Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

『球界転生』 #18

 「わしが南海に入団したのが昭和15年、おまえはいくつやった?

 鶴岡はあらたまるように訊ねた。

 村山が ” まだ四歳の年ですね ” と返すと、” 自分のベストはあの年やった ” と煙草を吹かしながら懐かしんだ。

 「翌年には応招や、しかもそこから五年やで・・・・・。

 もし後二、三年できたら、もう少し打者として球史に爪痕を残せたものの、とは思うな。

 そう言って笑った。先の戦争の重さゆえ、鶴岡の表情を伺うことが憚られ、村山はテーブルの板目に眼を落とした。

 

 「鶴岡さんは入団してすぐにタイトルを獲られたと伺っています。

 村山は少しでも場を明るくしようと、聞きかじった話をここぞとばかりに言ってみた。すると鶴岡は、 ” ああ、ホームラン王な。でも、レベルが低かった。これがプロ野球かいなと思ったぐらいや ” そうあっさり返って来る。

 ” 鶴岡さん目当てで女性観客が増えたとも聞きましたよ ”となおも食い下がると、 ”   いやいや、当時は女性はタダやった、それだけや ” と取りつくしまもない。この話はもう少し早いタイミングですべきだったかと村山は後悔していた。

 「MVPももらったこともあるけどな。あれは投票や。徳は積んでたからな、わしは選挙は強いんやで。政治家になれば良かったかもしれんな。仕事間違ったわ。

 鶴岡はそう言って笑ってみせた。

 

 「茶色のバットをつこてたんやで。入った年から、戦後のはじめも。

 「茶色・・・・。

 「ああ、なるべく禿げないニスを塗るとそんな色になる。しかしあれは下らんかった・・・・。

 「下らん・・・・?

 村山は思わず聞き返した。

 「ああ、東京にな・・・・。

 まぁ、赤は判る、赤はな、まだ・・・・。それが青まで・・・・。

 やっぱり東京なんやろな。

 川上さんと大下さんの話をしていることまではわかった。だがそれ以上の鶴岡の含むところが掬いきれない。

 「大阪の茶色はあかん、そういうことや。こっちは戦前から一貫してやっとんのにや。あっちは戦後にぽっと出てやり始めただけやで。

 煙草を荒ぽく吹かすと、それを灰皿に押し付けた。

 「その点物干し竿はようやったな、はははっ。あのおっさん、子供の頃から凄かったんや。

 最後に藤村の話をすると黙った。

 

 鶴岡は川上や大下を長嶋と王に、そして自分を野村に準えているのだろか。村山は酔いの回った頭の中でふとそんなことを思い浮かべていた。

 

 「オリンピックが来年始まる。なにもかもが東京に集まる・・・・。

 だからこそ、ここで阪神と南海が盛り上げなあかん、そうやろ。

 ほなら、このあたりでお開きにするか?

 そう言って鶴岡はすっと立ち上がった。まったく酔った気配はない。

 飲みつけない日本酒のせいで足元が覚束ない村山は、煙に巻かれたような気分で鶴岡を見つめていた。

 

 

 店を出ると、タクシーがすでに待っていた。後ろのドアが勝手に開き、乗り込もうとする鶴岡を、村山は最敬礼で見送る。すると鶴岡は思い出したように振り返り、 ” 村山、名前は元に戻しとけ ” 、そう言ってこちらを見つめた。

 「親からもらった名前やで。せやろ。

 鶴岡のその一言で、酔いは吹っ飛び身体が硬まってしまい何も言えなくなった。

 村山はその年、度重なる怪我に嫌気がさし、名前を昌史に変えていたのだ。

 直立不動の村山を他所に、 ” 実は俺もなぁ、苗字を変えとった。婿に入ったんや ”  、鶴岡は軽く肯く。

 「それからいろいろあってな、元へ戻した・・・・。特にええことはなかったしな。

 それに勝負師っちゅうもんは迷わんもんや。いや、迷っても、それを外へ出したらあかん・・・、せやろ。

 そう言って笑った。

 村山は ” はい ” とだけ返した。それ以上は口が動かない。

 鶴岡は最後に、 ” かみさんは大切にせなあかんぞ ” とだけ言ってタクシーに乗り込んだ。

 村山は ” ありがとうございました ” ともう一度深々と頭を下げ、車を見送った。

 

 酒どころか血の気すら失せた村山の肩を、雨なのか霙なのかが軽く叩く。見上げるとネオンの薄明りの中、肉眼でもわかるほどの大きさの無数の粒が降ってくる。足下からは容赦なく冷気が這い上がってきた。

 もしかすると雪になるかもしれないと村山は思った。

 ” 初雪や、吉兆やで!

 鶴岡なら、きっとそう言うのだろう。

 考え方や物の捉え方ひとつで、人は幸せになったり不幸になったりするものなのかもしれない。だが残念ながら、今の自分には雨がお似合いだ。だがいつかはすべてを背負い、たとえ身動きがとれなくなってさえ笑って先頭を切り、陽の当たる場所を目指すぞと仲間を引き連れ進んでいける、そんな鶴岡のような男になりたい、村山はそう思うようになっていた。

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