
ついに我らが掛布が殿堂入りを果たしました・・・・・。
本当におめでとうございます!
自分のこと以上に嬉しいです。
トップの写真も、そして上の記事も、掛布が映えているのを選びました。
あまり知られていませんが、掛布は84年から着用のビジターユニが一番のお気に入りだったのです。
現役時代、アルマーニを着こなすお洒落さんの掛布ですから、85年の優勝で有名になったあのホームの白のユニフォームは、いまいち好きになれなかったようでしたね。
確かにパジャマみたいで。
つまりこれね。

更新する予定も暇もなかったのですが、今日は書けるところまでお祝いに書かせていただきます。

掛布について一度じっくり書こう、かねがねそう思っていました。
田淵についてはブログ立ち上げ直後に書いたしね。
今日は時間もないので、一つのことについてだけ書きます。
それは、掛布は不思議な選手だったということです。

「この選手、タケフっていうんやで」
それが私にとって掛布との出会いでした。
特に野球に詳しくはない三つ上の兄がそう教えてくれたのです。
その試合で掛布は広島の佐伯からものの見事にプロ入り初ホームランを打つのでした。間違った名前を教えてくれた兄は得意げでした。幼心に、タケフは凄い選手なんやと思いました。

掛布は本当に不思議な選手でした。
72年の夏の甲子園、五年前に選手権で初優勝を遂げた名門習志野の四番打者として出場します。結果は初戦敗退。
しかし二年にして強豪校の四番、しかも守備位置はショートときたら、今なら文句なく要チェック選手として、翌年に向けて描くであろう成長曲線に注目が集まるところでしょうし、当時でもそれなりに経過観察の対象ぐらいにはなると思うのですが。
ところが掛布はプロからまったくのスルー。田舎の公立校の自称強打の四番じゃあるまいし。
どうも170cmそこそこという上背がネックだったらしい。
結局三年の秋になってもプロから声は掛からず、伝手を頼りにテストを受けて阪神に入ります。
翌年の春、キャンプへの帯同を許されるわけもなく、甲子園に居残って猛練習を重ねます。その結果、チームが高知から戻ってすぐ首脳陣に認められるのです。
しかもオープン戦に出ればヒットを連発。試合前の打撃練習には相手チームの選手やコーチが集まって来る、それぐらいの存在にまで一気に駆け上がったというから驚きです。
以降、85年の優勝の翌年死球禍で不振に陥るまで二軍に落ちたことはありませんでした。
ねっ、不思議でしょ!?
因みに掛布はドラフト前に阪神のテストを受けてから、翌春甲子園での居残りキャンプを終えるまでのわずか数ヶ月の間に、背が4、5cm伸びたそうです・・・・。
ホンマかいな!!
以降の掛布の活躍というか、サクセスストーリーは私がここでわざわざ書く必要はないと思うので、そのへんに転がっている「阪神本」を読んでみてくださいな。
でも、ここまでの話を読むだけでも、やっぱりなんか変でしょ?!
甲子園にまで出た名門校の二年の四番ショートがまったくの無名扱いだったり、キャンプにも連れてってもらえないような新人が、たった一月の間にトッププロスペクト選手に変身したり、それに合わせるように背が伸びたって、作り話じゃないんだから!!

すいません、今夜はここまでです。寝ます。
最後に77年の開幕前「文藝春秋デラックス 人物・日本プロ野球」にて元巨人監督の水原茂(つまりは敵)が、今でいうところの「侍Japan」(文中では栄光のベストナイン)に、プロ入り四年目を迎える掛布を選んだ際の選評を記して締めたいと思います。
”キビキビした果敢なプレーでファンを魅了する阪神の若トラ、明日のプロ野球の担い手だ”
本日は以上です。
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