Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

逆指名にチャンスを与えよ

 選挙戦が始まりました。みなさんの周りでも名前を大声で連呼するだけの選挙力ーが走っていると思います。昭和の頃よりお馴染みの光景ではある。がっ、果たして意味があるのだろうか? なんだかんだでみんなやるので、まあ検証しようはないのですが、煩いだけでまったく迷惑である。

 駅前での演説もそうだが、みなさんも自分のことと当てはめて考えて欲しい。普段やらないことを一週間だけやって、その時だけの耳に優しいお話を繰り返した挙句、俺を信じろ、そう叫んで、それで女を落とせるか・・・・? まったく反省してもらいたいものである。日頃の行いがすべてだろ。

 今は老若男女、ほぼすべてがネットと接するようになった。なんせあの悪名高いLINEがライフラインに利用されるぐらいだ。つまりその土俵に国民はすでに乗っかっている。だったら候補者は常日頃から活動を、ネットを使ってあまねく世間に発信すればと思うのだが。それで勝負せえよと、まあこれ以上はもうええわ、ここで書いても詮無い話。とりあえず選挙には行くがな。

 しかしもう少し書いておきたい。この前の地方選挙で、新人の立候補者が、"十万円の地域振興券をみなさんに配布することを約束します”、とか、“この踏切は、私が高架化にして無くそうとしている踏切です“と叫んでおりましたが、 税金を自分の金と混同してないか、まったく・・・・。

 まあ議員になったら税金の使い道にいっちよ噛むのでしょうが、新人候補者がほたえる内容だろうか。でっ、その候補者について聞いてみると、大学卒業後は二十年以上に渡ってなんだかんだで筋金入りのプー太郎で、 まともな職には就いていないのだとか。つまり税金なんてほとんど納めたことない。でっ、4年ごとに選挙に出ては落選を続けてるんだって、当たり前か・・・・。

 よくもそんなんが、市民も舐められたもんだとも思ったが、国会議員にも案外そういう輩は多い。たとえば小泉家は二代続けて議員(秘書)以外の仕事はしてないし、自称叩き上げの下村博文は塾経営以外なんもしとらん。 しかも個人塾って、これも税金なんて払ってないぞ、たぶん。辻元清美も職歴はなく元NGO代表とかそんなんでしよ・・・・。まあ安部さんも神戸製鋼に三年勤めただけなんでこれもあかんで、個人的には好きだけど。

 別に戦前の貴族院議員みたいな多額納税者枠を、などと言うつもりは毛頭ないが、せめてペイペイのサラリーマンが5年間ぐらいに渡って払うであろう税額ぐらいを、立候補の最低条件にしたらどうか。あまりにも社会経験のないズレた連中が、議員に紛れ込んでいるように思えてなならんのですわ。

 ズレているといえばにれ、

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 志位が二位って、大丈夫か? 週刊朝日・・・・。もう読者層を「週刊金曜日」とか「赤旗」に寄せてるんだろうな。しかも回答数はたった136人。これで4Pの記事を書けるというのはよっぽど腹括ってるってことか。まぁ中共の金は入ってるんでしょうが、買う人がいる以上ガタガタ言うてもしゃぁないか。

 選挙といえば争点が何になるのかも注目ですが、コロナはピタリと止まった以上、野党はどんな一手を繰り出すのかとワクワクしてたらこれ、

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 良いことでしょう、としか返しようがないのだが、こういう援護射撃もあるのかと。こうなったら何でもありですな。また一つ勉強になりました。

 

<本日の援護射撃>

 地方大学野球部の限界

 前回の後半、我ながら無責任ではあるが、ドラフトにおいて逆指名を復活させてはと書かせていただいた。その続きというか、ドラフトを振り返るの番外編として、残りについて書いてみたい。

 その前に少しおさらいすると、球団経営の目的はもちろん稼ぐためだが、それを目指すにあたって一番手っ取り早いのがきれいごと抜きで、ファンに愛される球団をつくることだろう。目的がそれでもいいはず。多くの方に愛され、熱心なファンが増えれば、自然儲かるって寸法。

 当然その中には子供たちもいる。その子が野球をやり始めて、将来そのチームのユニフォームを着たいと願うのは自然な流れ。そういう一面を置き去りにして、逆指名を殊更汚いもの、我儘なものにするのはどうかと思うのだ。

 前回逆指名を考えるきっかけとして大谷の名を上げたが、実は白状するともうーつ理由がある。それはここ数年、ドラフト前に候補選手たちがインタビューなどに応えたものが記事になっているのを読んでいると、必ず ”恩返し” という言葉が出てくる。今後のドラフトを考えるうえで、これはキーワードというか、一種のパワーワードだと個人的に思ったりしています。つまり令和の今、逆指名を復活させるならば、それを何より念頭に置いたものになるべきではないか。

 では恩返しを必要としているのはどこなのか・・・・? その答えはアマチュア野球界である。

 今日のアマチュア球界、まさに危機的状況一歩手前にあると思っています。巷でよく囁かれるのは社会人野球の崩壊であるが、地方大学野球はおそらくその前にお陀仏になる可能性がある。たとえば先日引き合いに出した正村監督の八戸学院大学であるが、硬式野球部に所属する選手の数が、大学の全学生数の十分のー以上に上ります。この数字は全入時代となったこの先、八戸学院大学が生き残れるかどうか、非常に難しいところにいることを示してはいないか。野球部が全国大会などで実績を上げることで校名を知らしめ、受験者数を増やしたいとするその役割は、残念ながらずっと機能してはいない。

 今回のドラフトの目玉だった隅田の西日本工業大学も同じようなもの。そんな大学は田舎には山ほどある。皮肉にも、有力選手で一儲けを企むゴロツキが生きながらえている反面、逆指名廃止後、ほぼ無風ドラフトが定着する中で、地方でまじめにコツコツやっているチームの運営は青息吐息なのである。

 大阪や神奈川などの野球王国でいまいち芽の出なかった高校球児が、地方大学で化学反応を起こしてブロ入りする、そういうケースを我々は何度となく見てきた。しかし、そのサクセスストーリーも、受け皿があっての話。 それがなくなったら化学反応も糞もないわけで・・・・。

 さらにいえば正村さんのような有能な指導者は地方に多い。彼らの活躍の場も消えていくことになる。選手はプロ入りすることでひとまず報われる。しかしそこで置き去りになる存在があるということだ。

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 恩知らずなNPB

 NPBがここまで隆盛を極めることができたのは、人材供給してくれる分厚い下部組織があればこその話。しかし、陽が当たるのは高校野球東京六大学などばかり。社会人野球や地方大学の貢献は、決して見過ごされてはならないはず。にもかかわらず、そこが縮小していくという現実を視界の片隅に捉えながら、育成指名選手を増やしたり、それを見越して三軍設立で補おうという、これは果たして正しいやり方だろうか? 私には恩知らずな行為に映るのだが・・・・。

 NPBは果たしてこれまで、彼らの献身を称えるような、もしくは花を持たせるような行為をしてきただろうか。社会人野球や地方大学野球に対してやってきたことといえば、監督の座を彼らから奪うことぐらいではないか。ここ数年、都内の大学がイースタンと試合を組んだりすることもあるようだが、地方の大学にお声がかかったというのはあまり聞いたことがない。つまり地方はほったらかし。ここであえて問うのだが、たとえば今ドラフトで四球団が重複入札した隅田を、 四年前育成入団させ、ここまで育て仕上げることができただろうか? きっとSBでも無理だろう。

 NPBかアマチュア野球をパートナーとして支援をするのは当然のこと。しかしそれが、”アオダモ資源育成の会” みたいなあまねく広く浅くでは意味がない。人材供給源としてそもそも不可分な間柄なのだから、もっと親身になってやってもらえないものか。だいたいNPBがアマチュア野球と一同に介する場というのもの自体がないではないか。ならば毎年暮れにやっている「NPB AWARDS」などで、たとえばその年初めて指名選手を輩出した高校や大学、複数人が指名されたチーム、もしくはー位指名全部でもいい、何らかの基準を設けて、それを満たしたチームの指導者をそこにゲストとして招待するというのはどうか。さらにその中から一名、年間最優秀育成指導者として表彰するのもいいだろう、というか、それぐらい朝飯前にできるだろ。組織に対しては金を出して、人に対しては名誉で報いるというのが正しいやり方だと思うぞ。

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 前回長々と面倒くさいことを書いてきましたが、契約金から所属チームへの寄付を義務付けられれば、NPBとして、地方で頑張る大学や社会人チームに対しても、選手経由ではあるが堂々と支援を行うことが可能になる。 繰り返すようだがまさに今、地方の社会人、大学チームはその支援を必要としているのです。

 適法と適正

 ただ逆指名に対するアレルギーが依然根強いというのも理解する。契約金の高騰に裏金、接待、野球ゴ口などなと、負のイメージの伴うものを上げると片手では済まない。しかし、である。なんでもそうだが、浮世の出来事というものは、”適法であるか(A)”、と、”適正であるか(B)”、の観点で見るべきだと私は思っている。そういう風に考えると冷静に判断できるようにも感じる。誤解しないで欲しいのだが、お隣の国のように、この二つが並立する、というのではない。あくまでもまずは (A) を満たしているのかを問い、そして次に (B) も満たしているか、つまり (A) と(B)の ”and条件” に適っているかを問うのである。( (B) だけ満たすというのでは論外)

 野球の例で上げると、古い話で恐縮であるが、ちょうど去年の今頃取り上げた江川問題

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 あれは当時の野球協約の抜け道を強引に突破しようとしたもので、協約自体が杜撰であったということは置いておくとして、適法かと言われれば、協約から判断するに、適法です、そう答えざるをえないだろう。私もそう思います。

 しかし適正か、つまり社会通念、倫理、道徳を踏まえればどうかとなると、決して誠実であるとは言えない。だからあれは間違っていた、そう思うのです。

 最近の例でいえば、去年巨人はDeNAからFA宣言していた梶谷と井納を獲得しました。その際、19年に高卒でいきなりイースタン首位打者を獲った山下を、怪我を理由にいったん自由契約とし、その後に育成選手として再契約を結ぶことで人的補償の回避を図った。これは育成選手は人的補償の対象外だとする、現在の野球規約には則っているものの、明らかにそれを悪用している。結果もめ事には至っていないが、私個人の見解を申し上げれば、適法ではあるが、江川問題同様適正ではない、つまり巨人のやったことは間違っていると思っています。

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 では逆指名はどうだろうか? 実際にその制度は一度取り入れられ、それでドラフトが運用され、93年から15年にも渡って定着してきた実績がある。しかも職業選択の自由がある以上、間違いなく適法であろう。しかし、恐らく社会通念、倫理、道徳を踏まえ、高騰するであろう契約金など諸々を念頭に入れると、それはいかがなものかとなるのではないか。実際よく巷で繰り返し言われたのが、二十歳そこそこのガキをめぐって数億円が動くというのはどうなのか、まして高校生の洟垂れ小僧にはあってはならない、などなど。つまり適正ではないってことに落ち着くのだろう。だがあえて言わせていただくが、それはあまりにもこの社会における一般的な物差しで彼らを測ろうとし過ぎてはいないか?

 サラリーマンというのは恐らく、大概の場合、三十代の後半から仕事を任せられるようになり油も乗ってバリバリ働き、四十代を半ばで全盛を迎え、年収はといえばタイムラグがあって、五十代の前半がピークとなる、そんな感じか。

 しかし彼らは違う。二十代半ばで頭角を現し、三十前後で絶頂期を迎え、その半ばから下降線を辿り、その後数年で引退。かなり息が長く頑張った選手でもそこまで。残りはある意味余生であり、隠居のようなものかもしれない。恐らく二十代で稼いだ額を、引退後の長い人生で上回ることはほとんどない。ある意味生き急ぐ彼らの人生を、我々側の尺度を押し当てあれこれ言うべきではないだろう。まして十代で億近く稼ぐアイドルがいるというのに、彼らにはそれが許されない、というのも道理に合わない話である。

 実現? 最悪の日本シリーズ

 逆指名は確かに負の側面が多い。しかし日本球界全体のことを考えればやり方次第ではメリットもあるのだ。

 それと最近のドラフトを眺めながらつくづく感じることがある。物足りないとは言いたくはないが、そこに自由競争ならば帯びるであろう熱や活気が明らかに削がれている。

 球団経営に対する努力を怠っているにも関わらず、堂々とドラフトに参加し、当たり前のように目玉選手に入札し、クジにも当然の如く参加、あまつさえ結果いかんでは易々と大谷のようなスター選手を入団させることが可能となる・・・・。この現状、やっぱりおかしい。

 あえてパラフレーズするなら、今のドラフトではサボってる球団がドラフトのクジ次第ではそれなりのチーム力を保持できるので、ますます球団経営を疎かにするし、必死に頑張っている球団との間に差が生まれにくくなるのではないか?

 もし今年の日本シリーズでヤクルトとオリックスが戦うことになったら、まさにそれが証明されたことになると思うのだが・・・・。来年、間違いなく、この2チームはBクラスですぜ。

 そろそろ逆指名復活の是非について、考えても良いのではないでしようか?

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