Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

アマ野球ウォッチャーの本懐

 足掛け5年にわたって森下をウォッチしてきたわけだが、贔屓チームへものの見事にドラ1での入団の運びと相成った。ドラフト会議がエンディングの舞台ではなくプロローグという、夢のような物件である。こういうケースは正直あまり記憶にない。

 追っかけ続けた逸材をドラフトを経て送り出し、そこが今生の別れとなるのが常であった。あえて ”望外” という表現を使うことをお許し願いたい。

 しかしそこに少しばかり ”複雑” なものを 感じてもいる。果たして私にとって虎の子の森下が、トラキチたちの異常な愛情に応えることができるのか? こればかりは私の力は及ばない。森下の腕次第である。

 われわれにとって阪神タイガースというのは、存在自体がいわば生活の一部。なのでこれからはウォッチというよりも背中合わせとなり、森下の存在は日常化する。たとえば急ぎの用事がある時、目の前で踏切がけたたましい音と共に下りてきたら、誰もがイラッとするだろう。同じように、森下のプレーが、これからのわれわれの些細ではあるが生活の質を左右することになる。どちらの立場も判るだけに、ちょっと怖い・・・・、ええおっさんの吐くセリフではないのだが、”複雑” と書いた、その一片を少しでもご理解いただければ幸いである。

 森下の存在は、これまでの ”アマチュアの推し選手” から ”贔屓チームのー員”  へ、いわば勘定科目が変わっただけなので、私の中の ”プラマイ” はゼロである。しかし喪失感がないわけではない。やはりアマ野球を見続けるためのモチベーションとなるような、つまりこれから追い、ウォッチし続ける価値のあると見込んだ選手は絶対的に必要だ。

 ではそんな選手がいるのかと言えば・・・・、実はいる。今回はその選手について書いてみたい。

 極北の当ブログを丹念に読み込んでおられるそこの貴方、恐らく貴方なら私がこれからの野球オタ活動を捧げようとする対象が誰だかわかるだろう。既に春の段階で注目していると書き、夏にははっきりこうも宣言した、大阪桐蔭の打者の中で、十年後に一番活躍しているのはこの選手、そう、つまり彼なのだ!

 

伊藤 櫂人(大阪桐蔭 ⇒ 中央大)178 78

 伊藤を初めて観たのは二年前の秋だった。伊藤を観たいというのではなく、”大阪桐蔭に大型のショートが神奈川から入って来た” との噂を聞きつけたからわざわざ球場まで足を運んだ。一応私は大阪に住んでいるので、大阪桐蔭の試合を見ることは比較的多い。因みにケーブルテレビでは有難いことに夏の予選もやっているのだという。

 大阪桐蔭は言うまでもなく中学時代の世代トップが集まる才能集団。チェックのし甲斐もある。今年のレベルははこんな感じか、この高校の試合を見ただけで、その思いに浸っても満更間違いではない。ある意味、大阪桐蔭高校野球界の縮図。それもかなり上の部類の。

 でっ、目当ての小川が15を付けて秋の府の大会に出ていて、その前を打つ選手が伊藤であった。

 雨上がりの観戦だったと思う。当時の伊藤はぱっと見、非常に見栄えが悪かったと記憶している。ただスイングを一つしただけで、おおっ!と色めき立ったことも鮮明に覚えている。そしてこの打者で7番なんだ、そう素直に感じた。スイングの質は左右の違いはあるが星子と双璧。ヘッドの立った、いわゆる判っている子のスイング。であるから星子の打席での佇まいだけで、サイズはないものの6番を任される意味を理解できた。同時にこの伊藤って子はもっと上を打っても良いのに、とも思った。

 試合の合間にスマホで調べてみる、サイズは178の75、 U15世界大会のMVP・・・・。でもそんな背があるかな? というのは当時の伊藤は打席では腰を落とし、両膝、特に軸である右膝を深く折った不細工なフォームだったからだ。実際のタッパより小さく見える。不発弾で終わった笠松と重なった。

 なぜそんなフォームなのか? たぶん、前に突っ込むのを矯正させるために、右脚に重心を乗りやすくすることを意図しているのだろう。レベルの如何に問わず、前に出される打者は多い。 大阪桐蔭のエリート選手とて例外ではない。

 私の頃は軸脚の太ももを監督が問答無用でバットのグリップで一撃。蹲り悶絶している選手を尻目に、”打席ではその痛みが再現するまで体重を掛けるんやぞ!”、とやられたものだ。すると確かに、どこまで打席で軸に重心が移っているのかを痛みの加減で判るようになり、変化球で前に出されそうになると、” 痛みが小さい = まだ早い ” となって突っ込むのが止まったことがあった。なので中にはその一撃の痛みが消えそうになると、自分で軸脚の太ももを叩き出すやつまで現れる始末だった。

 伊藤はその試合、確か浪商の左腕だったか、見事なホームランを打った。”こりやええで!” と私がなったのはご理解いただけるだろう。

 私が惚れ込んだ選手は、直接観に行くと即座に応えてくれることが多い。マドンナスタジアムでの森下がそうであったし、安芸での井上のプロ入り初打席もそうだった。伊藤の場合は逆で、その一発で惚れ込んだ、といったところか。どちらにしても幸せなことである。

 大阪桐蔭近畿大会を制し、神宮デビューを果たした伊藤は核弾頭となっていた。そりゃそうやろ、私は胸を撫で下ろした。なんでも先の浪商戦の直後からトップへ上がったのだとか。納得はしつつも、時間がかかったな、そう思った。まだ二年とは言え、秋季大会は最後の秋だ。

 U15世界大会のMVPで、スイングがここまで鋭いのに、旧チームでは何をしてたんや? アピールが下手なのか・・・・。

 恐らくではあるが、この春高校を巣立つ世代は、卒業式も入学式もなく、部活どころか登校さえ禁じられた。伊藤たち寮生は再開まで地元に帰らされていたと思う。また晴れて野球部に戻っても制限ばかりで夏の甲子園もなしという、前代未聞の年回りとなった。そのあたりについては須江監督の言葉を借りるまでもないだろう。

 球児としての技量云々もそうだが、名門野球部という特別な組織に馴染むのも果たして上手くいったのか? たとえば先輩との距離の詰め方も難しかったのではないか、そう想像する。事実、あれだけの肩書持ちが集まった世代だというのに、前年度のメンバー入りを果たしたのは松尾だけ。伊藤はおろか、早熟型の海老根もレギュラー獲りが叶わなかったという。遠慮が先に出てしまうのだろう。

 何に対する遠慮か・・・・?

 それは従来であれば一年の春~梅雨にかけて、あえてしごきとは言わないまでも雑巾掛けをさせられる、そういった一連のある意味貴重な洗礼を、期ぜずして免れてしまった負い目みたいなものを引きずり続ける、そんな世代なのかもしれない。これだけの才能を持ちながら新チームまで結果的に埋もれた伊藤も、きっと控えめでいることを余儀なくされたのではなかろうか。

 神宮での伊藤は、相変わらず両膝を折り腰を落として打席に立っていた。上げた左脚でタメが作れず、前に出される打席が何度かあった。そのため身体の回転も2/3ぐらい。敦賀気比戦で一発が出たし固め打ちもあったが、理想的なスイング軌道と柔らかい左腕の使い方に反して、下半身の使い方がまだまだかな、という感想を持った。

 それは年が改まったセンバツでも同様で、市立和歌山戦で打った一本目も身体を前に出されながらも左腕の前さばきで打ったホームランだった。去年の秋、着任早々どんでんが、”打席での姿勢ってなあ、おまえら傘差したり、立ちしょんべんするのってどうすんねん、おん? とやったそうだ。そこには一理あって、やはり楽な恰好で構えるべきだ。あんなに両膝を折って小便する奴はいないだろう。

 しかして、伊藤は聖地初ホームランの余韻も指先に残っているであろうその直後、同じイニングにもう一度打席に立つチャンスに恵まれ、そしてまたもや見事なホームランを放った。そのフォームはしっかりと後ろに残り身体が綺麗に回っているように映った。

 こりゃ大物に化けるでっ!

 私は河内音頭を一気に四番まで踊り続けるつもりであったが、嫁と娘が放つ殺気を帯びた視線の手前、二番でやめることにした。

 伊藤の可能性を確信しながらも、両膝を折ったフォームを心配していた。もちろん腰を落とし膝を折り、構えの時から軸に重心を移している打者は山ほどいる。そこからスイングと一緒に後ろから前だけの直線的な体重移動で長打を放つ、そんな打者もいる。しかして伊藤の最大の長所、それは繰り返すようだがスイングをリードする左腕、特にリストを使ってヘッドを綺麗に立てて回れる柔らかさにある。それを生かすには体の回転で打つべき。つまり構えの段階では重心はあくまで体の真ん中に置き、テークバックと同時に軸足に預け、スイングに合わせて元へ戻し、その反動を活かしてそこで身体を回転させるスタイル。膝を折らなくても、意図的に軸足に重心を移せるようになって欲しい。

 高校レベルであのままでは、上に行けばお手上げ。もう手は付けられなくなる。笠松が結局は殻を破れないままだったことを思い起こしていた。

 投手は、というかほとんどのバッテリーは、打者のタイミングをいかに外すかを考えている。つまりどうすれば前に引き摺り出せるかだ。前にさえ出せれば、140㌔のストレートが150㌔に、普通のスライダーも高速スライダーに変わる。対戦投手のレベルが上がれば上がるほど、” 腰を落として最初から軸に体重を移しておけ ”、そんな指導は寄せては返す波のように定期的にやってくる。今のうちに自分の中で掴んでおかないと、そのたびに翻弄されることになる。

 今年からハムに移籍した江越のバッティングフォームが、プ口入り後、年々小さくなっていった要因もそこにあるのではなかろうか。伊藤にとって打撃フォームを変えるチャンスは、この春から夏にかけてだけ。

 一打席でいいからじっくりと見ておきたい。

 ネット配信もあるのだろうが、解像度が低く、スマホやPCという小さな画面での確認は苦手だった。数はいらないができれば鮮明な動画が欲しい。スイングの際のユニフォームの皺から筋肉の動きを想像する、そこまでやるのがオタの常道。贅沢言えば直接球場に出向き、バックネット裏や、一塁側から4K録画したうえで持ち帰り、自宅で確認できればなおいい、なんとかならんもんか。

 しかし世間はコロナにも慣れ、在宅勤務もすっかりなくなり、日々の仕事に追われ、無駄な通勤時間が私の生活を削っていく。土日はぐったりしてしまい、春の府大会や近畿大会には一度も足を運べなかった。さらにはどうせ大阪桐蔭は甲子園に出てくる、その思いが生来の怠惰に拍車をかける。

 しかし私にとって、そもそも大阪桐蔭の勝ち上がりなどどうでも良かった。もっと言えば、伊藤が打つ打たないの問題でもない。打席で、どのようなフォームで構えるか、そこをじっくりと確認したいそれだけだ。そこまで判っていながらも、矛盾するようだがやるとなると徹底的にやりたくなることを思うと、気が遠くなる自分もいた。甲子園まで待つのか、予選を観にいくべきか、心が揺れたままダラダラと時間だけが過ぎていった。

 チャンスは意外なところからやって来た。

 7月下旬の休日、嫁が自転車を買い替えたいというので家電量販店へついて行くこととなった。自転車の色やバッテリー、果ては保険がどうだこうだと店員と話している。娘も加わって盛り上がっているようだ。私はこれ幸いと気配を消して、静々と同じフロアーにあるテレビ売り場へ移動。確か和歌山の県予選決勝が今日あたりではなかったか、どうせ智辯和歌山だから興味もないけど、まぁどこかの決勝の様子が拝めればそれでいい。

 大型テレビの前にたどり着くと、そこには大阪桐蔭の見慣れたユニフォームが映し出されていた。あらっ、決勝は今日だっけか、いやそんなわけない。私はすぐそばにいた店員にそれとなく、今映っているのが何chなのか訊いてみた。「今月、うちはすべてのTVでJCOMを極力流すようにしているんです」との答えだった。なんでもケーブルテレビやネット回線の販促を兼ねているらしい。

バカ「JCOMって、高校野球をやってるんだ。」

店員「はい、大阪予選は7月の上旬からやってますよ。」

バカ「うわっ、見逃した・・・・。」

店員「・・・・・・・・・・。」

バカ「・・・・これって有料ですよね、お高いんでしょ?」

店員「いいえ、これは無料です。地上波で開放してます。」

バカ「ええっ、なんで早く教えてくれなかったんだYO !」

店員「・・・・・・・・・・。」

 初対面の店員さんに説教かます私であった。家で地上波は画面に映っているだけで腹が立ってくるので、徹底して無視することが仇になったようだ。

バカ「これからはさあ、ちゃんと事前に教えてねっ!」

店員「・・・・・・・・・・。」

 根拠のない追及の手を緩めることのできない私であった。

 私は店員さんをリリースし、視線を画面に戻す。イニングはまだ浅い。必ず伊藤の打席はやってくる。その時を待とう。ここに来て細かいところはもういい、頼む、打席の構え、両膝の角度、伊藤のそれだけをこの有機EL大画面パネルで確かめさせてくれっ!

 私の中でスイッチが入ったのが判った。もう自転車売り場に残した嫁や娘のことはどうでも良くなった。

 そしてついにその時が来た。伊藤がアナウンスと共に打席に入り、おもむろにバットを構える。

 キ、キ、キッ、キターッ!

 私は両拳を力いっぱい握りしめながら、クララが立った時のハイジの気持ちを噛みしめていた。

 

 「アマ野球ウォッチャーの本懐シリーズ」は不定期掲載となりますので、次回は明日以降で。