ついに開幕の日を迎えた。
第一節の三試合は、阪神 対 ホークス、巨人 対 セリーグ選抜、パリーグ選抜 対 ライオンズ。それぞれ甲子園、東京ドーム、エスコンフィールドで開催される。ドームの二試合はナイターとなる関係で、14時プレーボールの、阪神 対 ホークス が実質的な開幕戦である。
地元甲子園で開幕を迎える阪神の選手たちは、一足先に練習を一通り終えるとグラウンドをホークスに譲り、投手はブルペン、野手は室内練習場に移って最後の調整を行っていた。
メンバー交換は段取り通り、審判員立会いのもとプレーボール五分前に行う。藤本はすべてわしの頭の中にあるとして、一向にメンバー表を書こうとしなかった。関係者やスポーツ紙のキャップクラスには慣例としてカンニングさせるものであったが、藤本はそれを断った。おそらくスタメンに名を連ねるであろう各選手に対しても同様なのであろう。
全員に最初から試合に入ってもらわなあかんからな、藤本はそうもっともらしい屁理屈をこねた。村山は藤本の頭の中のことはわかっているつもりでいたので、特に気にはならなかった。
鶴岡の打者の ” 格 ” を示すロジックに沿って言うなら、クリンナップは、ベスト二シーズンの平均が、+42の掛布、+122の田淵、+88のバースの並びになるはずであった。

藤本が宣言した開幕四番サード藤村は、いうまでもなくブラフである。おそらく景浦と六番、七番あたりに落ち着くと見ていた。
藤本は合同練習の最初から藤村には何かと声をかけ気を遣っている。スポーツ紙の見出しを賑わせた顛末については、すでにしっかりと握っているはずであった。
藤村の打撃はいつかの野村の指摘通り、ポイントが前なので手元で微妙に変化させる今の野球へのアジャストは難しいと思われた。事実、特打などで自由に打たせると快打を連発しても、実戦を想定したケースバッティングになるとその鳴りを潜めた。
そこは誰よりも藤村自身が理解しているはずである。仮にクリンナップを外れたとしても、へそを曲げるとは思えなかった。

一方のホークスがどのような打順を組んでくるのか、はたして藤本の謀は成功を収めるのであろうか。そして野村が四番捕手なのか、それとも六番DHなのか、もしくはそれ以外なのか。いろんな切り口で仮想された。そこは投手としてマウンドに上がる際に左右される。
いずれにしてもすでに水面下では激しい鍔迫り合いが繰り広げられていて、その結果がもうすぐ判る。鶴岡の話を手の内として藤本に伝えた張本人としても、その戦いの行方が気になり、同時にいくばくかの責任を感じていた。
野手が室内練習場から戻って来た。ストッパーの村山は立ち上がって彼らに席を譲る。そしてベンチの向かって右端、一番ホームに近いいつもの場所に腰を据え、おもむろにペンを持った藤本へ近づいてみる。見世物やないで、と言って睨み返してきたがメンバー表を隠そうとはしなかった。

村山が思い描いた通りのメンバーであった。藤本は奥にいる岡田に対して、準備はできているかと呼びかけた。岡田は無言で肯いた。藤本はそれを確認するとベンチを出た。岡田はスタメンを外れ、このゲームは参謀に徹するようである。おそらく三塁コーチャーを任せるのだろう。
藤本は岡田に、メンバーを交換した直後の鶴岡の表情をしっかりと見ておくようにと命じていた。岡田は球団職員を数人駆り出し、内野、外野のスタンド最前列に配し複数のスマホでいろんな角度から鶴岡の表情を撮り、その動画をオンラインでベンチに送るよう指示を出していた。そしてそれをベンチの奥で、一台のPCから眺める手筈であった。
メンバーを交換し、記念写真を終えた藤本がゆっくりと戻ってくる。いつの間にかブルペンから駆け付けた田淵が、どうでしたと訊く。村山も藤本の傍らへ腰掛ける。藤本はとくに表情を変えず、よしよしとだけ言った。

掛布は藤本の表情を見ただけで満足したのか、バットを持ち出しベンチの隅に移動してグリップを確認する。その横で真弓も足下に並べた数本のバットのフィーリングを確かめている。
吉田はベンチの壁に当てたボールをグラブに収めては、その度に土手の部分を右指で揉み慣らす。それを尻目にバースは脇で、対戦投手のデータが記されたノートにひたすら目を通す。
赤星と今岡は隣り合ってベンチに座り、お手玉をするようにボールを至近距離から投げ合い、反射神経と動体視力のチェックをしている。
藤村はベンチを出て、時折、スタンドからの声援に対して照れくさそうに手を振りながらも、入念にストレッチを繰り返してみせる。その相手をしているのは関川であった。
そして景浦は、ベンチの中央で一人、目を閉じ腕を組み身動きーつせず瞑想しているようである。それぞれがそれぞれの形で、腕を撫し戦いを迎えようとしていた。

将である藤本はグラウンドに目を向けたまま、背中にいる岡田に ” どうだった? ” と声を掛ける。
「どの角度からも、とくに鶴岡さんの表情が変わったことは確認できませんでした。」
岡田は後ろから端末を渡し、画面に映し出されている動画を藤本に見せる。村山も藤本の肩越しにそのPCを視た。特に表情は変えず、メンバー交換の瞬間、うんうんと小刻みに肯く鶴岡の胸から上の姿を、五つの角度から収められたものがーつの画面で再生されていた。
藤本は岡田に振り返ると肩に手をやり目の前に招き入れた。重要な話をする時の藤本の癖である。隣の村山も耳を傾けた。
「野村さんと鶴岡さんのやりとりがあれば、なるべく近くで見るようにします。」
意外にも話し始めたのは岡田の方からであった。
「いや、野村が鶴岡へ進言したとしても、それを受け入れるとは思えん。むしろ蔭山の動きに注意しろ。」
鶴岡がそう言うと ” 判るな ” と念押しをして岡田の肩を叩く。岡田は ” はい ” とだけ答えると、また奥へと下がり、再びホークスのベンチの動きを映し続ける動画を眺め始めた。
なぜ蔭山なのか、村山にはわからなかった。藤本、蔭山、岡田・・・・。三人とも奇しくも早稲田である。恐らく何かあるに違いない。

「鶴岡さんは野村の話を受け入れないんですね。」
小声で隣の藤本に囁きかけてみた。
「同じことを考えていたなら訊く、それだけや。」
「つまりは訊かない、ってことでしょ。」
村山がそう言うと、藤本はいったん押し黙った。そしてグラウンドだけを真っ直ぐに見つめ口を開いた。
「野村は鶴岡のコピーや。しかもデキの良いコピーとは言い難い。だから耳を傾ける必要はない。
でも野村には動いてもらわないかん。同じようなのが、ベンチにもう一人いたら、それだけで鶴岡はやりずらいはずやからな。」
まるで独り言であった。もう隣にいる村山のことなど眼中にはない、そんな気配だ。試合を目前に控え、少なくとも藤本の心はここにはないようであった。
ナインがグラウンドに散った。懐かしい顔が、姿が、甲子園に帰ってきた。そして先発の小山が一番最後に、一番高い場所へと向かう。大歓声が捲曲となってスタンドを覆う。甲子園独自の異様な雰囲気がベンチにいてもひしひしと伝わってくる。いよいよ試合が始まる、村山は息を飲んだ。

ほぼ無人となったベンチで、藤本は再び独り言を始める。
「人間というのは欲望に正直や。ーつ叶えばもうーつ欲しくなる。
四番キャッチャーを叶えた野村は、捕手としての局地戦だけでは物足りなくなる。
必ず野村はゲームを自分で動かしたくなり、鶴岡から指揮が欲しくなる。チームを勝たせるという美名のもとにな。
しかし鶴岡が譲るわけはない。そこで野村は蔭山を通して、鶴岡からそれを奪い取ろうとする、その隙を狙う。」
そこまで呟くと隣の村山に向き直り、
「試合の展開は思ったより速くなる。いっぺん肩を作ってこい!」
藤本は村山をブルペンへ行くよう命じた。
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