という過ちが何を語るのか、改めて振り返ることは決して後ろ向きな行為ではないだろう。我々はこれからも、敗戦国の十字架を背負い生きて行くのだから。とはいえ、そんな道を選んだ先人を冷たく突き放すのは果たして正義だろうか? 我々が彼等を許さずして、一体誰が彼等を許すというのか? 戦犯の末裔である我々に、明るい未来などないと、自ら歩みを止めることもまた過ちなのだから。
次に迎えんとする追分で、進む道を誤らなければ、遠く離れた国の人々とも分かりあえる時が来るかもしれない。その時、悲恋を嘆いた津軽娘が幸せになったことを、我々はきっと知るのです。
つづく