入団以来、野田と戸沢は前に回るようなことは決してしなかったが、わが子のように村山を支え、道に迷わぬよう足元より先を照らし続けてくれていた。だが自分はその二人を裏切った。失って始めてその僥倖を知るのであった。
自らの軽率な発言を呪い、時間の針を戻したいと願った。村山は思うさま悔恨の苦しみを味わい、それをつくした後、ある種の処罰を待つようになっていった。過去に自分の犯した不義の数々が、報いとなり踵を返してやってくる番であると。

野球の世界はいうまでもなく体育会系縦の社会である。先輩の振る舞いに対しては絶対服従。だが村山は若い頃から、しばしばそれを逸脱してみせることがあった。
毎年夏場以降になると勝負がついたとみるや、バットやグラブ以外の荷物をベンチの奥にまとめて帰り支度をする吉田や、マウンドから下りると試合が続いていようがお構いなしに風呂に入ってしまう小山を許せなくなったのだ。
村山はついにある日、二人の先輩を仲間の面前で諌めたことがあった。はたしてそれは許されるべき行為であったであろうか。仮に直言するとしても場所を選ぶべきではなかったか。
村山にすれば、実績も才能もあり後輩への影響力もある二人だからこそ言うのだと、いわばー種のリスペクトの表れでもあった。しかし吉田や小山にそれが伝わるわけなどない。今となっては二人に対して詫びを入れたい一心である。
だが仮にそれをしたとして周りはどうであろうか。その程度なら簡単に許すも者や、両先輩の立場に斟酌しながらも、村山の所業に理解を示す者もいたであろう。事前にそれを見越した自分は狡猾であり、そこに甘えてもいた。
もうなにをやったところで遅い、いや、足りない。村山は道徳的反省の虜に陥っていくのであった。
罪を犯すから罰があるのではない。罰を受けて初めて自分の罪を認識することもあるのではないか。自分はもっと罪深い人間に違いない。だから監督に相応しくなどない。良心の咎めに際限はなく、ついには自らの器や素養を疑い始めるのである。

その一方で、なんとかこの状況から抜け出し新監督として踏み出そうと思いを巡らせることもあった。
親会社のバックアップを失ってしまった組織の長のやることとはなにか。可能であれば信頼を回復し元の状態に戻すべく万策を尽くす。それが叶わなければ頭を切り替え、子分たちのためにも新たな庇護者を探す。答えは思いのほか簡単に出た。
だが村山は手をこまねくばかりで実行に移せずにいた。自分と戸沢や野田との関係が深ければ深いほど、そのどちらもが無理に思えたからだ。
紐帯で結ばれているとも言われたその絆が、一転、窮地に陥った村山から打つ手を奪ったのである。
翌春、村山阪神は激しい逆風の中で船出を迎えることとなった。安芸のキャンプに戸沢や野田が訪れる気配はなく、監督就任直後から棚上げになっていた戦力補強も進まぬままであった。
開幕の日の朝、村山は腹を括った。戸沢や野田の替わりなどいない。二人との関係が修復されないとすれば自分はそこまでであると。
村山にとってそれは、二人に対する最期の忠義なのかもしれなかった。

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