甦ったあの日から、ずっとこの部屋にいる。
不安はもちろん不満もとくにはない。
唯一の話し相手である主治医との距離感をつかめるようになると、後は何を言われても右から左へとやり過ごせるようになった。

村山はここを病室ではなくホテルの一室だと思っている。京間で六畳ぐらいの一部屋。ベットと窓を向いた机があるだけ。その窓も雨戸でしっかりと閉じられている。外は見るなということなのだろう。
テレビもラジオもない。きちんと整理されたアメニティ関連以外は、内線専用の電話、ケトル、 ドライヤーの他は、ベットにはめ込まれた液晶時計が時を刻むだけであった。机の引き出しも空なので、それら以外は取っ払ったと思われた。
” 今回ばかりは聖書でも読んでみたい気分やで ”
そうぼやきたくなるぐらいに何もなかった。
最初は狭く感じたその部屋も、次の日には特に何も感じなくなった。もうしばらくしたら、こうして生きていることにも馴染んでくるのだろう。何が起ころうとも受け入れるしかない、村山はそう腹をくくった。

死んでから四半世紀以上の時間が経っている、そう告げられたのは主治医との二度目の対話の時であった。
死んだ自分が、こうして生き返っているのだから、月日が流れたことに驚けと言われても無理ではあった。しかし年号がまた改まったことには面食らった。平成にも馴染めなかった自分が、次の時代にいる。得体のしれない不安が這い上がって来る。
親族や友人と会うことはもちろん、連絡を取ってもならないと言われたのもその時だった。生き返った刹那、いやこの部屋で意識が戻った瞬間、ベットの回りには誰もいなくて、医者が一人、傍らで腰掛けているだけであったため薄々感づいてはいた。
それがルールとだと静かに言われ、書類を渡され読むことを求められ、そこに記名までさせられた。
自分の名前を書くだなんて、臨終の床となる病室、その病院に入院する時以来であろうか。あの時は日に日に病状が悪化するばかりで一度も上向くことはなかったので、おぼろげな記憶であったが。
こうして元気になってここにいるというのに、妻や子に会えないことが心に重く圧し掛かっていた。果たして生きているのか、元気にやっているのかと感傷的になったが、抗う気持ちは起こらなかった。割り切ろうとする自分を薄情に思う反面、もう一度マウンドに立つ自分の姿を、何らかの形で見てもらえれば、それがー番のように思えたからだ。

自分は確かに甦った。しかし死んだことに変わりはない。
だから生きてもいない。
生きながらえることに意味などない。それは前の人生で嫌というほど味わった末に悟ったことだ。
村山の脳裏に、在りし日々のことが甦る。
一つは天覧試合、もう一つは青年監督となった日。それは自分の野球人生の入口と出口でもあった。
村山実は結局、その間でしか輝けない男であった。そこを過ぎれば、後はただ生きているふりをしていただけに過ぎない。
しかし強がるわけではないが、ー片の悔いもない人生であった。
だがそれでも考えてしまう。もっと上手にとはいわないが、ほかの生き方はできなかったのかと・・・・・。
”ミスタータイガース 村山実” が生まれ、そして死んだ、二つの鮮烈な記憶が荒々しい波となってもち上がり轟とともに砕け散る。
やがてその残骸がゆるゆると足元へやってきて寄せて返す。見下ろす漣の面に、甦った己の姿が映し出されているような気がした。

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