昨日、各キャンプ地では紅白戦が繰り広げられたようですね。私は阪神とDeNAの試合を観ていたのですが、阪神のそれ、凄かった・・・・。一種の放送事故でしょ。佐藤は佐藤でも蓮の方。あれほどまずは安芸でフォーム固めで良いと言うたやろうに、無理無理に実戦で投げさすからこうなる。これでは田面一直線やで、ほんまに。またどんでんがそれを煽る煽る。せっかく戦力は揃ったのに、チームの雰囲気悪そう。
一方のDeNAですが、牧が光りました。1位でも不思議ではない選手だと思っていましたが、その片鱗を見せてくれました。あれは意地の一発かもしれませんね。
⚾ルーキー牧秀悟 初打席でホームラン!
— Deファン (@DeNA_2017) 2021年2月7日
(2021.2.7) #baystars pic.twitter.com/at6gaPldoc
とにかくこの選手、メンタル強くてここというところで打ちます。DeNAには人の良い選手が多いので、こういう敵から見て嫌な選手は希少かと。まぁシーズン入ったら見てておくんなはれ!
続いてラグビー。日本のTLはコロナのためにお休みですが、欧州の6Nは強行開催です。無観客でね。そしてあのスコットランドがやってくれましたわ。
トゥイッケナムで38年ぶりにイングランドに勝ちました。まぁ笛は確かに最初から徹頭徹尾スコッツ寄りでしたが、それを差し引いてもかなり強くなってます。去年からそうでしたが、身体の小さいチームがどう戦うのかって点で、日本の影響を受けていると思います。ディフェンスの上りとかね。少し手前味噌になりましたが、その手本にされた側の日本代表ですが、去年一年活動なしで完全に置いてけぼりですね、シクシク。
<本日の徹頭徹尾>
森元体制以降
昨日、早晩森会長は辞めることになるでしょうが、その後が気になると書きました。もし現理事のT氏がその穴に収まったら、日本スポーツ界は大変なことになるとも。じゃぁT氏って誰なのって話ですが、この方です、
高橋治之理事。元電通専務って肩書だけで嫌な予感がするでしょ・・・・。こういう記事が出て来るということは、高橋氏は依然JOCのトップなのだなぁ、そう溜め息交じりに思うのですよね。
この方については、亡くなった弟さん絡みでも世間を騒がせたり、いろんなところで既に書かれているので、あれこれ私から付け足すようなことはないのですが、暇な方はこの本とか読んでみてください。
本中にもあるように、79年、当時サッカー不毛の地と言われたこの日本でワールドユースを開催し成功させ、その演出というか企業を巧みに巻き込んだフォーマットは、82年のW杯スペイン大会以降の雛型になったように思います。つまりサッカーの国際大会における金儲けの手法の一つを彼は編み出した、と言えるのでしょうね。紛れもなくW杯商業化を推進した立役者の一人です。
ワールドユースの直後、FIFAと昵懇となり電通は合弁でISL社を立ち上げるまでになります。ただ本で書かれているようにISL社と高橋氏の関係は二転三転するのですが、当時のFIFAは20年にも及ぶアヴェランジェ王朝の真っ只中、その大番頭だったブラッターと直接やりとりできる唯一の日本人だったと思います。
でっ、何が言いたいかというと、90年代にこの国はFIFAの中枢にそこまで食い込んだ ”大物” を輩出していたというのに、2002年のアジア初のFIFAワールドカップは、ご存じのように日韓の共催になってしまった。上の本の中でも、このあたりについては実に歯切れが悪い・・・・、ように感じる。
君は日韓共催W杯の検証に出会ったか?
あとがきの中で、『電通とFIFAのことを調べていると言うと、メディアの人間は示し合わせたように、「えっ、大丈夫なの」と顔をしかめた』とあります。ギリギリまで電通を梃に商業化に邁進するサッカー界の裏側に切り込んだのは見事ですが、あの共催に至った背景をもう少し知りたいと望む私のようなものにはいかんとも物足りない。
そもそもこの本はタイトルにあるように、 ”電通” と ”FIFA” の話であり、日韓共催のW杯の真相に迫るものではない、ということで引き下がらざるを得ないことは理解する。ですが、例えばタイトルに ”電通” の二文字がある以上、それを介して90年代の ”サッカー” について語るのならば、高橋氏だけではなく故広瀬一郎氏の存在、というか彼の視点も必要になるのではと思ってしまうのですよね・・・・。
恐らく、この本の中で広瀬氏と思しき人間について語られるのは下記の一行のみ、『日本招致委員会の内実は、サッカー協会の外、電通、三菱商事から出向してきた人間である(P174まま)』。
昭和におけるこの国の最大のスポーツイベントが64年の東京五輪であるように、平成における最大のそれは02年のFIFAワールドカップで異論はないでしょう。しかし、後者が果たして成功したのか失敗に終わったのかを問うのは、一種のタブーになっているように感じるのです。あの日韓共催W杯って何だったのだろう・・・・? 世間でよく語られる、アヴェランジェとヨハンソンの二人の派閥の抗争に巻き込まれた産物だったというのはその通りだと思いますが、果たしてそれだけか・・・・?
もし、高橋氏がこの令和の世にあってなお、五輪組織委員の理事という要職に就いていなければ、私も未だに腹落ちしないながらも時間とともに沈静化してきた、あの日韓共催の胸焼けにも似たモヤモヤ感を、再び持ち出すことはなかったでしょう。しかし今、時代を導く手は、再び高橋氏に近づいているように感じる。杞憂に終われば良いのですが、彼が本格的に動き出せば、この国には禍しか起きないでしょうね。
半年を切った東京五輪開催がどのように落ち着くのか(多分来月がリミット)、それを02年のFIFAW杯と19年のラグビーW杯という、この日本で開催された二つのW杯を検証しながら見届けていきたいと思います。