Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

『球界転生』 #16

 「契約更改、終わったか?

 「ええ。

 「絞られたやろ。

 「そうですね。今年は諦めてました。

 鶴岡は小さく肯くと、そういう年もある。来年取り返せ、と言った。

 

 「実はなぁ、わしは監督をやらせてもらってるけど、選手の給料もわしが決めてるんや。

 本来は現場の責任者のやる仕事ではない。背広組どものやる仕事や。でもな、たかだかサラリーマン風情にや、荒くれどもを収めるのは無理やろ。」

 鶴岡は苦笑いを浮かべ、あかんあかんと手を振り、そして続けた。

 南海球団も阪神同様にケチであり、報酬についてはあらかじめ原資が決められている。契約更改とはそれを割り振る作業である。選手間で好きに取り合いをさせるわけにはいかない。

 声の大きな奴に勝たせるというのは論外である。自分の残した成績を盾にして給料上げろと言う気持ちは汲むが、球団経営を考えるとそれを鵜呑みにはできない。

 ” 大阪球場に毎試合十万入ってくれれば別やけどな ” そう言うと、鶴岡は大きな声で笑った。

 「そこでわしの出番やで。

 わしが決めた方が、選手も納得感があるやろ。監督が決めたんやといえば、選手も引き下がる。

 最初から裏に控えててな、選手がゴネ出したらそこから出ていくんや。とたんにみんなシュン太郎やで!

 再び鶴岡は豪快に笑って見せた。

 

 鶴岡は嘘をついている、村山はそう思った。

 杉浦や南海の同世代の選手から、契約更改に鶴岡さんが出てくるという話は訊かされていた。しかし話は逆で、選手の助け船を出すのだと。球団がなんとか安く言いくるめようとするのを鶴岡さんが間に入り、選手の給料を上げるため、時には球団社長に直談判まで厭わない。

 投手であれば勝ち星や防御率だけではなく、球数やイニング、ブルペンで待機した試合数。打者であれば進塁打や守備機会、細かく記したノートまで持ち出しそれを示し、粘り強く説得してもくれるという。

 目の前の男は、照れ隠しで自分を悪く言っているのだろうか。赤ら顔になった鶴岡の意図が、まだ若い村山には掴み切れない。

 「投手はなぁ、防御率を言えばたいがい納得するんや。

 君はニ十勝したけれども、だいぶんと打者に助けられてるで、巡り合わせが良かったケースも案外多いで、とな。そしたら渋々ハンコ押しよるで。

 村山は首をすくねてみせた。

 「問題はやっぱり打者やな。

 僕は三割打ちました、僕は二割八分でベストテンに入りました、評価してくださぁいと来やがる。

 誰かの口ぶりを真似ているのだろうか。身振り手振りを加え、鶴岡のしゃべりに熱が入っていく。

 「あいつらにやなぁ、打率やホームランのような数字だけを独り歩きさせて、それで給料を決めるわけにはいかんことを教えてやらなあかん。あくまでも勝利への貢献なんやとな。

 相槌を求め、当然のように村山はそれに応える。

 「給料上げろとだけ言ってくる奴にや、君には " 格 " が足りんから諦めろ、とはさすがに言えんよな。

 鶴岡がまた笑った。こんどは困ったという笑い方であった。

 

 ” 打者にも防御率のような基準はないものですかね ” 、村山がそう振ると、しばらく考えてから ” 難しいな ” とだけ呟き、 ” それが仮にあっても、それを理解させるのも、これまた難しい ”、そう言って考え込む表情をすると腕を組みなおした。

 「村山よ、おまえは防御率の正確な考え方や数式を言えるか? 君自身のエラーで出したランナーがホームへ帰ってきたらどうなる?

 少し意地悪に問いかけてくる。

 「そこはわかります。

 村山は照れながら答えた。

 「じゃあ防御率、つまり率なのになんで何割何分じゃないんや、一点台、二点台って言うのは何でや?

 「それは知りません・・・、すいません。

 「たいていの奴がそこまでは知らん。いったい誰が防御率ってつけたんや、正確には自責点の一試合あたりの平均値やないか、せやろ?

 「ええ。

 村山は肯く。

 「さりとて打者には、防御率みたいな一試合あたりなん点、ちゅうような具合の良い指標はない。そもそも打率や出塁率は割り算やで。掛け算すらできひんような奴ばっかりやのに、まして割り算なんてなぁ。あいつらせいぜい足し算や引き算止まりやで。

 思わず村山が笑うと、鶴岡はその表情をひとしきり眺め満足したのか、嬉々として語り掛けてくる。

 だいたい野手たちも、打率や出塁率がなぜその数字になるのかわかっていない。ヒット数を打席数で割ることを理解しているかさえ疑わしい。

 つまり指標はたくさんあれども、それを詳しく知る野球選手はほとんどいない。それが契約更改の時だけは、打率はこうだ、守備率こうだったとよそ行きなことを言ってくるから手に負えない。

 大学出てるような奴でも、打率を打席数で割ろうとするのがいるぐらいだ。そんなのを相手にするのだから大変なのだと。

 「その方が低く出るからええけどな。

 そう言って腹を抱えながら鶴岡は笑った。

 確かに思い当たる節はある。村山は黙って聞き役に徹することにした。

 

 交渉の場にはそんな連中が、あれこれと入れ知恵されて勇んでやって来る。なんなら貢献度を細かい数字に出してやって、その場で算盤を弾いて説明してやろうかとも思うこともあるが、さすがにそういうわけにはいかない。

 「相手が悪いわ、野球しかやったことのないアホばっかりやからな。

 村山もつられて笑った。自分もその一人であると。

 そこで鶴岡は選手たちが簡単に理解ができるよう、足し算と引き算、それに打率や打点やホームランを組み合わせることで、打者の ” 格 ” が測れないものかと、真剣に考えるようになった、そうしたり顔で言うのであった。

 

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