Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

『球界転生』 #19

 あの日以降ほぼ毎晩、19時になると田淵から電話があった。会話は三十分ほどだが、そこから得る情報に触れるたびに、プレシーズントーナメントが刻々と近づいていることを村山は肌で感じた。だが、具体的に開幕がいつなのかはまだわからないのだという。

 

 世間に対しても、同様に日程の詳細は差し控えているようだ。 「 リアルとバーチャルの融合、究極のXR空間。次世代仮想現実の実証実験 」 であるがゆえに、という逃げ口上を添えて。

 

 公式に延期を繰り返す一方で、裏で何かが起きているのではないかと世間も勘づき始めていた。 SNSなどでは、そういった不透明な部分について、バーチャル側の環境や構造、もしくは状態になんらかの問題が発生したのではないかと騒がれ出した。

 

 

 つまり村山たちはあくまでバーチャルであって、現代の科学と技術の粋を尽くして球場などに創設される空間の中でのみで存在し、そこに映し出されるいわば幻。観客や視聴者はそれをVRゴーグルなどを装着することなく、あたかも現実のように体験できる、それこそが今回のプレシーズンマッチの最大の醍醐味だとされていた。

 そしてその空間を作り出す技術になんらかの不具合が生じているのではないか、そう憶測されているようであった。

 どうやらわれわれは幻であるらしい。そうでなければ、人権や倫理の枠を越えて大問題になることは十分に理解できる。だが、村山はどうしてもそこに複雑な思いを抱かないわけにはいかなかった。

 田淵の情報のなかでもうーつ気になったのが、巨人は他チームに先駆けてすでに顔合わせを行い、 ミーティングもしているというものであった。親会社である大手メディアが総力を挙げてその実現に尽力し、同時にチームに対して必ず優勝せよと厳命を下したようだ。さもありなんである。昔からそのあたりには抜かりがない。むしろ村山の身は引き締まり血が騒ぐ。戦いのための準備に持って来いであった。

 

 藤本はといえば、村山からあの話を早く訊きたいと珍しく急いているらしい。普段は冷静な方なのに、そこだけは特別のようだと田淵は訝しく思っている。

 ” どうしてそこまでホークスのことばかり気になるのでしょうか ” と問うので、 どう応えようかあぐねていると、” やっぱり鶴岡さんなんですかね ”と言ってため息をつく。そして ” よっぽど巨人の方が厄介だと思うんだけど ” と続けた。最後に ” 相性ってあるもんですね ” とつぶやいた。

 「藤本さんは、鶴岡さんの恐ろしさを一番知っているんやろ。

 「恐ろしさ・・・・?

 「まぁな・・・・、おまえが必要以上に怖がることはない。

 村山はそれ以上を語らなかった。いや語るわけにはいかなかった。

 「藤本さんにはこう言ってくれ。鶴岡さんの手の内について、必ずお伝えするとな。

 田淵はよろしくお願いします、と締めくくった。

 

 村山の中で、藤本と鶴岡を巡りいろんなことが思い返された。その一つ一つを、まるで古い写真を眺めるように回想していた。

 藤本はよく巨人の監督である川上のことをテツと呼び捨て、伝統の一戦になると阪神のベンチ前に呼びつけることもしばしばであった。挨拶に来いというわけである。

 それは巨人へのコンプレックスに苛まれる自分たち阪神の選手に対するデモンストレーションなのだと、誰もが気付いていた。そこまでしなくてもと思う反面、藤本がそれをしてくれることで、宿敵を前にして昂った気持ちが落ち着くのは間違いなかった。

 

 だから村山は、藤本が川上を見下すような悪口を言い出しても、また始まったと、その内容についてまでいちいち吟味することはなかった。だからその日も、最初はいつものことだと思っていた。

 昭和39年の夏、首位を独走していた三原大洋が七連敗を喫すると、にわかに阪神にも優勝の目が現れた。首脳陣や選手以上に、まずは番記者がそわそわし始める。村山は自分のできることをしっかりすれば良い、そこに集中しようと覚悟を決めた。なにより巨人の調子が上がってこないことで、心のなかにゆとりのようなものがあった。

 むしろ気になるのは金田の去就であった。国鉄が給料を払えないと放出を仄めかし、当然のように巨人が狙っていると囁かれはじめた。来年から巨人に金田が加わるのであろう。このペナントの展開も今年限りの束の間のものかと少し憂鬱になった。

 藤本はこの噂を歓迎していた。投手の給料の相場が上がれば、おまえらも美味し目に遭うかもしれんやないか、そう言って笑うのである。

 これだから元巨人の人間はと、村山はなかば呆れていた。藤本は自分の直系の弟子にあたる三原とのペナント争いに自信があるのか機嫌の良いことが多くなった。村山はそこも気に入らなかった。

 



 甲子園を高校野球に明け渡す前の三連戦の頭、先発の村山は外野でしっかり走り込み汗をかいた後、ベンチを経由してロッカーへ向かおうとすると、そこには記者たちに対して声を荒げる藤本がいた。これから死のロードを迎えるだけに、お爺ちゃんの腹の居所もさすがに悪くなったかと、村山は遠目に眺めていた。

 するとドラフトという聞き慣れない言葉が出てきた。なんでも昨日行われたパリーグのオーナー会議のなかで、来年導入に向けて明確な動きがあったことに、藤本は憤りを感じているようだった。

 上尾高の山崎という少年に、東京オリオンズが 5,000 万という破格の契約金を提示したことが、 ドラフト導入のトリガーを引いた。どの球団も高騰する新人選手の契約金の捻出には苦労している。球団関係者であれば、誰もがわかっていることだ。

 しかし藤本は、こんな制度を導入したら、選手の給料はいつまでたっても上がらんやないかと吠えているのであった。村山は、まぁ監督が選手のことを考えてくれているのなら、結構なことやないかとロッカーへ向かった。

 

 着替えてからベンチに戻ると、藤本は一人になってもなお、グチグチと言い募り怒りが収まらない様子であった。まぁまぁと村山がいなすと、” 俺はおまえらの待遇のことを考えているんやぞ ” と再び声を荒げた。

 「どいつもこいつも、これが導入されてや、それで川上が巨人の監督をしている限り、おまえたち野球選手の給料は上がらへん。

 と捲し立てた。

 また川上の話か始まったな、と諦めてグラウンドに出た。真夏の日差しが真上から容赦なく照り付ける。もう少し日影にいたかったのにと村山は臍をかんだ。

 

 その試合阪神は快勝したが、藤本の機嫌はあまり上がってはこなかった。村山は自分たちの給料と川上がどうして関係あるのかが腑に落ちず、藤本が記者の囲みから解けるのを待ってそれとなく訊くことにした。

 すると藤本は、 ” 川上では力不足なんや ” そう言って肩を落とした。いったいなんの力なのか、そこまでがっかりすることかよと更なる違和感を覚えた村山は、素直にその疑間を口にして見た。すると藤本は、おまえは何もわかってないと切り捨て、 ” 川上は巨人を強くはするやろう。しかしそれだけや・・・・。監督としての力も、選手への想いも足りない ” と吐き出すように言い、そして、

 「巨人の監督には・・・・、鶴岡がなるべきなんや。

 はっきりそう告げると、廊下を歩き出した。

 村山はその突飛ともとれる言葉に、意味が分からず食い下がって理由を訊ねた。すると、

 「あいつには政治力がある・・・・。だが川上にはない、そういうことや。

 ・・・・まぁ・・・、俺にもないけどや・・・・。

 力なく笑って見せ、監督室へ去っていった。

 

 巨人は翌年から王朝ともいえる長期にわたる黄金時代を迎えた。不滅の金字塔である九連覇を果たしたそのオフ、長嶋は年俸 4,920 万で更改する。明けて昭和49年に引退することとなる長嶋にとって、最期の契約であった。

 

 その十年前にプロ入りした埼玉の高校生の契約金の額など、世間はすっかり忘れているのであった。

 

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