昭和34年の晩秋、村山が初めての契約更改を終えてしばらく経ったある日のことである。
「天覧試合を関係者が振り返る」、という連載記事を読売新聞が仕立てた。
ストーブリーグを彩る話題作として企画したのだ。
そのトリを飾るべく、当事者である長嶋と村山が対談することとなった。
村山は気乗りしないまま東京へと向かった。長旅である。新幹線はまだない。

半日かけて東京に辿り着き、有楽町で一泊して、翌朝、長嶋がトレーニングしているという多摩川へ読売の記者が手配したタクシーで乗り込んだ。
天覧試合でサヨナラホームランを打った長嶋がオフの間も練習に励み、見事にしてやられた自分はといえば、物見遊山に東京へ出掛けている、そんなアングルが透けて見えやしないか、村山としては憂鬱な取材であった。
対談は型通りに進んだ。お互いに次があれば今度も、いや今度こそ、そんなやりとりで終わった
何十枚も写真を撮られた。シーズンが幕を閉じれば二人は戦友。そんなメッセージが読む者に伝わるような絵を求められた。

取材が終わり、囲みも解け、開放感から村山は多摩川グラウンドを少し見て回ることにした。
四年前に建設されたというそれは、二軍の練習施設とは思えない環境であった。すべてが甲子園に備えられた自分たち一軍用のものより明らかに上。転がっているボール一つとっても数日前に下ろし立てたものばかり。だがそこまでは想定内であった。

天覧試合の翌々週、逆に巨人を甲子園に迎えての三連戦があった。
試合前、巨人の選手がグラブを持ってグラウンドに散った頃合いをみて、村山は三塁側のベンチに忍び込んだ。長嶋の道具が見たかったのだ。
まず驚いたのはヘルメットであった。裏地が紺の綿ビロード、いわゆる別珍で覆われていたのだ。
また長嶋のバットのなかに「LOUISVILLE SLUGGER」の圧縮バットがあった。
木目に樹脂が流し込まれて何度もプレスされたそれは、独特の色と光沢を放っている。
何から何まで違う。
持ち主はそこにいないというのに、村山はまた長嶋に圧倒されたのであった。

大阪より早い午後の下りの日差しが、多摩川グラウンドに多くの影を作っている。その大半は内野に集中していた。
見識りの一軍の選手たちは外野へ移動していく。めいめいストレッチをしたり、走り込むための準備をするようだ。
入れ替わるように内野では守備練習が始まった。ノックを待つ彼らは二軍の選手なのだろうか、知っている顔はない。
そう思って眺めていると、ノッカーが放つ打球に回り込んで入る者や、前に出ずになるべく待ってから捕ろうとする選手が混ざっていた。
巨人の選手でもこんなんがおるんや。
村山は昨日東京に着いてから、初めて気後れなく眺められる風景に出くわした気がして、少しだけ胸が軽くなった。
まぁどこも二軍はおんなじようなもんか。
そう思って帰り支度をしようと振り変えると、いつからいたのか長嶋が後ろに立っていた。驚きで言葉を失う村山をよそに、長嶋は口を開いた。
「あの選手たち、このままクビにしたら社会人野球でも通用しない。
だからもう一年野球を覚えてもらうため、彼らと契約したんだ。」
こともなくそう告げた。
村山の諦念はその時完成の域に達した。
柳川事件の二年前のことである。

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