Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

『球界転生』 #27

 ベンチへ戻ってきた江夏のユニフォームの胸倉を藤本は捩じり上げ、” 貴様、あれだけ初球を・・・・”、そこまで叫んだところで田淵が割って入った。

 「スイマセン、野村さんへの初球は慎重に行き過ぎて、僕のミスです・・・・。

 藤本は田淵には構わずなおも江夏を睨みつけ、” 言いたいことがあるんやったら言ってみろ! ” と攻め立てた。すでにマウンドを降りている小山が、江夏をベンチの脇に連れていく。

 「俺はおまえたちを信じる、最後の最後までなっ!

 怒気を露わにして江夏の背中に向かってそう言うと、藤本はもう一度帽子を叩きつけ、行き場のない怒りをぶつけた。そして踵を返し背番号61を選手たちに向けると元の位置へと戻った。関川がそれを拾うと、黒子のように藤本へと走って持って行く。阪神ベンチに緊張が走ったのは間違いなかった。

 藤本と江夏の一連の姿は、途中までスコアボードの脇の大型スクリーンに映し出され、甲子園に今日一番のどよめきが起こった。そんななか、岡田は一人瓢々と三塁コーチャーボックスへと向かい、三塁ベンチがどんな反応をしているのか早速伺う。阪神さん、焦り出したで、おそらくそんな感じなのであろう。岡田はそれを確認すると何事もなかったように、 ” いやいや、いつものことやで ” と少し離れている三塁塁審に笑いかけた。

 四回の裏、南海の伝説の大エース杉浦の登板に甲子園も湧いた。それを感じ取った杉浦は利発で人の良い銀行員のような笑顔を浮かべ、帽子をとって三塁側だけではなく一塁側にも挨拶をしてみせた。殊勲を上げた野村も隣でスタンドの雰囲気に満足している。ますます流れはホークスへと偏って行くようだ。

 

 先頭バースの当たりは会心の一撃であった。誰もがホームランと確信したが少し確度が足らなかったのか、それとも強烈な浜風をまともに受けたせいか右中間最深部のフェンス直撃で終わった。バースは二塁上で太い両腕を波立たせ手のひらを打ち悔しがる。スタンドはバースが打ったと湧き上がる。だが一部のコアなファンは腕を組み、スコアボードの最上部、時計の上に立つ日章旗を睨んでいた。

 野村がすかさずホームの前で両手を広げて、 ” オッケーオッケー! ” と叫んでナインを落ち着かせる。三点差、フェンスオーバーでなければオールオッケーである。両チームの勢いがいろんなとこに出始めたと、トラキチたちの恨み節は止まらなかった。

 杉浦は野村の一言で落ち着いたのか、文字通り背中から来るカーブで景浦、藤村を見逃し三振に切って取る。勢いに乗った杉浦の前に、腰砕けになった今岡の打球が力なく一塁側スタンドに向かって飛んだ、はずであった。これがまた強い浜風に煽られ戻ってくる。なんなく松中のミットに収まり序盤の攻防が終わった。

 

 五回表、江夏が八番蔭山からの三人を、すべてストレートで三振に斬って取るとにわかにゲームの流れが加速し始める。阪神はその流れを少しでも緩め、そしてこちらに向かってくるようにと足掻く。

 先頭の真弓は杉浦のカーブを打ち返そうとするのを半ば諦め、セーフティーティーバントを三塁前に転がし出塁すると、赤星も粘って四球をもぎ取る。ノーアウトー二塁という絶好のチャンス。吉田がしっかりと送ってー死二三塁。甲子園の盛り上がりは最高潮に達した。

 万雷の掛布コールに迎えられて打席に立った掛布であったが、気負ったのからしくない初球打ちに出た。すると打球はライトへ上がる。犠牲フライには十分と思われたが、これも浜風が押し戻す。頼りない足取りの門田が、数歩バックしてから一転、こちらに向かって走り出す。捕球と同時にそのままの体勢で中継の蔭山へ、そして一直線で野村へバックホーム。本塁を狙った真弓のスライディングを待つまでもなくダブルプレーが成立した。

 門田が後ろから蔭山に抱きつき、それを野村がマウンドまで出迎える。野手も投手もグラウンドに残りそこに合流する。最後は鶴岡までベンチを飛び出て待ち受ける。自然とできたナインの輪が、ホークスの強さをなにより雄弁に物語っていた。

 「真弓、ぶちかまさんかい!!

 一塁ベンチ後方からヤジが飛ぶ。せめて勝利への気概を示せ、その願いの表れであった。阪神の選手たちはそのヤジに煽り立てられるようにベンチから腰を上げる。三塁コーチボックスからはホークスの輪を横目に眺めながら戻ってきた岡田が、 ” 真ん中で蔭山さんと野村さん、握手してましたわ ” 、といつもの調子で首を小刻みに振りながらぼやくように藤本に報告する。

 「風向きそのうち変わる。」

 藤本は精一杯そう強がって見せるのであった。

 



 

 六回表、江夏が二番新井、三番松中、四番野村を撫で斬りにする。ファンはやんやの喝さいを上げながらも、腹の中では誰もが野村の初球を悔やんでいた。

 その裏一死後、右下手投げが得意なバースが今度こそはという大飛球を放つ。まずは大歓声が浜風に抗う。しかし願いは届かず打球は右中間のフェンスの上の鉄の網を直撃。クッションボールは不規則にライト方向に転がり、逆をつかれた門田が必死に追いかけ返球する。脚の遅いバースでも立ったまま三塁へ到達した。

 陽光に温められた陸の空気が雲を押し上げると、その隙を埋めるようにまだまだ冷たい海の風が甲子園のライトから三塁側に向かって容赦なく吹き込む。この季節は大きな雨雲でも来ない限り、この風は夜になろうがやむことはない。どんだけ風が邪魔するねん、怒りさえ覚えるもチャンステーマが始まれば、ファンは笑顔になって歌い、そして拳を突き上げた。

 次の打者は景浦、藤村である。ここまで打ちそうな雰囲気はまったくない。

 「こぉぅらぁー、岡田ーぁ、おまえが出ろー!

 「なんでおまえがコーチャーやってんねん!!

 代打を要求する声が次々に飛んだ。藤本にまったくそれらを相手にする気配はい。至って冷静に景浦に対し胸を触ってブロックサインを送る。

 「景浦ーぁ、スクイズやれーっ!

 「あほ、三塁バースやんけ!!

 伝説の選手であってもお構いなしである。不穏な空気が混ざり合い、スタンドの手を打つリズムが微妙にズレる。それが伝わったのか、景浦、藤村は三塁ランナーを一歩も動かせないまま、再び 杉浦ー野村 南海が誇る黄金のバッテリーの手玉に取られて六回も終わった。

 

 七回表、ホークスのラッキーセブンの攻撃は門田からであった。当然のように田村がマウンドに上がる。左のサイドスローやや下から来るスライダーに手も足も出ず見逃し三振。すると五番の城島を迎え、すかさず中西へとスイッチ。だが得意のドロップの落ち際を見事に拾われて打球はレフト線を襲った。一死二塁、ホークス追加点のチャンス。藤本はベンチを出て小久保の申告敬遠と小林の名を告げた。

 小林はとてもスポーツ選手とは思えない細身の体を鞭のように撓らせて蔭山、広瀬を抑えて見せる。久しぶりに迎えたホークスのチャンを凌いだことで、多くの阪神ファンたちは流れが来たとラッキーセブンに胸を躍らせた。

 

 七回裏、ホークスのマウンドには皆川が上がる。この投手なら行けると応援のボルテージも上がったが、今岡、真弓はタイミングを外されあっさり二死となる。八回、九回には和田、杉内が控えていることを思うと、まさに絶体絶命であった。阪神ベンチに張り詰める糸はさらに高い音を立てて軋み始める。一方ホークスファンは、ひとまず後ーつと指を折った。

 赤星が粘って三遊間をしぶとく割ってー塁に出た。すかさず藤本は三塁コーチャーの岡田を睨む。岡田はさりげなく振り返り三塁ベンチをのぞき込んだ。そして向き直ると胸の Tigers の六文字の中の ” g ” を、そして次に ” t ” を触った。藤本はそれを ” go through ” であると理解し、次の吉田にヒットエンドランのサインを送る。

 吉田はおあつらえ向きのスライダーを一二塁間に転がし、あっという間に一、三塁のチャンスが掛布の前で出来上がった。何度目のチャンスかはもう数えないぞとばかりに、余力のすべてを掛布コールに託すと、それは銀傘でこだまし重低音を伴なって足下を這うように走る。ここで決めろという祈りの音が、四方八方からやってきてグラウンドでぶつかり合う。

 

 一三塁のチャンスと見るか、それとももう二死であると見るのか、選手も、そしてファンも、野球観や度量が試される場面である。今甲子園に居合わせるすべての人々がその間で揺れている。捕手と内野がマウンドに集まった。ホークスの選手たちの頭の中にまず浮かぶのは、後ろには和田、杉内がいる、ということである。

 野村は輪の中で ” あとーつ、あとーつで勝てる ” 、そう何度も繰り返した。もちろんそこまではみんなわかっている。もともと七回は、皆川、スタンカ、佐藤道の三人でワンアウトずつで良かった。なまじ先頭の今岡を危なげなく抑えたものだから、結果的に皆川をここまで引っ張った。しかし今となってはそこが問題ではない。七回を予定していた三人が、みな右であることなのだ。このまま続投か、それとも誰かをマウンドに上げるべきか。蔭山も広瀬も松中も小久保も、言葉を飲み込んだ。 

 野村がミットで顔半分を覆い、蔭山に話しかけている。蔭山はうんうんと肯き、ベンチの鶴岡に目をやる。鶴岡はベンチにどかりと腰を下ろし脚まで組んでいる。

 皆川続投・・・・。

 左の掛布に右アンダーの皆川・・・・。

 臭いところを突き、手を出してくれるのを待つ・・・・。

 最初から田淵勝負・・・・。

 田淵にスタンカで力勝負・・・・。

 いろんな考えが交錯する。それらすべては皮算用である。蔭山がグラブを持つ腕のユニフォームをさかんに触りながら、鶴岡にアピールを繰り返している。それを目ざとく見止めた岡田が胸の ” S ” の字を触り藤本を見る。

 " southpaw "

 「和田か・・・・。

 藤本はそう呟くと立ち上がり掛布を呼び寄せた。ベンチを出た藤本に気付いた掛布が歩み寄る。藤本は掛布に一言、二言いうとベンチに戻り、元の位置に腰掛けた。

 鶴岡も藤本とほぼ同じタイミングでベンチを出ると、球審に声をかけ、そのままマウンドに上がり皆川の背中を叩く。皆川はボールを鶴岡に渡すと、蔭山や野村と言葉を交わしベンチに下がった。

 和田が七回二死からマウンドに立つ。それは回跨ぎを意味している。野村が豪語する ” 八回和田 - 九回杉内 ” 、左腕二人の絶対的な勝ちパターン。これが崩れたのか、崩れるのか、いや、あくまで前倒しに過ぎず勝ちパターンのままなのか・・・・。

 鶴岡は特に誰とも話を交わすこともなく、和田がやってくるのをひたすら待っていた。野村は蔭山、広瀬と三人で話し込んでいる。肩を作るのに少し時間を掛けたのか、ようやく和田がマウンドに上がってくると、鶴岡はボールを渡し右肩に手をやるとベンチへ戻っていった。



 

 

 掛布はネクストで和田のフォームに合わせてタイミングを図りながら、藤本から託された言葉を繰り返す。

 ” 狙い球を決めてフルスイング ”。

 追い込まれたら反応で打つしかない。指示通りそこまではボールを絞る。それがストレートなのかスライダーなのか・・・・。スライダーは必ず来る、しかし仕留める自信はなかった。であればストレートー本を待つ。自分の気持ちがどこにあるのか、掛布は探っていた。

 

 

 

 掛布への初球はアウトコースへのスライダーであった。やや甘かったが、仮に狙っても打てたかどうか。和田の右肩はまったく開かずこちらに向かってきて、開いたと思っても腕は左肩の奥にあってまだ見えない。やっと見えたと思ったら想定よりも低く出てきて、なのにしっかりとボールを上から叩いてくる。これは確かに初見では打てないぞと掛布は舌を巻いた。

 「どうや掛布、打てへんやろ!?

 野村が毒づくように言う。掛布は打席に集中しようといつものルーチンを繰り返した。

 二球目は同じスライダーをやや外に持ってきた。ボール球で誘ってきたのであった。こちらの反応を見るためのものでもある。ストレート狙いはこれでバレた。だが、それでも次はインコースにストレートだとも思った。

 この風で長打はない。最悪ライト前でも上等、バッテリーはそう思っている。ならば必ずインコースにベストのストレートが来る。こっちもライト前で御の字。掛布はストレートに狙いを定めフルスイングしてみせると誓った。

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