Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

There is no alternative


 LGBT法案が成立した。

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 多様性が世の中に浸透し、明確な変化をもたらし始めている。

 そしてこんな動きもある。

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 一方、切実な問題としてこういう話もある。

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 世の中がもっと多様性を受け入れ少しでも偏見がなくなれば、そう願う。そして何より私自身もっと寛容であらねばと自戒する日々である。

 同時にこうも思う、きっとこれを機にいろんなバービー人形ができるのだろうと。

 ヒジャーブを纏うバービー人形に、元男のバービー人形・・・・。まったくサステナブルで結構なことこの上ない。

 しかし、である。問題がないわけではない。あらゆるものをビジネスに、そして商品に変える、資本主義の本質とこの先どう向き合うのか、そこが問われてくるからだ。

 はからずも今回、”多様性” ”バービー人形” という形で表現され店頭に並ぶ。この構図はとても安直に思える反面、巧みにトラップが仕掛けられてもいる。それを回避しようとすれば、多様性を否定するという踏み絵に危うく応じる羽目に陥るからだ。

 ことほど左様に私たちの日常は、すでにすべてが資本主義で覆われている。絶対に譲れない、そう誰もが常日頃から思っているものさえ、すでにすり替わった後かもしれない。たとえて言うなら、”自由” は選択肢の多さで語られ、”幸せ” 幸福度でチェックされ、”平等” は市場における 公平に変換される。もうわれわれは引き返せないところまで来ている。

 白状するならば、私の青春時代は真っ赤であった。野球やラグビーでところどころ汚れてはいたが、遠目で眺めれば真っ赤であったことに変わりはなかったであろう。

 当時の私は資本主義が許せなかった。正確に言えば、資本主義しかないこの世に憤っていた。学生時代に一人暮らしを始め、どう足搔こうとも自分は一塊の労働者に、そして消費者に過ぎないだろうという現実と向き合った。その境遇を憎んだ。ネクタイをして満員電車に揺られるような奴にだけはなりたくない、心底そう願った。

 あれから三十年、今、私は毎朝それをしている・・・・。もちろんそんな日々を呪ってはいる。しかし自民党を消極的ではあるが支持するに至った現在の私の立ち位置は、保守とも右寄りとも取れなくない。果たしてあの頃の私が、今の私を見てどう思うだろう? 呆れるのか、幻滅するのか、それとも殴りかかるのか・・・・。しかし私には一片の悔いもない。これで良かった、そう思っている。 

 矛盾するようだが、私は今でも若者たちが既存の体制に組み込まれまいとして抵抗することに無条件で与する。反社会的でなければ社会人にはなれないぞ、そう応援する。まぁそれがシールズというのではあまりにも頭悪すぎなのだが・・・・。

 若者は資本主義一択の ’’今’’にもっと憤るべきだ。それを変えようと藻掻け!他に人としての在り方がないのか頭を巡らせろ! それが生き方や暮らしに根差すものならなお良い。

 しかし肝心なのは、 ”その先” に繋がるであろう ”手掛かり” に、ようやくたどり着いたとしても、”多様性” ”寛容” ”バービー人形” が一飲みしたように、それは経済の論理に簡単に絡めとられる、そこに気づかなければならないということだ。

 

 

 私が左翼というものに違和感を覚えたのは、80年代前半のことだ。島田雅彦が文壇にデビューし、”優しい左翼” と名乗ったのが83年、そして吉本隆明がコムデギャルソンを着たのが翌84年。当時の私は反体制、反資本主義に漲っていた。ゆえに気分が悪かった。左翼に優しさなどという保険が要るのか? 叩き上げの吉本にコムデギャルソンは似合うのか? そう苛立ったのだ。

 左翼とは左翼以外の何物でもなく、そこに乗っける形容や着飾る衣装が必要であろうはずない。また、オルグの一つもしたことない輩が、左翼の本筋目抜き通りに母屋を構えていることにも不愉快であった。

 結局、島田の出現は、力ルチャー左派や後のリベラルへの流れとなった。事実、島田は先日「エアレボリューション」なる有料のYouTube番組で、自らをリベラルと名乗ったそうだ。間口拡大以前に、固定層が離れないよう腐心する舞台裏が透けて見えてくるようで哀しい。しかも、その果てに炎上・・・・

 さらに始末が悪いことに、この発言は誤解だそうで・・・・。

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 まったく理解に苦しむ。きっとあの島田のことだ、この失態をもってしても ”戦った” などと思っているに違いない。あえて一言口をはさむのなら、”老いたな” というよりも、”禿げたな、島田!” である。こういう手合いには、一番嫌がりそうな言葉を見舞ってやるのが一番だろ。

 安倍元総理がリベラルたちの格好のターゲットとなったのは、彼が全共闘世代にとって最大の敵であった岸信介の孫であることが大きい。絵に描いたようなお坊ちゃまの彼に、いちゃもんをつけるのは容易である。しかし第二次政権下でやり遂げた彼の仕事の内容をーつーつ確認すれば、少なくとも日本のために尽くした政治家であったと理解できる。政治家は生い立ちや品性以前に、どれだけの仕事ができたか、それがすべて。他の物差しはいらない。

 活動家たちからすれば、むしろ最高の標的となるアイコンをああいう形でなくしてがっかりしたと見る。にもかかわらず安易に醜い本音をお漏らししてしまう島田は、もともと左翼としての才能がなかったのだろう。

 まぁ島田しかり、ー緒に番組に出ていたという青木や白井しかり、こういう小物が喚いてミクロなところで歯向かってみせても、世間は微動だにしない。むしろ強化され、こいつらは置いてきぼりにされる。

 島田のこの ”暗殺成功”や、白井にとって前科であるユーミンは死んだほうが良かった” 発言などに触れるにつけ、他人の命は軽く見るという下司な左翼に脈々と受け継がれる本性を、今更ながら見せつけられた思いがして吐き気がする。

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 一方、吉本隆明がコムデギャルソンを着た時は驚きであった。あまりの似合ってなさにも言葉を失ったが・・・・。

 そこから吉本隆明埴谷雄高との間で「コムデギャルソン論争」が起きるのであるが、左翼の重鎮たちに歯向かう気骨のある奴を装い支持を得てきた漢が、「anan」に出るというのはいかにもまずかった。

 埴谷雄高が「資本主義のぼったくり商品を着ている」、そう吉本を批判した。しかし吉本は開き直った。これこそが大衆であり、これこそが庶民であるのだと。つまり消費社会を肯定したのである。これは当時の左翼にとってショッキングな出来事であった。そもそもギャルソンは庶民の服ではない。吉本は消費社会だけではなく、資本主義をも認めたのではないか、即ち転向したのだと。

 吉本はそれまでも ”生活者” や ”庶民” という言葉を好んで使っていた。そこにはインテリ左翼やボンボン左翼への批判が込められていた。だから彼を支持する者は多かったのだが・・・・。

 当時、吉本を「anan」登場へ手引きしたのは糸井重里ではなかったかと睨んでいた。80年代に左翼に嵌った私のような人間にとって、全共闘学生運動への憧れは薄かった。むしろ糸井のようになっちゃダメだね、というのが共通してあった。

 吉本の転向に糸井が絡んでいたかは今更どうでもいいが、左翼であった人間が資本主義社会と折り合いをつけていくことのやましさを、吉本の転向が慰めることとなった。また、運動に挫折した人たちの正当化にも使われたであろう。私は彼に癒しを求めたことはないが、そういう扱われ方は本人の望むところではなかったはずだ。

 その三年後、吉本の娘が小説家としてデビューを果たした。 ”ああこれかっ!”、私はそう膝を打った。つまり娘のための地均し、餌巻きだったのだと。

 いかにも「キッチン」などを読む手合いは、「anan」の購買層とかぶる。吉本隆明もそれぐらいは余裕で読み切ったうえでのことであろう。つまり娘を思えばこそ、コムデギャルソンを着たのだと。そういえば小田実も娘には実に甘かった。私も娘を持つ親として、その気持ちがわからんでもない。なのでこれ以上難癖をつけるつもりはない。

 島田、吉本の存在は、私が左翼に見切りをつけるトリガーとなった。また先の論争の直後から生まれた脱イデオロギー的な雰囲気は、私が足を洗う際の追い風にもなった。そういう意味では感謝している。

 

 私が左翼に限界を感じたのは、自分が何に対して戦っているのかわからなくなったからだ。打倒日帝の掛け声もそうだが、君が代や日の丸から危うさを感じろ、戦前戦中の日本と向き合えと迫られるのに無理を感じた。わけもなくアメリ力を敵視したり、形のない九条を頑なに守ろうとすることにも意味や意義を見い出せなかった。そもそも九条を押し付けたのはアメリカではないか? そう自問を繰り返してみる。その瞬間にも、叫べ、喚け、踊れ、そして憎め、背後から煽り囃し立ててくる。だが、愛したり悲しむことがそうであるように、怒ることも自分の内側になければそこに意味はない。

 いい加減左翼やリベラルを名乗る者たちは、この国の中に打倒すべき日帝などないこと、”憲法改正=戦前回帰” ではないことを悟るべきだ。何かあれば平気で ”大政翼賛” などと言うのもどうか。あまりにも今の日本人をバカにしていやしないか。だいたい戦前回帰を唱えようという組織など見当たらない。盛って五万人やそこらの棄却域でしかない日本会議あたりをターゲットにするというのではー種のホラー、現実的ではない。

 この国に革命など必要ない。

 誰もそれを待ってなどいない

 昼下がり、陽の光を浴びて公園ではしゃぎ回る子供たちの笑顔から未来への希望と信頼を。深夜、腰のポケットに財布を入れたまま繁華街をたむろする若者たちの姿から今日まで築き上げた揺るぎようのない治安と自治を、それぞれ感ずることができたならば、自ずとそう悟るのではないか。

 嘘を信じ切ろうとすることほど虚しいものはない。ソ連時代のいろんな国々に足を運び、そこに住まう人々に触れそれを痛感した。

 張りぼてに囲まれ、そこで暮らすエキストラたち。彼らは皆、いつかは役が回ってくると信じ生活していた、無名の出演者として。映画の中ならそれも良いだろう。しかし彼らにとってはこれっきりの人生、演技ではないのだ。

 私は左翼であることに我慢ができなくなりその旗を降ろした。逃げたと言われればそうかもしれない。この世に存在しないものの足音に耳を澄ませと脅されるぐらいなら、現実にあるものを見据えた方がましではないか。それがどんなに嫌悪すべき認め難きものであっても、確かめようがあるのならそうすべきと覚悟した。たとえそれがあらゆるものを絡め取り平らげる怪物であってもだ。いっそのこと一度飲み込まれて、中から出口を探すことができるかもしれないと。妄想や幻と戦うぐらいなら、資本主義という現実と向き合ってから、それに怒り、それを憎む方が潔く思えたのだ。

 そんな私ではあるが、先に書いた通り今でも若者の反社会的な志には歓迎の意を示すつもりでいる。反権力、反体制、反資本主義大いに結構。しかし、何に対して牙を剥くのか、そこにだけはしっかりと目を凝らしてほしい。権力とは? 体制とは? 自分たちや次の世代への影響は? それぞれ自分なりの答えをもっておくべきだろう。

 何故ならそういった気持ちは揺れやすく流されやすい。つまりなにかと情緒的になりがちなのだ。雰囲気だけでそうなるのでは、成人式や卒業式で訳もなく暴れる連中と大差ないではないか。

 東京にいた頃、仕事場が国会議事堂に近かったので、ふらっとシールズたちの活動を覗いてみたことがある。しばらくすると、彼らがしばき隊に守られていることが見て取れた。少しがっかりしていると、あろうことか、その屈強な連中が合流しようとする中核派革マルを排除する様が目に入った・・・・。私はその光景を正視することができずその場を後にした。リベラルとやらの正体に思いがけず出会したじろいだのだ。

 元左側に身を置いた人間として、私には今でも左翼の気持ちが痛いほどわかる、そんな時がある。左翼というのは集団主義である。群れなければ資本主義の前で、サラリーマンやその予備軍は無力でしかない。だというのに賛同する人間を篩に掛けようとするとは。それではそこに参加しようとする者たちがどんどん減っていく。元来、集団や群れとは格好の悪いもんである。そこには無自覚で、見栄えだけを整えればライト層が振り向いてくれるとでも思ったのか・・・・ ?

 

 私にとって最愛の映画は灰とダイヤモンドだ。それは十代の頃から変わらない。しかし当時の仲間内で、さすがにこの映画の名を口に出すのは憚られた。反共のテロリストの死ぬ間際の半日を描いた作品だからだ。

 あの頃の若者にとって好きな映画を訊くことは、握手のような一種の儀礼であり、お互いを確かめ合う行為であった。だから「誓いの休暇」でも挙げて褒めておけば概ね合格、そんな感じだった。

 足を洗うと決意した日、覚悟を決めて大好きな映画だとその名を呟いてみた。すると少しの沈黙の後、あの映画は良いよね、と俺も俺もと名乗る者たちが続いた。ああやっぱり、私はそう思うと同時に複雑になった。

 結局のところ、私は左翼でもなんでもなかったのだ。たまたまそこに居合わせただけであった。イデオロギーについて語られるのはうんざりだったし、私のその本音を周りも見透かしていた。しかし私のようなタイプがいると、オルグの時にスムーズになることも多く、そんな自分にも居場所が与えられるのだ、そう己惚れていた。つまりは、私はただの反体制、反権力、反資本主義、もっといえば現実を受け入れられないだけの生意気なクソガキでしかなかったのだ。そしてそんな自分の中身のなさにはいつも幻滅していた。

 「灰とダイヤモンド」に共鳴する彼らも程度の差こそあれ同じなのだろう。早晩彼らもきっとここを去る、そう思うと何故か寂しくなった。

 もう一度書く、左翼とは集団主義である。昔の左翼にはどんなもんでも受け入れるような懐の深さがあった。

 当時の私は夏になると、「ピオネールの子供たち」をナホトカやハバロフスクへ連れていく引率をしていた。わざわざ東京や大阪から新潟までわが子を送り迎えする熱心な父親、その背中には見事に彫り上げられた刺青が・・・・。しかしてそれはごくありふれた光景であった。

 シールズや辺野古で、そして福島で声を上げる人たちは左翼なのだろうか? それともリベラルだと開き直るのか、もしくはそれが進化した形だと胸を張るのであろうか。いずれにしても私に言わせれば詐欺でしかない。それこそ島田が自らをリベラルと名乗るようなものだ。今からでも遅くはない、自分が ”嘘” であることに気付くべきだ。

 

 今、私は資本主義を否定しない。もちろん認めたわけでもない。かれこれ三十年以上サラリーマンを続け、資本主義に漂った末の結論だ。そこに辿り着いたというほどのものでもなく、ただ漠然とそう思うだけだ。

 結局中から出口というような都合の良いものは見つからないままだ。安全地帯みたいなものもなかった。居心地が良いかと訊ねられたら、悪いと即答するだろう。しかし居心地の良い場所が見つかったからといって、そこに居続けるという生き方も違う気がする。

 サラリーマンの嗜みとして、資本主義に従順であるべきだとは思わない。それが行く手を阻めば目を瞑るつもりもない。生活者として都合の悪いものが表れれば、その芽を摘もうとするだろう。まして家族がいる以上、彼女たちを脅かすものがあってはならないと願う。そこから逆算して初めて見えてくるものもあった。視界は広がったかもしれないが、反面、リスクに近づかないよう臆病にもなった。

 そして遂にその時がやって来た。ずっと恐れていたことであった。嫌な予感は当たるものだ。気付かぬ振りをした方が幸せだったかもしれない。しかし敢えて宣言しよう。私は今、敵はそこだと指差せる。それは 新自由主義だと。そしてその背後で蠢くものたちであると。金儲けのためには何でもする、誰とでも組む。そんな厄介な連中が敵なのだと・・・・。

 ”新自由主義” が ”資本主義” の中のものでもあるという意味では、若い頃の見立てが強ち間違っていなかったことになる。しかし残念ながらそれでは50点。厳密に言えば ”新自由主義” と ”資本主義” は切り離すことが可能だからだ。

 資本主義とは英語のようなものだと思っている。英語を数多ある言語の中から世界が公用語としたのは、大英帝国の植民地政策の賜物というだけではなかろう。合理的でシンプルなよくできた言語である点を見逃してはならない。もっと他に便利な言語はあったのかもしれないが、それを探し出すような根気強さを、当時の段階で既に国際社会は持ち合わせていなかった。

 同様な要素が資本主義にもあるように思う。誰にとってもベストな選択でないことは理解している。個が決めるのではなく、集団を束ねるための掟のようなものなのだろう。また問題が多いことにも誰もが気付いている。しかし英語にしたところで、何故あんなに広く多くの国で話されるようになったのか、その過程で何が起きていたのか、そこを知らないとは言わせない。しかしだからといって、もうそこを問われたりしない。英語しかり資本主義しかり、功が多ければ時間がそれを赦すということか。つまり都合の悪いことが起こっても、走りながら手当てしようという道を選んだのだろう。

 英語が自分にとって母国語ではないように、資本主義とは慎重に距離を置いてきた。上手に付き合い使いこなすつもりはなかったし、そんな器量も私にはない。旧植民地の人々が英語を捨てないように、私もそれを否定しない、それだけだ。

 資本主義は旧くから受け継がれているものだ。まだ二百年に満たない社会主義とは年季が違う。ゆえに一度問題が起きるとそれは根深いものとなる。”新自由主義” なる輩を生み出してしまったのは最大の過ち。市場を止めることができない以上、奴らを一掃するのは至難の業である。世代を超えた課題と見なすべきだろう。

 また資本主義は幾つもの層から成り立っている。何度目の上塗りかは知らないが、その一番新しい層、それは後期資本主義や晩期資本主義と言われているのだが、私はそこに噓臭いものを嗅ぎ取っている。敵はそこを棲家にしている。

 まず国家が市場に大手を振って介入するというのはどうなのか。仮に百歩譲ってそれを認めたとして、近年特に無形資産への投資が膨らみ始めたという事象をどう読み取ろう。すでに有形資産へのそれを上回ったともいわれている。ダブついた金の行きつく先ばかりでもないようだ。しかし中には形だけではなく価値も心もないものまで含まれている、そんな気がしてならない。

 一方で新しい資本主義を生み出してみせる、そう嘯く輩がいる。言うまでもなく ”新自由主義” の連中だ。奴らはそれを仕切るつもりでいる。”いかさま賭場の胴元” に、まんまと収まってやろうという魂胆なのだ。

 ”いかさま” の根拠とは何か。それは奴らが、権利や技術、システムにデータだけではなく、”概念” にまで値付けを始めているからだ。またそれを使って価値を置き換える、そんな怪しい動きをみせてもいる。

 私はバブルが再び弾けると警鐘を鳴らしているのではない。もっと壮大な罠が仕掛けられようとしている、そう恐れているのだ。

 例えば、いわゆるSDGsに積極的に取り組む企業は、社会貢献に意欲的な企業として高く評価されるため、消費者や株主、地域などから信頼を得ることができるのだという。まぁそういうものかもしれない。無農薬で育てられた野菜なら少しばかり高くても買うか、そんな消費者心理は間違いなくある。しかしそれは安全で物が良い、という担保や信頼に基づくものである。

 では先の企業の商品やサービスやその価格に対して、肝心な消費者が特に魅力を感じなかった場合どうなる。本来であれば市場に委ね淘汰されるべきところだろう。しかし企業が、自分たちはSDGsに積極的に取り組み、サステナブルな社会に貢献しているのだから、マーケット上の一定のシェアを与えられてしかるべきだと国に訴え出たとしよう。さらには国が渋々それを認め、仕方なく補助金などの名目でその企業に金が流れ込み始めたとしたら・・・・。ありえる話ではないか。この場合財源はもちろん税金であるのだから、消費者は間接的にその気に入らない商品を購入したことになるのだろう。

 こういう話、実はゴロゴロしている。当ブログらしくスポーツ界を例にとってみる。

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 FIFAいわく、

 「日本の放送局に女子サッ力ーの価値を認めてもらい、私たちの試合に見合った対価を支払うように求めたい(本文まま)」。

 まぁ有料記事なので、全部読んだわけではないが、言いたいことはそこに集約されていると思う。ではこれの意味するところは何であろう・・・・・?

 まず頭に入れなければならないこと、それはFIFAが今回のW杯を機に、女子選手への待遇を大幅に改善したこと、

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 8年前の10倍! これは素晴らしいことだと思うし、是非にすべきことであった。またそれをもってしても、男子のそれの足元にも及ばないというのも理解する。しかし男子の場合は、FIFAやそこに群がる広告代理店どもが異様に放映権料を吊り上げた、その結果であることを忘れてはならない。というのに、そこを基準にしたうえで、女子についての放映権料の交渉のテーブルに着けというのはどうなのか?

 誤解していただきたくないのであるが、私は女子W杯の中継をすべきでないと言っているのではない。市場が、今回FIFAの提示する放映権料に見合った価値がW杯女子大会にはないと判断していることを、あまりにも軽視していないか、ということである。

 またこれは日本国内に限った話ではない。

web.gekisaka.jp

 イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスのいわゆる欧州五大リーグのある各国が、先月の段階でいまだに放送局が決まっていなかった。つまりどこの国もが提示された放映権料は高過ぎるという見立てであったのだ。であるというのに、FIFAは対価に見合った放映権を払えと譲らない。まさに市場の原理を無視した、新しい資本主義の形ということになるのであろう。

 本来FIFAがとるべき手は、男子W杯で得た収入を女子W杯開催費用や、賞金、今回改善した女子選手たちの報酬に回すことだ。仮にそれをしたとしても、男子の放映権料で得た収益の数%を還元するにすぎない。にもかかわらずそこには手を付けず、あくまで市場から回収しようという。

 そこでFIFAが繰り出した手、それは、

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 先の五カ国のスポーツ大臣に共同声明を出させたのだ。

 「各国の放送局はFIFAと合意してほしい!」と。

 つまりFIFAは各国のスポーツ大臣たちに、”あなたの国の放送局が、女子W杯において見合った放映権料を支払おうとしないのはどういうことなのか? これはジェンダー平等に背くのではないのか?” そう脅して回り焚き付けたのだろう。まったく言葉を失う・・・・。

 先ほど、後期資本主義において国家が市場にプレイヤーとして加わったと書いたが、そうなってくると、当然こういう事態が起こるのだ。

 そして白旗、

www.ebu.ch

 しかも無料放送・・・・。

 もしNHKがこの流れに従えば、国民の税金や悪名高い受信料から、市場を不当に捻じ曲げ高騰した放映権料を丸呑みしてFIFAに支払った、その末に放送されることとなる。これは最早カツアゲと言っても良いレベル。NHKに新しい資本主義である新自由主義者のやり口と戦う気概などさらさらないであろうから、われわれは知らぬ間に、高い買い物につき合わされたことになるのだろう。奴らのターゲットが国家であり税金である以上、何を言っても後の祭りだ。今後、パラリンピックやフォーミュラEあたりの放映権料に影響が出るのではないか、注目すべきところである。

 整理するならば、新自由主義者は市場に ”概念” を持ち出し、形のないものに付加価値を与え、本来市場で決められるべき値付けを不当に吊り上げたうえで、それをきっちり回収する、という流れ。まったくこれを様式美とせず何をそう讃えよう。

  ”概念” は野に放たれた。既に市場を侵食し始めている。自然破壊、気候変動、反原発、脱炭素、格差是正、LGBTQ、SDGs などなど、後はやりたい放題。新自由主義者たちはそれらの ”概念” を窓にして、市場の向こうに新たなブルーオーシャンを築こうというのだ。その壮大な罠の前では、リベラルや自称リベラルのなんちゃって左翼、カルチャー左派たちは、一人残らず都合の良い宣伝部隊に過ぎない。彼らが騒げば騒ぐほど営業回りに余念がない、といったところだろうか。

 一連の構図は、「何もかもを市場に委ねるべきではない」とする反市場原理主義の美名にも叶う。行き過ぎた資本主義の是正を唱えながらも、その裏で獲物を仕留める手は緩めない。そもそも新自由主義者にとって、自分の思いのままにならない市場など必要ないのだ。いわば ”概念” とは既存の市場を駆逐するための便利な装置なのである。以上、いかさま賭博の意味をご理解いただけたであろうか。

 新自由主義者や彼らの商売のやり口は、マーケットを至上とする資本主義と切り離せると言ったのはその由である。とはいっても旧資本主義を、この私が不本意ながら身を投じることとなった三十年以上に及ぶサラリーマン生活をカタに、赦してやって欲しいなどと言うつもりはない。まさに今こそ振り返り、時代に応じて資本主義がどのようなものであったか検証すべきだと思う。そこから新自由主義なるものが生まれた背景や、その真の狙いにも迫れるはずだ。

 とりもなおさず今、われわれには資本主義しか選択肢がない。そうである以上、ひとまず新自由主義を受け入れるしかないのであろう。”概念” が跳梁跋扈するこの世の中で、若者たちがどのように立ち振舞うのか興味がある。肩を組むのも良し踊るのも良し、斜に構え冷たい視線を投げかけるのも良いだろう。要はそれらをばら撒いた者たちに、そしてその後ろで蠢く存在に気付くべきである、ということに尽きる。

 われわれのレイヤーでは新自由主義者たちの素性を伺い知ることは難しい。更にその上となると論外かもしれない。しかしヒントがないわけではない。例えばSDGsのスローガンである、

 『“地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」”を誓いのことばに、発展途上国・先進国双方が、持続可能な開発を2030年までに目指そうというもの』(2015年9月の国連サミットより抜粋)

 8年前に国連で決めたという ”誓い” も ”期限” も、もはやハッタリで終わりそうだが、この言い回しには覚えがある。

 『先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助けること、富裕層が貧困層を援助することをーつの義務にすること』

 これは鄧小平の先富論だ。似ているそうでないの判断は読み手に任せるとして、申し上げたいのはこちらは世に出て既に四十年もの年月が経とうとしているということ。でっ、肝心の今の中国はどうだ? 誰もが豊かになったのか? 格差が生まれ広がり、赤い貴族たちだけが醜く肥え太っていく・・・・。  

 新自由主義の親玉を中国と決めつけるのはどうかとも思うが、民主主義の甘さや緩さに付け込み、”概念” を盾に既存の秩序への挑戦を仕掛けてきたとしてもおかしくはない。自らはどこよりも先駆けて、統制社会を築き終えた甲斐があるというものだろう。私なぞ、最近つくづくリベラルたちが紅衛兵に見えて仕方がないほどなのだ。

 

 最後にもう一度繰り返す。われわれには資本主義しか選択肢がない。だからこそ新自由主義者たちの仕掛けた罠には注意すべきだ。そこについて、”知ることもなしに知られることもなく”、では拙い。もちろんそれに気づいたからといって、どうなるという話ではないのかもしれないのだが・・・・。

 

 ナチスとの死闘の果てに、ソ連によって蹂躙されたポーランド。”祖国に対する報われない愛の記念に”、そう呟き乾杯を捧げるマチェックのクリスチーナと交わす言葉はどれも哀しい。ノルビットの詩の一節以上に私の胸に刺さった言葉がある。

「・・・・昨日、気がついていれば・・・・」

 私もそんな ”昨日” を、幾十、幾百、幾千と重ねて今に至る。もう手遅れなのかもしれない。しかし希望は決して捨てない。そして希望の光は次の世代に引き継がれる。今日思って明日できることなどない。世代を超えて叶う希望こそ、光輝くものなのだから。