Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

虎に憑かれしころ

<今日はこんな感じ>

 

他人は何をする人ぞ

「何をされてる方なの?」
 これは大物歌手和田アキ子女史の口癖であり、タレントMrシャチホコが彼女のモノマネをする際のネタでもあります。特徴を捉えているというよりも、その人の内面を絶妙に言い表した一言として切り取られているように感じます。
 つまり、尊大に構えている彼女は、常に誰かを値踏みするように眺め、「お前はどの程度の人間なんだい?」、そう上から問いかけているのだと。もちろんそこには、「立派な私はこういうものよ!」、が省略されています。
 そんな不遜な彼女の態度を愉快に思わない方も多いはず。でもお茶の間からは何も言えません。テレビの中の人たちにとっても彼女は大御所なので無論何も言わない、どころか持ち上げられる一方。そんな接待の現場が放送され、お茶の間の不快感は募っていくばかり。でも彼女は最大手の芸能プロダクションに所属しているのでテレビに出続け、そのたび接待の現場が電波に乗り、お茶の間の不快感はさらに・・・・。このループのジレンマから、あのモノマネは開放してくれるのだと勝手に思っています。だからあのモノマネに対する笑いの中には、よくぞ言ってくれた、が少なからずあると思うのです。
 一廉の人物ほど、他人に対する眼差しは両極端に分かれる傾向があるようで、人を色眼鏡を掛けて見ない方もいれば、彼女のように猜疑の眼光を常にぎらつかせている方もいます。私は大した人間ではないですが、前者でありたいものだと思っています。
 一方、何だかんだ言ったところで、やっぱり人って常に他人について気にかけており、近くにいる人が何をしている人なのか、シンプルに訊きたくなることってあるものです。
 「お仕事は何をされているのですか?」
 単刀直入にそう訊かれた経験、私にも何度もあります。そのたびにこれって社交辞令であったり挨拶の延長なのか、仕事上での繋がりを求めているのだろうか、サラリーマンですっていうのも答えとして有効なのか、業種じゃダメなのか、そのものズバリを求めているのか、前株なのか後株なのか・・・・、半分以上は冗談ですが本当に一瞬で色々な回答サンプルが、決して良くない頭の中をグルグルと駆け巡ります。しかも間が空いたり考えたりする素振りは決して望まれません。そんな時、いっそのこと、「あっ、実は阪神ファンなんですよ、テヘェ」と言いたい衝動によく駆られます。そう、何を隠そう私はトラキチなのです。 

私は阪神ファン

 まぁ、それが許されるかどうかは置いておくとして、阪神ファンと明かすと、関西にいた頃など、「でっ、どれぐらいの?」と探りを入れられることが普通にままあります。あそこはトラの巣窟ですから、ちょっとやそっとの阪神ファンだったらすまさんぞ、というようなことなのでしょう。その場合、”筋金”と返すべきところを、「”真珠”入りの阪神ファンです!」と落ち着いた口調で真顔で切り返して笑いを取ったものです。いったいどこに入れとんねん、と。
 もう面倒なので、真剣に職業を阪神ファンにしたい、と思っていた頃もありましたよ。いつ頃でしたでしょうか、若かった頃、三十代まではそんな感じでした。阪神で稼ごうとか、そんな気は微塵もありませんでしたが、主に野球についてのHPを持っていたこともありましたね、ああ懐かしい。
 その頃の私は生来の怠惰のせいもあって、サラリーマンの自分に失望と限界を感じていました。ただ四十を前にする頃から仕事が忙しくなり過ぎて、っていうかどんなに忙しくても絶対適当にサボるようにしてはいたのですが、それでも忙しくて、気が付いたらもう何も感じなくなっていました。
 五十を超えてからは更に加速し、いよいよ真剣に仕事に殺されるかもな、と思ったこともありましたわ、ええ。
 なので最近は逆に達観して、どうせ仕事なんて大したもんじゃない、金を稼ぐ手段でしかない、と割り切るようにしています。だから仕事が阪神ファンだなんて、逆に阪神に対して失礼やろって感じです。
 まったくもって単純で大袈裟な私ですが、こんな私を形作る、その入り口というものがありました。誰にでもあるように、私にもあったのです。 

大阪は地球の中心?

  私は今から遡ること五十数年前に大阪で生まれました。物心がついたころ近くで万博がやっていて、それこそ世界中の人があの小さな街に押し寄せたので、大阪が世界の、いや、地球の中心だと信じて疑いませんでした。多分、それは大阪から阪神間奥座敷に引っ越して以降も小学生の途中までは不変だったように思います。

 関西電力が日本中に電気を、そして大阪ガスが北海道どころか沖縄までガスを提供している、そう信じていたような気がします。しかし、そんな幸せな日々は長くは続きませんでした。
 なんで阪神は日本一にならへんのやろ・・・・?
 っていうか、巨人って何なん、そもそも東京って一体何やねん・・・・?
 親父は観たらあかんっていうけど、テレビで「巨人の星」とか「侍ジャイアンツ」とかやってて、なんかあっちのほうが正義の味方っぽいし、大阪が地球の中心っていうのもどうもあやしい・・・・。
 小学校もその中学年に差しあたった頃、私は不幸にもようやくそう気付き始めたのです。
 当時の巨人には王、長嶋の両雄が並びV9を達成し、10連覇を目指すその真っ只中にありました。日本の何もかもが東京を核として動いているように、野球、というよりもスポーツ、娯楽は巨人を中心に回っていました。しかし、そんな球界の盟主巨人に真っ向勝負を挑む我らが阪神にも黄金のバッテリー”江夏-田淵”という金看板があったのです。
 シーズン401奪三振、オールスター9人連続三振という前人未到の記録を持つ江夏と、六大学の長嶋の本塁打記録を易々と塗り替え、王の本塁打王の牙城をも崩そうとする田淵の二人は、当時の球界においても異能といえる存在でした。江夏のストレートに強打者のバットが空を切り、田淵の打球がスタンド上段に吸い込まれるその瞬間、誰もが江夏の速球田淵の飛距離がいかに比類なきものであるか理解できたことでしょう。しかしその一方で、改めて少し長く二人について眺めたならば、飛び抜けた才能のその再現性について疑問を呈す向きもありました。江夏が時折苦しそうに胸を抑えたり、田淵がデッドボールを受け顔を歪め倒れこむ刹那、子供の私にもそれがわかるような気がしたのです。すでに十年以上もタイトルを獲り続けている王、長嶋とは何かが違う、と・・・・。矛盾するようですが、江夏、田淵はその能力が唯一無二なものであるがゆえに、王、長嶋を瞬間的に大きく凌駕することがあっても、並び立ち続けることはない、そんな風に感じたのです。いつもユニフォームの一つ目のボタンを外してグラウンドに立つ二人の姿は、それをきっちり留めているONとは一線を画しているように映りました。ONには決して届かないことを、二人が誰よりも知っていたのかもしれません。

田淵のホームランは私の原風景

 当時の私はというと、野球を観始めてすぐに田淵に夢中になったのを覚えています。長身でもみ上げを伸ばし、華麗なスイングから繰り出される滞空時間の長い、そしてどこまでも遠くへと運ばれていく打球。まさに天性のアーチスト田淵のホームランは、ようやく世の中の仕組みに気付き、少しアンニュイになりかけていた私の心をスカッと晴らしてくれるものでした。ポカがあったり動きが緩慢だったりには、幼ないなりに気づいてはいましたが、あの田淵の一発にはすべてを明るくする力があったように思います。
 初めての甲子園観戦、巨人を迎えての伝統の一戦はあえてレフトスタンドで応援しました。「そっちは巨人側や」、と説得する父をうっちゃって押し切りました。言うまでもなく田淵のホームランボールを手にするために、そしてグローブを片手に駆けつけました。勝敗は忘れましたが、田淵がホームランを打たなかったことだけははっきりと覚えています。
 その後も年に数度は甲子園に通い、田淵のホームランも何度か目の当たりにしましたが、その多くがレフトスタンドではなく、ポールを巻いてアルプスに飛び込むことを学びました。しかしさすがに巨人ファンで埋まる三塁側のアルプスで応援する気にはなれませんでした。
 そんな田淵が今年の初めに球界殿堂入りを果たしたのです。山本浩二氏や星野仙一氏がすでに選ばれていることを思うと、少し、というかだいぶ遅かったように思え愚痴の一つも言いたくなりましたが、我が事のように嬉しく思いました。残念ながら江夏はまだです。色々とあったので無理かもしれませんが、田淵はこれから選考する側に回るわけですから、是非江夏に一票をお願いします(無効票にカウントされるそうです)。

 今でも田淵のホームランをまざまざと思い起こすことができます。高く舞い上がった打球が、カクテル光線に照らし出されながら、今とは違って少し暗めでお客さんもまばらなレフトスタンドに吸い込まれていく、それは私にとって一つの原風景なのかしれません。

 

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 五十年近く経ってもそれができることを幸せに思うと同時に、阪神タイガースや田淵には感謝の気持ちしかありません。これからも阪神を応援し続け、ここでこうして取り上げることで恩返しになれば、と思っています。

 

今日のおまけ  (田淵とパパの夢の競演)

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 これは田淵が甲子園で決勝ホームランを放ち、観客席から飛び出したファンとダイヤモンドを回っているシーンです。左側の三塁コーチが、多分岡本伊三美さんなので昭和49年のことだと思います。当時、こんな風に興奮したファンがフェンスを乗り越えてグラウンドになだれ込むことがありました。阪神ファンとして申し上げるなら、幸せな光景だと思っています。がっ、注目して頂きたいのはそこではありません。右端のおっさんなのです。歓喜する彼の姿をよく見てください!
 そう、私がここで申し上げたいのは、彼が決して天才バカボンのパパのコスプレをしているのではない、ということなのですよ。

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 今なら結構ありますよね。たとえば2chの阪神応援スレッドの書き込みなんかに、”もし今日阪神が巨人に負けたら、御堂筋を裸ネクタイでジョギングしてやる”、というような罰ゲームを逆志願するみたいなのが。
 でも当時はそういうのは一切ありません。だから彼は、”もし今日のナイターで田淵がホームラン打ったら、天才バカボンのパパの恰好で一緒に走ってやる”、などと仲間内で大見得を切り観戦に来て、田淵に打順が来そうな回の前の守りのイニングの一人目がアウトになったあたりを見図らってトイレに駆け込んで、そこでバカボンのパパのコスプレに変身して、阪神の攻撃になって、それで田淵が回ってきて、スタンドの最前席列に紛れ込んで金網に張り付いて、さあ、田淵よホームランを頼んだそ・・・・、ああ、ほんまに打ちよったーっ、よっしゃーいくでーっ、っていうのではないのですよ。

 つまり、このおっさんは捩じり鉢巻き腹巻普段着にしているってことなんです、ええ。少なくともそれで阪神電車に乗って甲子園に来たはず。

 いやー、それにしてもやっぱり凄いな、この格好。捩じり鉢巻き姿で外出する人なんて当時でもそんなにいるもんじゃないって、いや、いるしーっ、真ん中の背中のおっさんも捩じり鉢巻きしてるわーっ。やっぱり阪神ファンって素敵ーっ!

 当時はもう戦後30年近く経っており、世界第二の経済大国に登りつめて久しい、そんな世情とは裏腹に、こんなおっさんが大手を振って自分の周りを闊歩していただなんて、いやぁー、やっぱ、昭和最高!
 それでは最後にご一緒に、
   嗚呼、昭和は遠くなりにけり!
   Please after me !

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