Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

第103回大会 雑感 Ⅲ

 夏の甲子園、なんとか夏のうちに終わりましたね。しかし結果についてここで触れることは永遠にないでしょう、ええ。

 さて、前々回から ”with コロナ” に見合ったチーム作りや強化をそろそろ考えるべき時期に来ているのではないか。そして差し当たっては練習試合を極力抑え、普段の部内の練習を土台に黄金期を築いたPL学園の指導方法から学べるものがあるんじゃないか、特にバッティングにおいては、ってなことを無責任に書きました。その裏にはコロナ禍で打者のレベルが相対的に下がっているように感じたから、というのがあります。

 じゃぁいったいPL学園のバッティングって何なの、ってなると思います。

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 簡単に申し上げれば、PLの殊打撃においてはしっかりとした約束事があった。そして選手は皆それを守っていた。少なくとも私のような傍から観る者にはそう映りました。

 選手は打席に入る前、そのルーチンとして、まず目を閉じ胸のあたりに忍ばせたお守りに利き手を添えるとユニフォームごとそれを鷲掴みにして祈る。次に目を開けると、やおら背筋を伸ばし投手側の肘を立てて脇を擦りながら拳を上下に振り始める。一回二回、すると今度は一気に五、六回かなり速く上下に拳を振り脇を擦り出し、一息つくと確認を終えたとばかりにゆっくり打席に向かう。

  構えは脇を絞りグリップは肩の近くにあって、前の肘(右打者なら左肘、左打者なら右肘)を緩く曲げ常に遊びを持たせている。それ故スイングの軌道は必然的に身体の近くで描かれ、前の肘をいっぱいに張ってバットを引っ張り出すようなことはありえず、テークバックは総じて浅いように映った。またグリップを余して持つ打者も多い。

 次にPLの打者のスイングであるが、その特徴を一言でいうと、ヘッドを立てる、これに尽きる。ヘッドを立てるとは、極端に言えばグリップの位置よりヘッドを常に高く保つことである。なぜそれをするのか? 以前述べたが、PLの各打者のミートポイントはこの夏の甲子園に出場した選手のそれよりもボール一個から一個半ほど捕手側にあった。つまりボールを引き付け手元まで呼び込む。しかしその分差し込まれるので、それをヘッドを立てることで押し返すイメージか。

 ストライクゾーンは基本上げて、追い込まれるまで低目に手を出すようなことはしない。低目のボールはそこから外へ曲がったり落ちたりする変化球が多いから、というのもあるが、先に上げたようにヘッドを立ててスイングする以上、低目のボールをその軌道で仕留めることは難しい。よっぽどの免許皆伝の打者以外は、カウントが浅い段階で低目を打ちに出ることは許されなかったのではないか。なので真ん中であっても低目のボールをフルスイングで掬い上げるようなことはほとんどない。清原の高校時代のホームランを見てもらえばわかる。ほぼ真ん中から高目だ。

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 間違っても前の腕を目いっぱいに伸ばして、遠心力を使って振り回し、外の球を引っ張り込むようなこともしない。外の球は押っ付けるのではなく、肘に遊びを持たせたまま踏み込んで払うように、右ならセカンド、左ならショートの頭にそれぞれライナーで打ち返す。

 逆にインコースのボールに対してはスイングが身体に近いことを活かして、軸の回転で巻き込む様に打つ。また低目を深慮遠謀に与するのに対して、高目にはそのままヘッドが立ってバットが出るので、甘めに入ってきたものは球一個分ボールであっても強引に、初球からでも振りに行くことがある。83年の池田戦、水野からの桑田、児島の二本のホームランは、キャッチャーのミットの位置を見返すにつけどちらもボールではなかったか?

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  上の絵はまさにPL野球の真骨頂であり、高校野球界の勢力図を塗り替えた衝撃の一打と言える。以降、池田や箕島のような、覇者の名に相応しい公立校は出ていない。

 書いていて気付いたのだが、桑田の一発で主役交代となりあえなく散った徳島県立池田高校がやっていたチーム強化手法は、昨今の有力私立校がこぞって取り組むメソッドの先駆けであり、今に至るまでその本流となっている。すなわちウェートトレーニングを積極的に取り入れ、マシーンを並べて徹底的に打ち込ませるというその原点が、なんと田舎の公立校 ”蔦池田” にあったのだ。そしてこの夏をもって去る前田某あたりが何度も出向き、そのノウハウを取り入れ80年代後半から花を咲かせ ”ヒール校に戴冠なし” のセオリーを打ち破り我々は大変迷惑しているのです。まったく皮肉ものである。

 実際、池田の各選手はポパイのような腕で金属バットを振り回し長打を連発した。やまびこ打線はいまだに語り草である。しかし、プロ野球はおろか上のカテゴリーで活躍した打者はほとんどいない、というのもまた事実である。一昨日書いたが、目先の結果を出したいのならば、実戦重視の指導方法でそれは可能、ということを証明してくれている。

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 KK以降のPLは、東六から絶縁状を突き付けられ、ボーイズやシニアの指導者からは距離を置かれ、井元さんにも逃げられ、と次々に状況は暗転し、結局三十年持たなかった。更には三代目教祖から疎まれていた点が大きく、予算も九十年代に入ると他の強豪校とは比較にならないぐらい低かった、という話を聞いたことがある。

 PLのブランド力から廃部直前まで有力選手が集まったというのは事実であったが、PL学園の経営は生徒数の推移を見れば、二十年近く前から既に行き詰まっていたことが手に取るようにわかる。それは今世紀の初め、スタンドに絵文字を描けるのかどうかと囁かれていたことでも伺える。恐らくは部の運営も大変だったことであろう。

 そんな状況下にあってさえ細々とではあったが、ほぼ毎年プロに卒業生を送り込むという育成力とその再現性の高さは素直にリスペクトに値する、そう思っていた。当然その背景には過去から積み重ねられたノウハウがあればこそ。PL野球部亡き後、何んとかそれを再構築できないもんかと思うが、佐久長聖の藤原監督あたりが果たしてどれだけ受け継いでいるのか、どうも着任後の発言を点検する限り怪しい・・・・。観野や金築あたりをもう少し育てることができなかったのか、という疑念もある。我こそはという伝承者はいないものか。

 PL野球部の規模は全盛時でも毎年50人ほど。そして遠征や練習試合は極力抑え、一日の練習も3時間。寮も他の部(ゴルフ部、剣道部)との共用のもので、日々の料理は下級生自らが作るなど、練習環境も含めて今の私立常連校の方がよっぽど恵まれている。当時の学校規模から考えても、今思えば身の丈を越えた栄華であったと言えないか。もちろん、中村監督以外にも有道コーチや、時には井元氏も練習を見ていたという体制面の下支えは見逃せないが、今ならちょっと山っ気のある公立校でも手の届く範囲というのは言い過ぎだろうか。

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 昨日、何とか強行開催した夏の大会を終え、今後は ”with コロナ” の高校野球の在り方が模索されていくのだろう。そこで求められるの果たして何か? 私はしっかりとした野球理論だと思っている。 

 ある種モンスターと化した公立校である池田の編み出した野球は、それまでのスタンダードであった緻密な野球を凌駕し、今に連なる猛打の野球の礎となった。恐らくは投手の球数制限はそれに拍車を掛けるだろう。もちろん主役は資金が豊富な私立強豪校である。今年ベスト8に残った各校などは、結果が出ているのだから壁にぶつかるまで来た道をそのまま突き進めばいい。

 そしてそんな潮流に逆らい真っ向勝負を挑もうと、かっての公立伝統校の雄が狼煙を上げようというのなら、何よりもまずは芯となる野球理論を身につけるべきだろう。問われるのスケールではなく中身だ。

 皮肉にもあの池田を倒し、公立校でも拮抗できた時代に終止符を打ったPL野球とは何であったのか、彼らこそが自らの手で紐解き検証し、そこから学び己の血肉となった時、再び公立伝統校は甦るかもしれない。

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