昭和11年に生まれた村山であったが、自分は昭和一桁の気質を継いでいると思っている。兄がまさに昭和一桁であった。その背中を見て育ってきたからなのかもしれない。
進路も希望の大学のセレクションを受けることが叶わず、結局、兄と同じ大学へ進むこととなった。もう少し上手くやれば東京の大学に行けたかもしれない。
”身長を馬鹿正直に言ったのか?!”
監督にそう怒鳴られた。
サバを読めばどうにでもなったのだろう。しかし面倒臭くなってやめた。どこへ行こうとやるのは野球。とにかく不器用な人生を送って来た。野球以外できない自分である。それができなければ存在価値はない。
不動産投資や副業がそこそこ当たったりもしたが、それは欲の無さが幸いしたに過ぎない。むしろ阪神の村山のやることなのか、どこかでいつもそんな風に恥じ入っていた。
自分の最期にしてもそうである。後一つ季節を越していれば、平成も11年でおさらばであった。それが綺麗な最後なのかもしれない。だがその四ヵ月前にケツをまくってやった。自分がいなくなった世の中で、あれこれ自分について言われることに興味はなかった。
そもそも平成の世も生き抜けるような、そんなバイタリティーは自分にはなかった。最期を迎えることとなった病床以上に、昭和が終わりを遂げ平成の世になって自分でも狼狽えるほど心細くなったのを覚えている。ちょうど監督を辞めた年であった。本拠地のはずの甲子園の試合も、まるでビジターで試合を重ねているようで、つまりはいつも口ード。結果なんて出えへんわい。
自分は所詮、昭和の人間。
あの日、初めて口にした煙草に恩賜の印が入っていたから、というわけではないが、殊更昭和という時代に寄掛かるように生きてきた。恐らく同じ世代の人間は、皆程度の差はあれ同じようなもんなのだろう、そう思っている。
あの人はどうなのだろうか・・・・?
きっと平成どころかその先になっても最後まで諦めない、いや、そもそも諦めるなんて知らない男だったな。
村山は自分の裡に再び火が点いたのが判った。
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