藤川阪神がついにスタートした。
彼が監督をする意義は大きく、そして深い。
長らく待ち望んだ虎将像である。
彼の人としての器がどうとか、独自の言葉使いがどうとか、そんなことはどうでも良い。
私がどこに意義を感じているかと言えば、それは彼が高卒叩き上げの生え抜き監督だから、ということに尽きる。

<阪神高卒選手無情控>
- ケース1:藤浪 晋太朗さん(30歳 米ワシントン州在住)の場合
- 高卒新人選手の実態
- 阪神は本当に高卒選手を育てられないのか?
- ケース2:狩野 恵輔さん(42歳 兵庫県阪神間在住)の場合
- ケース3:鶴 直人さん(37歳 阪神球団職員)の場合
- 藤川監督に、そしてこれからの阪神に望むもの
- 総括にかえて
知っている方はとうの昔に知っているであろう。
阪神が高卒の選手を育てるのが下手なことを。
例えば藤浪・・・・・。
ケース1:藤浪 晋太朗さん(30歳 米ワシントン州在住)の場合
入団後三年目まで連続二桁勝って、奪三振のタイトルまで獲った。
しかしそれは、あえていえば大阪桐蔭時代の貯えを崩しながら投げ続けた三年間であった。
才能はあった。
しかし藤浪は、プロの、というか阪神の投手にはなれなかった。能見やメッセンジャーはそれを予見していたし、恐らくこの春から評論家に転じた秋山も判っていたと思う。
がっ、春夏圧倒的連覇の天才ゆえ、藤浪はあくまでも大阪桐蔭三年生の投手のままプロのマウンドに立ち続けた。そして相手チームにデータを重ねられ、分析され、対応され、いつしか彼は投げるボールを失った。
事実、プロ入り後の藤浪が、果たして新しい球種を覚えただろうか・・・・?
抜群の切れ味と曲がり幅の130㌔台後半のスライダーをウイニングショットにしてはいたが、140㌔前半のスプリットの落ちはいまだに甘いままである。
いや、あの伝家の宝刀のスライダーですら、すでに高三の春のセンバツで投げていたもの。つまりそのままってことだ。
ストレートのMaxは160㌔まで順調に上がったが、 恐らくそれはトレーナーの功であり、阪神球団のメソッドとは関わりのない空間において、本人が弛まぬ努力で得た賜物なのであろう。
しかし球速がいくら上がろうとも、復活の手掛かりには程遠かった。
なぜ藤浪はプロの、そして阪神の投手になれなかったのか?
当時のコーチの力量不足を糾弾しようというのではない。事実、四年遅れて縦縞のユニフォームに袖を通した才木は、見事に花開こうとしているではないか。今やセリーグで最も迫力のある投手だ。負けない男、全盛時の斉藤和巳を彷彿とさえさせる。及川や門別がそこに続くかもしれない。
この十年、阪神投手陣のスタッフに明らかな落ち度はない。
ではなぜ藤浪は孤立したのだろう?

わが阪神、伝統と世界一熱いファン持つ特別なチーム。それは誇りであり、Identity である。入団した時からそこに身を置いてそれを体感し、理解した者どうしにしか分かち合えないものが、きっとあるのだろう。
中西球道も、もちろんそこを深く理解していた。
「藤浪よ、お前の気持ちは同じ縦縞で、同じ背番号を背負う俺にしか判りっこない!」
きっとそう自負していたはず。
しかし、三年の社会人を経験してからそこに辿り着いた者と、初めての社会人としての経験が、すなわち ”それ” であった者との間には、残念ながら捉え方に微妙な違いがあった。
久保康生は選手引退後、六十の半ばを超えてなお、必ず声の掛かる手腕を持つ特別なコーチである。去年、菅野を復活させたことで名伯楽としての名をさらに高めた。その彼の指導を以てしても、藤浪の浴する立場を読み解くことは叶わなかったようだ。
規格外の藤浪は、結局誰にも理解されることなく海を渡った。
残念であると同時に手前味噌ではあるが、入団していきなりわが阪神のスター選手に、しかもまだ十代でそこへ上り詰めることが、どれだけ鮮烈で、かつ劇的なことであったか。まるで高慢な蒐集家の手から手を渡り歩く名画のように、罪なまでに彷徨う猛虎の星のステータス。それは阪神タイガースが唯一無二なチームの証。あれだけ才能に溢れた藤浪であっても、結局それを手放さなければならない定めであったと、今更ながら畏敬の念を抱くのである。
新庄が「俺なら」、そう呟いたという。いまだにその言葉がトラファンの胸の中で切なく響くばかりである。

去年岡田政権下の指導体制は、主に大卒で構成されていた。高卒は私が記憶する限り、田中秀太と日高のわずか二名。生え抜きとなると田中のみ。
球児が監督になって、そこに片山、金村が加わった。それでもわずか四名・・・・。
この十年、最も日本一になったのは間違いなくSBであろう。黄金時代と言って良い。小久保政権二年目を支えるコーチの数は四十名を優に超えるのだが、そのうち十一名が高卒で、生え抜きは七名である。
阪神が少ないのか、SBが多過ぎるのか、難しいところである。
高卒新人選手の実態
今年晴れてNPBの世界に足を踏み入れた新人たち。各球団その中には当然高卒の選手がいる。
彼らにとって、プロ野球の最初の一ヵ月とはどのような生活だったのであろう。
年明け早々に慌ただしく入寮し、そこで寝泊まりし三食飯を食べ、朝から合同自主トレに参加し、夜間は個人練習、果ては取材の対象になることもある。
今思うと、自分の十九歳なんて、クソガキ以前の子供であった。きっと彼らも、学生服かユニフォームしか着たことがなかったようなのばかりだろう。
それがいきなり数十万の給料を手にして、練習はむしろ楽になって、恐らく人間関係も高校ほどキツくはないであろうし、寮に帰ればプライベートな空間があり、食事も豪華で、自由時間もそれなりにはある。そんななかでプロ野球選手としてどんな一日を過ごし、そしてそれを繰り返したのであろうか。
まして周りは文字通りの天才ばかり。ゆえに決して他人には話せないようなこと、否、逆に聞いてもらいたくなることがたくさんあるはず。
仮にそれらを伝える言葉や、コミュニケーション手法が彼らに備わっていたとして、その思いが不意に口をついて出てしまうことは、プロとして甘えになるのだろうか?
甲子園本塁打記録を引っ提げて、 ドラ1で地元チームに入団した中村でさえこれなのだ。
先輩である誠也のこの言葉が重く響く、
できれば自分の経験に基づいて彼らを見守り、時には寄り添うことができるコーチがいて欲しい。
特に一年目に、である。
上に掲げたホスピタリティは、確かにプロとしては甘いものかもしれない。
しかしそれでも思う、必要だと。できれば教育担当という位置づけでいい、必ず生え抜きの高卒コーチをチームに常駐させるべきではないか。

直近の阪神の場合、田中秀太が二軍内野守備走塁コーチへ就任したのが四年前。それまでの決して短くはない間、生え抜きの高卒コーチはいなかったように思う。
まして高卒の生え抜きの監督って誰以来か・・・・?
答えは95年シーズン途中に代行となり、そのオフ正式に就任した藤田平まで遡る。その前はといえばこれまた72年に代行から就任し、二年間監督を務めた金田正泰。二人とも繰り上がりで、まともな手順を踏んではいない。
初代ミスタータイガースの藤村を入れても、高卒生え抜きの監督は藤川で四人目、そしてなんと投手としては初のことなのである。九十年の歴史と伝統に照らし合わせても快挙だ。藤川監督とはそれだけ特別な存在であり、ゆえにわれわれの期待も自然高まる。
だがその一方で、今年のNPBの監督の面子を眺めてみても半分は高卒である。投手出身も吉井、三浦、そして球児の三人。決して珍しいことではない。
当り前である、プロ野球の選手の半分は高卒なのだから。いかに阪神の人事が異常なのか伝わったであろうか?
”高卒の選手が活躍するのは構わないが、指導者の道は与えない”
球団のそういった本音が外野の我々にも透けて見えて来るようだ。
この方針で、果たして高卒の選手が育つのだろうか?
半世紀に渡って阪神タイガースをウォッチし、プロの阪神ファンを自認する私であるが、これに賛同することは無理であり、阪神球団の闇を感じる部位でもある。
阪神は本当に高卒選手を育てられないのか?
阪神がこの五十年で、立派に育て上げましたと堂々と胸を張って言える高卒選手は、藤川監督を除けば野手では掛布、投手は井川ぐらい。しかしこの二人、何かと特殊だ。
掛布についてはこの前に書いた通り。
もう一人の井川は、遠慮がちに申し上げても変人。
逆に言うと阪神で高卒選手が一流になるためには、二人のような変わった部分が要るのかもしれない。
大谷や田中マー、ダルビッシュ、松坂、城島、松井、イチロー、近年だと村上、佐々木の名を挙げるまでもなく、やはり特別な選手は皆高卒。
飛び抜けた選手は、その才能ゆえに高卒時にドラフトで指名される。それは当然ことである。
ところがわが阪神には、長らく球界を代表するようなスター選手が不在なのだ。投手なら沢村賞、打者ならホームラン王を獲る、そんな選手が。
そこを以てして、阪神は高卒選手を育てられない、と言われるのではないか。つまり疑惑のすべてはそこに収斂するのだ。

二十一世紀も早や四分の一が過ぎた。振り返ってみるに、この四半世紀の間、私が最も応援しがいがある、そう感じた選手がいた。
誰であろうか?
狩野である。
ケース2:狩野 恵輔さん(42歳 兵庫県阪神間在住)の場合
応援のしがい、というのは難しい表現である。一軍でバリバリ活躍し、常にチームの勝利に貢献する、そんな選手にこそそれは相応しいのかもしれない。
しかしそれだけではないと思う。甲子園のライトや一塁側スタンドに詰め掛けるファンたちの姿を思い起こしてほしい。レプリカユニフォームの背番号は、皆判で押したように、8や1や、35ばかりか・・・・?
そうではない。
33もあれば63もある、52というのも良く見る。そういうものだ。
私が狩野を応援しがいがある、そう書いたのは彼が毎年少しずつでも成長してくれる選手だったからだ。
今世紀のまだ初めのあたり、当時の私は東京に住んでいたのだが、年に三度は鳴尾浜へ通った。狩野を視るため。いや正確に言えば、当時の鳴尾浜の住人達全員をウォッチするために。
喜田、桜井、林、赤松・・・・。野手だけでも人材は豊富であった。
また、鶴や白仁田など、アマ時代に全国大会ではお目に掛かれなかった投手を確認するのにも胸が躍った。
しかし、である。帰路にはがっかりして新幹線に飛び乗ることが多かった。
鳴尾浜四天王なる選手もいたが、一軍での活躍を視野に入れると思ったような成長曲線を描いてくれない、そんな選手ばかりだったからだ。
そんななか、狩野だけは違った。
見る度に必ず成長していた。
少しずつであるが、必ず。
今年はインコースの高めを打てるようになった。次の年行くと、真ん中の低めも、そしてその次の年にはアウトコースに手が届くように・・・・。
そんな風にして、狩野は苦節七年、甲子園で初安打を放つこととなった。伝統の一戦でのサヨナラヒットであった。
私はたいがいの選手は高校生の時から観ていて、彼も例外ではない。
高校時代の彼は脚の速いアスリート型の珍しい捕手で、最後の夏の予選、ホームランを連発した。それでも三位指名は早いと正直に思った。そんな選手であった。
結局、狩野は一流はおろか、二流にも届かなかった。それでも私の記憶に深く刻まれる選手であった。

その程度の選手を殊更持ち上げやがって、そんな風に映ったとしたら、そこは恐縮である。素直に受け止めよう。
まったく成長しなかった選手も挙げておく。
申し訳ないが鶴の出番である。
ケース3:鶴 直人さん(37歳 阪神球団職員)の場合
彼は二年目から鳴尾浜で投げるようになる。
初登板の時からストレートは常にシュート回転し、最初の二十球は変化球でさえ高めに抜けた。そこからの二十球だけは落ち着くのだけれど、四十球目以降は春でも汗だくのバテバテ・・・・。
毎年同じなので、スコアブックやチャートをつけるのが嫌になった。
一軍に上がってからも同じ。体つきもまったく変わらない。これじゃ先発はおろか、中継ぎでも大事な試合は任せられない。とてもじゃないが空調のあるドーム球場以外での好投は無理だと思った。結局引退するまでずっとそのままであった。
鶴は自主トレを、必ず球児の下で行っていた。
「赤星が松井に弟子入りするようなもんやで!」
鳴尾浜のバックネット裏で口悪いおっさんが呟いた。その通りだと思った。
誰か鶴に対して、早く気付かせてあげて欲しい、そう願った。
プレイヤーの球児にその役割を求めるのは違うだろ。自分を慕ってついてくる選手に対して、
「おまえはタイプが違うから来なくていいよ」
などとは決して言えやしない。

ありのままの君を伝える。
これは難しいことだと思う。
とても私にはできないし、先方が悩んでいれば尚のことである。
でもそれが判らなくて球界を去る選手も多い。いや、ほとんどの選手がそうではないか?
もう一度、中村奨成の先の記事を掘り下げてみる。

ドラフト一位で、あの清原を越えた選手ですらこうである。
鶴の伸び悩む姿を、辞めるまで何年にも渡って見せられてきたので、 藤浪の低迷は長引くと蒼ざめたことを白状しよう。
藤川監督に、そしてこれからの阪神に望むもの
選手にありのままを伝えてあげること、それは誰の役割であろうか?
プロ野球選手でなければ、親が責任持ってすることなのだろう。しかしプロではそれは叶わない。
ゆえにその役割、球団の中の誰かがするべきだと思う。
社会人の経験がプロ野球しかない、そんな高卒の選手に対して、誰がそれをするのであろうか。
長々とお待たせしました。ようやく結論を言います。
阪神が高卒の選手を育てられないのは、高卒で生え抜きの優秀なコーチがいなかったからである。
ホント、ずっといなかった・・・・。
阪神球団のフロント陣は、高卒の選手を監督はおろか、コーチにすらしようとしないのだから。毛嫌い、という言葉が似合うぐらいに。
高校から阪神という特別なチームでプレーするだけではなく、それが当たり前だとして特に疑問を抱くことなく野球に打ち込む、そんな比類なき環境に身を置き続けた二十歳そこそこの青年の気持ちを理解できるのは、同じ体験を持つ者だけであろう。
そもそも大学出のエリート元選手のコーチに対して、高卒の選手が悩みを打ち明け、教えを乞うと思うか?
自分の内側を曝け出すことはもちろん、素直に聞く耳を持つこともそう簡単ではない。
阪神の高卒の選手には、彼らにしか認識できない時間が流れている。その特別な体内時計を持たない者には、彼らの指導は無理であろう。
そこに配慮しなかった球団の罪は重い。
そこで相談だが、藤川監督には来年、高卒生え抜きのコーチを少なくとも三人は採用して欲しい。個人的に狩野は外せない、そう願う。
また、”ありのままの自分” を時には否定し、時には受け入れ、その振り幅に揺れ続けたまま阪神を去って間もない北條にも、その任を与えてやれないだろうか?
球児が遠征時にタクシー待たせとけと、パシリにした挙句、SNSでバレて世間からの非難を一身に浴びさせてしまった借りもあるではないか?
もっと言うなら、藤川監督の期間中にコーチの半数を高卒生え抜きにしてくれよ。高卒の選手は間違いなく育つし、モチベーションになるとも思うのだ。
この球団では引退後、コーチにはなれないな、ではいかにも寂しい。
もちろん、コーチになるためにプロ野球を目指すような選手はいない。しかしFAの際の美味しい付帯条件の一つとして、引退後のコーチの世話を挙げるのだという。実際日高がそうであるし。誰もがどこかで生涯の人生設計をするものなのだから。
原口にも将来はコーチで、って話を今から入れておいて欲しい。狩野にしても原口にしても、引退したら解説に回ります、というのでは、宝の持ち腐れだと言えないか。
まぁ山脇や御子柴を間近で見てたら、魅力を感じないのかもしれないが・・・・。今の狩野は鳥谷同様、チャラさ満載で元プロ野球選手を楽しんでいる節もあるしな。

総括にかえて
ここまで一気に書いたが、わが阪神において高校生の選手が育たない背景には、言うまでもなくど腐れスカウトどもが、特に00年代まではまともに仕事をしなかったから、というのもあった。
菊池さんは例外としたいところではある。しかしてその菊池さんを慕って阪神入りした薮が暗黒時代を評してこう語っている。
「いかに新庄が活躍しようとも、やはりこの間、大砲がいなかったですし、育たなかった。」
大砲候補獲得も菊地さんの役割であった、そこは否めない。
星野政権以降、金本、新井、城島、福留と次々に外注に依存したのも、長い眼で見れば結果的に裏目に出た。
私的に検証してみても、特に掛布以降、まともな高卒野手をドラフトで獲った試しはない。そういう意味でも、今年の井上には本当に期待したいものである。
80年代後半から野村政権までの十五年にも及んだ暗黒時代が二度と繰り返されないためにも、世間では阪神に追い風が吹く今だからこそ、あれこれ改善すべきポイントを提言するのは、オタクであるわれわれの役割だと思う、知らんけど。
最後に余談となるが私が聞き及んだ限り、あの江川も一時一瞬ではあるが阪神入りを真剣に覚悟したのだという。
また落合の指名をロッテ入団の二年前に画策し、その直前まで行っていたというのも有名な話である。
たらればの世界線ではあるが、超大物の二人が阪神に入っていたら、という絵に色を塗るのはそれなりに楽しい作業ではある。
しかし、それらの寓話の類を持ち寄ったとしても、あの超大物高校生野手は、実をいえば阪神に入団するはずだったのに、という話がまったく出てはこないのである。
もちろん、清原や松井、中田翔をクジで外した、というのは端から選外であるとして、超大物高校生野手に限ると一体どこまで遡らねばならないのだろう。
佐川さんが早実の王貞治を口説いた、そのあたりまでかもしれない。逃がした魚とはいえ大き過ぎる話ではあるのだが。
高校球児の憧れの聖地である甲子園を本拠地に持つわが阪神、だというのに皮肉にも、超大物高校生や甲子園の星とは昔から、なんとも縁がないのである。

長々とお付き合い頂き有難うございました。
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