打者の評価は難しい、はたしてありきたりの指標で語れるのか。鶴岡のその見立てに間違いはない。
たとえば打席に100も立ってない選手に三割打ったと胸を張られても、何本ヒットを打ったのだと問うほかはない。
シーズン130本のヒット打ってさえも、単打専門だとこれまた困る。
” そういう選手に限って、脚も遅いもんやで ”、そう鶴岡は笑った。

「ところがや、 ” 監督、僕は三割でヒットを130本も打ってます ”って言いやがるんや。」
また誰かの口真似をしながら言う。鶴岡が饒舌になっていくのが村山にも分かった。酒が良い具合で回ってきたのだろうか。
鶴岡はそこで塁打を引き合いに出すのだと言う。塁打から安打を引いたらどうなるか? なんにも残らなかったら全部単打ということだろう。残りが多ければ、ヒットだけではなく長打も打ったのだな、初めてそうなる。

村山は思わず ” 確かに ” と呟く。自然、鶴岡のペースに、そして話のなかへ入っていくようであった。
「僕はバッターじゃないんで専門的なことは判りませんが、数字が高い方がいいのなら、結局打席にたくさん立てる打者の方が有利になりませんか? 下位でしっかり仕事をこなす選手もいます。」
「その通りや。鋭いやないか。」
鶴岡は胡坐をかいた膝を文字通り打ってみせた。ますます上機嫌になっていくようであった。
「契約更改でも、たまにそこを突いてくるのがおる。トップバッターと下位を打つ打者では、同じレギュラーでもシーズンを通せば100は打数が違ってくるからな。数字が低いのは、僕を上位に置かない監督のせいですよときやがる。
出番が少ないのをこっちのせいするんやからたまったもんやないわ。」
そこで打数からその数字を引いてやるのだと鶴岡は続けた。

数字が低いのが納得いかないのなら、自分に与えられた打数から引くのだから文句はないだろうと。そうすれば割り算をしなくても、だいたい出番に応じた数字に均れてくる。
たくさん出番を与えられた打者がヒットを多く打っているのが気に入らないのなら、同じように打数からヒット数を引いたうえで、残った数字で勝負をしろと。これで文句は消え、下位バッターでも納得するのだという。
話は打点と本塁打へ移った。
打点から本塁打を引いて、これもたくさん残っていたら貢献度は高い。ソロだけではなく、ランナー置いている場面でホームランはもちろん、タイムリーも打ったとなる。

「なのでこの二つの数字を足してやって、高かったならようやってくれはった、給料を上げましょうとな。」

そういって鶴岡は、どうやとこちらを伺う。
村山は ” なるほど ” と言ってみせ、少し考えたふりをしてから浮かんでいた疑問を口にした。
「でもね鶴岡さん、長嶋や王のように、ランナーがたまると勝負を避けられるケースもあります。あの二人、ほんとはもっとヒットも打点もホームランも、稼げるはずの強打者です。だからこそ投手は逃げる。ホームランを四球に化かすんです。」
すると、待ってましたと鶴岡が口火を切る。
「そうや、もちろんその通りや。
そこでや、この二つを足し算したやつをやな、さらに出塁率から引いてやるんや。

足すんやないで、引くんや。こここが味噌やで。ヒットやホームランだけではない、塁に出てこそナンボ、四球も大切やからな。
でっ、この引き算をしてもや、なお数字が高かったなら、あんたはほんまにごっつい打者やで、来年も契約してくださいお願いします、ー年間ありがとうございました、となるんや。」

村山は狐につままれたような気分であった。
ヒットやホームランなどの、打者にとって代表的な数字だけを、足し算と引き算するだけで、その優劣を示すような指標が都合良く弾き出されるというのか。
「これなぁ、実はたいがいの選手がマイナスになるんや。」
鶴岡がニタリと笑った。
「でもなぁ、打席が五百近くになる主力クラスの貢献度はたいがいこれで判る。この計算をしてプラスの数字を出した奴は文句なく凄いやつやで。
それこそが打席に内容のあるバッターや。
そこらの三番、四番はみんなマイナスなんやから。」
いつの間にか真顔に変わった鶴岡がいた。
「・・・・長嶋は・・・・?」
無意識のうちに訊いていた。
「ああ。」
やはり来たかと鶴岡は小さく肯いた。そして村山から視線を外す。どこを見ているのか、恐らく長嶋を浮かべているのだろう。
「・・・・別格やな・・・・。」
鶴岡は静かに言った。
「でもなぁ、意外かもしれんが、ルーキーの年の長嶋はマイナスなんやで。」
「えっ・・・・。」
村山は小声ではあったが、それでも絶句していた。
新人の長嶋は、あわや三冠王という大活躍のはずであった。
「たしかにあいつは一年目から凄かった。しかしや、やっぱりわしのあの数式で計算してみると、まだまだやったな。
当たり前やで、いきなり新人にそうはさせへん。そこはわしらもプロやからな。数字は正直や。
ただし、長嶋は三年目からはほぼプラスや。二年前は80を超えた。こんな数字を見たのはあいつが初めてや。あの中西でさえプラスがやっとなんや。一番元気な頃でも25ぐらいなもんやった。」
自分と同じ腱鞘炎で苦しんでいるという中西の姿が頭をよぎた。そして怪童と騒がれた全盛期の雄姿も。
「今年の王はどうやったと思うよ?」
鶴岡が間いかけてくる。
村山は黙ったまま鶴岡の目を見た。
わかったとばかりに、 ” 68や ” とだけ言った。
「去年から一本足になって、即ホームラン王や。それでも数値はマイナスやったんや。それが今年はいきなり長嶋に迫る数字を出しよった。これには正直、畏れ入ったわ・・・・。
この二人と真っ向勝負せなあかん、おまえは大変やで。」
結局、最後はONの話になるのか。村山はわかっていても口惜しかった。
「それが打者の " 格 " ですか?」
鶴岡はゆっくりと肯いた。

確かに、別格な二人である。それは村山自身が一番わかっていると言いたかったが、言葉にならない。
村山は咄嗟にONから話題を変えようとした。
「野村さんは・・・・、今年五十本打って日本記録を塗り替えましたがどうなんですか?」
「マイナスや・・・・。」
鶴岡は吐き捨てるように言った。
「五十本打ってさえも、それでもマイナスや・・・・。」
意外であった。いや、その通りなのか、村山にはわからなくなった。
ダメを押すように鶴岡が口を開く。
「確かに野村は五十本打った。しかし内容では長嶋や王には届かんということや。たとえ捕手としての働きを加味してやっても届かんな。」
鶴岡は再び目の前の村山を見るのをやめた。今度は誰を見ているのか。野村なのか、そうではなく、やはり長嶋なのか・・・・。
日本酒のせいもあって、鶴岡が何度もいう ” 格 ” という言葉が、村山の頭のなかで反響する。野村は長嶋や王には届かない、そう言い切った鶴岡の心がどこにあるのか、探りかねていた。
野村は実は球界一の高給取りである、それは関西のプロ野球選手の間では常識であった。
野村こそが球界の顔なのだと、それに相応しい評価をするよう鶴岡が、球団に毎年必ず求めるからだという。
だから野村は新聞などで報道されている額の倍近くもらっている、そう囁かれていた。実際、それは事実であった。それが鶴岡の野村への何よりの報労であり、同時に期待と信頼と愛情の表れに違いない。少なくとも村山はそう捉えていた。
その実、村山は常に長嶋や王と対峙する身として、野村のその評価が過大ではないか、そう薄々感づいてはいた。野村とて、長嶋、王に敵うはずはないと。
しかし同じ関西の野球人として、南海の野村が巨人の二人よりも高給取りであることに悪い気はしなかった。野村はONより上かもしれない。なにより鶴岡がそれを認めているではないかと。しかし、たった今、見事に崩れ去った。皮肉にも、その鶴岡を目の前にして。
鶴岡は正確に、そして冷徹に選手たちを分析している。まるで球界の全選手を、投手も野手もリーグも越えて自分の前に集め、選手としての優劣で、前から正しく一列に並べてみせる。鶴岡の手に掛かればた容易いことなのであろう。
果たしてこの芸当、他にできる人間がいるだろうか。これこそが親分の親分たる所以なのか。
そして、その列の一番前にいるのは、間違いなくあの二人なのだ。

なお、当サイト内において、『球界転生』 だけは、文章の転載をご遠慮ください。既に転載している場合は直ちに削除してください。他は好きにしていいです。
ご協力ありがとうございます。