Till Eternity

どこよりも遅く、どこよりも曖昧に・・・・

2021 ドラフトの傾向と対策Ⅰ

 秋晴れが続きますね♪ ふと見上げればどこまでも蒼くて高い空が広がる、そんな日が一日でも長く続いて欲しいものです。

 秋は大好きな季節。もちろんドラフトがあるから、というのもあるかな。昔はドラフト=晩秋でしたが、まぁ高校生の進路もあるので仕方ないか。

 というわけで、シーズンはまさに佳境ではありますが、気がついたらドラフトまで後一週間を切りました。できるだけ多くの選手をご紹介できればと思うので、余計な話は極力控えるようにいたします。

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<本日の高い空>

 達の魅力は角度にあり!

 ドラフトに際する私のスタンスですが、これは二十年以上前にHPをやっていた頃から変わらないのですが、注目している選手がどんな順位でどこに進もうがあまり興味はありません。その選手がプロでどこまで活躍できるのか、この一点に尽きるのです。なので一般的なドラフトサイトとは趣が異なってくるかもしれませんね。まぁそのあたりは、こういう奴もいるんだ、ぐらいに思っていただければ幸いです。

 あくまでも私的ながら今年の目玉というのは、小園、達の二人だと思っています。前にも書きましたが、セリーグの上位チームを中心に小園に、パリーグの下位チームを中心に達に札が集まるのではないかと。そしてドラフトの直前に達の評価が急上昇する、そうな風にも思ったのですが、どうもそんな気配はなさげですな。ならば今年のドラフトの勝者は達を一本釣りしたチーム、ということになります。

 では達のどこが良いのか、ってところなのですが、それはとにかく角度です。190cmオーバーで真上から投げられる、それだけで私からすりゃ涎が止まらんっすよ。

 高身長の投手というのは、藤浪がいい例ですがバランスが悪いので、投球の際の身体の回転が横回転になって、腕の位置も下がりがちです。いわゆるスリークォーターぐらい。そうすることでコントロールは落ち着くし、別にスピードも落ちないので良いこと尽くし、だたしそれは高校生まで。つまり上のレベルに行けば行くほど打者の対応能力も上がるので、150キロ越えのストレートであろうと、140キロ台のフォークであろうと当ててくるし芯でもとらえてくる。もっといえば、打者が変化球待ちですら、150キロのストレートを平然とカットするし、逆にストレート待ちでも落差のあるフォークに反応してくる。

 今年の藤浪は結構フォークも良くなって、落差もコントロールもついてきたのですが、それでも一軍に定着できませんでした・・・・。全般的にコントロールが相変わらずというのもありますが、決まったと思ったフォークを当てられ、160キロのストレートを引っ張られ、その度に口元を尖らせるのですが、ファンからすればその口元をまずやめろ、と思うのですけどね、ええ。

 結局、思ったように空振りが獲れない、それが苛立ちを誘うのでしょう。でっ、その原因は何かとなると、角度なのです。極端に言えば、どんなに速くてもどんなにフォークが落ちても、横から来るならプロの打者であれば何とかバットに当てるぐらいはできる。しかし、同じフォーシーム、同じ落差や曲がりの変化球でも、縦の角度がつけば打者の観え方はガラッと変わる。眼は横についている以上、そこは致し方ないのです。

 広島の栗林や阪神の伊藤が今年新人としてあれだけ活躍できているのは、腕の位置を上げたればこそではないかと。共に大学時代はあそこまで上から投げてはいなかった。恐らく、私が観た限りですが、当時と球の速さやキレ自体はそんなに変わってはいない。なのにあそこまでプロで通用している理由はと問われれば、パラフレーズしますがひとえに打者目線における角度にある、自戒の意味を込めてそう思ってしまうのです。

 もちろんスリークォーターでも今を時めく山本由伸(山本はスリークォーターでも上の方だけどね)ばりのスプリットやスライダーがあれば違うのでしょうが、今年の上位候補投手の場合、魔球のレベルの球を扱う投手はいません。じゃぁみんな天井向いて上から投げろやって話になるかもしれませんが、それができたら藤浪がそうしています。腰や肩、肘への負担や、そもそもコントロールの精度を考えると、そう簡単に腕を上げますとはならないわけです。

 なので今年の候補投手を語る際、角度の備わっている投げ方をする投手(決して身長ではない)に注目してみるべきではないかと。しかも達は193cmあるわけで。さらに下半身の使い方も柔らかいし、肘の使い方も問題ない。ちょっとバックスイングは大人しいが元日ハムの西崎がそのまま15cm近く大きくなって帰って来たと思ってください。確かに怪我が多いとか、メジャー志向が強いとかあるようだけど、近年のドラフトのキーワードである ”早生まれ” 、それも最後の3月27日。いやぁ、実に楽しみな投手だ! こんな投手そうそう出ては来ないと思うけどね、ええ。今やったら一本釣りも可能でっせーっ!

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 ということで、実はドラフト前に言いたいことはこれぐらいなので、後はゆっくり去年の様に指名後に選手の寸評をとも考えたのですが、やはりドラフト前にこそ需要があるようにも思うので、もう少し頑張ってみます。候補選手については話の中で触れていくとして、まずタイトルのまんま最近のドラフトの傾向についてお話ししていきます。

 昨今のドラフトの傾向

 ドラフトというのは大金が動くもの。それはスカウト個人が用立てるのではなく、当然球団の金庫から出て来るのです。そしてその決済権限を持つのはいわゆるユニフォーム組ではなく背広組。プロ野球がスポーツビジネスとして先鋭化していく中で、両者の間に阿吽の呼吸があるかといえば、むしろない、というかなくなりつつある。こうなってくると、ドラフトという、いわばリクルート活動を企業として無事終えるためにユニフォーム組に求められる能力は何かといえば、それは ”翻訳” と ”プレゼン” の二つでしょうね。

 まず ”翻訳” とは野球経験のない背広組に対して、いかに判りやすく指名候補選手がどのような選手であるのか、たとえば今在籍している、もしくは過去に在籍していた選手に喩えたり、画像を見せながら一般的な言葉を用いて説明することであり、 ”プレゼン” とは、何故その選手が必要であるかを、チームの実情に照らし課題を共有させながら訴え理解させる、つまりはその二つが求められるのです。

 まぁかなり大袈裟に言いましたが、ビジネスライクな背広組に対して、スカウトが惚れ込んだ選手に金をつぎ込ませるためには、それ相応の労力が必要というわけです。

 以上のことを頭に入れていただき、指名に至る選手について簡単に分類すると、こんな感じになります。

① 指名しやすい選手

② 流れに乗っている選手

③ プレゼンのしやすい選手

④ その他の選手=指名しにくい選手 

 ①はいうまでもなく、甲子園や神宮、都市対抗などで活躍した実績のある選手。もしくはスポーツ紙面を騒がせるようなすでに話題になっている選手です。こういう選手は背広組もたいがい知っている。なので指名はスムーズに行くでしょう。

 ②以降については、まさに ”翻訳” と ”プレゼン” のそれぞれの力が必要となる。ということで、まずは②の流れに乗っている選手。これは意外な指名に思えるが、よくよく考え合わせてみると腹に落ちる、というケース。

 最近だと二年前の楽天の小深田などが良い例ではないかと。正直、スペックだけではとてもドラフト一位での指名は難しかったと思われます。しかし流れがあったから指名に漕ぎ付けることができたのでしょう。ではその流れは何かといえば、前年に同じ大阪ガスの近本がドラフト一位で指名されていました。身長170cmあるかないかの小柄な外野手。守備範囲は広いが肩は普通以下。正直この指名はリスクが高いと多くの関係者が感じたはず。実際、阪神は藤原、辰巳を外した末の苦肉の指名。近本の実力なら二位以下で獲るのが正解、というのが大筋の見方。ところが蓋を開けてみると、盗塁王に輝き勝負強い打撃もシーズンを通じて証明。一位指名は正しかったと出た。その流れを受けたからこその小深田の指名であったと思われるのです。つまり大阪ガスという同じチームにいて、リードオフマンの役割は5番を任されたりした近本ではなくむしろ小深田。脚の速さも遜色なし。であればショートを守れる小深田の価値は近本以上という見方もできる。茂木を三塁に専念させたい チーム事情もある。つまり一位に十分値する、という一連のストーリーをしっかり描けたうえで、フロントとも共有できた、そう思わせる指名でした。

 実際こういう指名は過去にもあって、少し古いのですが89年に古田が大学社会人経由の捕手(しかも眼鏡)ながら二位で指名され、結果見事に新人王。これが流れになって翌年のドラフトでは二位までに社会人三名(定詰、吉原、住吉も捕手経験)、大学生三名(瀬戸、矢野、関川)と、わらわらと大量の即戦力?捕手指名を呼んだ。当時からその順位の高さを訝しむ声はあった。要は、上手くやりやがったな、というのは人の心の奥深くに刻み込まれるということでしょうか。

 廣畑の入札はあるのか?

 でっ今回で言えば、先に上げた栗林、伊藤の活躍が、大学経由の社会人投手の再評価の流れを生むと思うのです。恐らくは廣畑や森には意外な高評価があると睨んでいます。特にドラフト指名が下手な球団が飛びつくのでしょうね。

 ここで一位入札濃厚と言われる廣畑について少し書かせていただくと、確かに150キロ以上のボールは投げるのですが、それは大学時代からであり特段の変化はない。卒業後下半身を作り込んだ結果、最近の投手にしては珍しい沈み込むフォームで、左膝に土がつくタイプ。押し込むようなボールに威力はあるが長いイニングや二巡目半以降はスタミナも含めて怪しい。ただセットアッパーに適性はある。しかし果たして一位入札の選手かと言われると疑問・・・・。うーん評価が難しい!

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 ドラフトでコーチを指名?

 もし私が背広組で、廣畑を指名したいとスカウトが伝えてきたら、なぜ大学卒業時に下位指名しなかったのか、なぜあの段階で見抜けなかったのかと問い質してしまうな。「そんなに廣畑が良い投手になったのなら、三菱自動車倉敷オーシャンズの投手コーチの手腕はよっぽど優れているということになるな。いっそのことプロ志望届を出してもらって、コーチとして指名するか、アッハッハッ!」 ぐらいの嫌味を思わず口にしてしまいそう。

 もちろん来年の廣畑の活躍は十分あり得る。しかし、何かがあったからここまで埋もれていた、というところにもどうしても目が行く。今年良いから獲る、というのは高齢社会人投手の場合は少し違うのではないかと・・・・。

 それとスカウト的には美味しい、というのもある。所属社会人チームだけではなく、在籍した大学や高校にも感謝される。つまり恩を売れて人脈もできるので、次の仕事がやりやすくもなる。しかも何だかんだで一年目はやるでしょうから面子も立つ。過去には大学経由の社会人ばっかり連れてくるようなスカウトもいたのだとか。ユニフォーム組にはそのスカウトの気持ちが判るだけに何も言えんでしょうから、しっかりと背広組がはねつけなければならない案件かもしれません。

 ここで少し横に逸れるのですが、社会人チームや地方大学のコーチには優秀な方が多いように、前々から感じています。社業の縮小や少子化で立場も不安定なのに、そんな中でも情熱を持ち続け頑張っている方を、真剣にプロでコーチをやってもらうというのはありだと思うのですよね。というのは、高校や大学、社会人の監督に元プロがかなり進出しているわけで、そういう意味ではNPB側が一方的にアマチュア野球界を侵食しているとも言える。引退後のセカンドキャリアとしてお世話になっているのだから、相互交流の観点でもアマチュアの有望な指導者を、しっかりとした形でプロに迎え入れるというのはありだと思うのです。因みにスカウトにはすでにそういう方が出てきています。

 まぁドラフトで指名するというのは冗談ですが、以前、虎キチの仲間内で「90年代のドラフトを振り返るに、田中秀太をドラフト三位で獲ったのはいかにも勿体なかったけれど、後のスカウトとしての器量を考えたらありだったかな」という笑い話がございまして、そういう秀太も今や二軍コーチですからね、偉くなったもんです。

 もしかすると、八戸学院大の正村さんがプロ志望届を出したら、コーチとしてドラフト中位あたりで指名するチームが出て来るんじゃないかと思ったりするのです、ええ。

  ではでは続きは明日以降で。

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この秋、怪物はいるか!?

 三週間ぶりの更新、お久しぶりです。

 上期末はやはり忙しかったですね。この半年の反省やら、下期の方針に目標やら、ああ面倒くさい。逆に10月に入れば、その頭に毎年あるもろもろの会議がすべてWeb開催になった関係で、東京に出張せずによくなって楽になりました。懇親会という名の酒席もなくなったしメデタシメデタシ。少しはドラフトについて書けそうです、まぁ話半分、期待せずお待ちください。

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<本日の面倒>

 ネットのメインストリーム化がドラフトに影響?

 新政権が発足しますね。岸田さんがどんな人かは知らんので何とも言えませんが、また毎年国のトップが替わるようなことにならなければ良いのですが、少し心配です。

 今回の総裁選を観ていて感じたのは、もうオールドメディアには世相を汲み取ることが難しくなった、ということなのです。

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 しかもよっぽど後ろめたかったのか、十日ほどで上の記事はリンク切れ・・・・。

 

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 正直、ネット界隈では ”日本端子” 以降、河野失速を予見していたので、周回遅れの感は否めません。もちろんネット上には偏ったアンケート結果も散見されます、

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 こういうのは切り捨てて、上手く使いこなせばネットの方が頼りになるように感じます。そう思う方も多いのでは? もうネットがメインストリームと言えるかもしれませんね。

 ただその反面、何んと申しましょうか、ネットも公共性が帯び始めたというか、本来の持ち味に翳りが表れ始めたような記事もチラホラ、

news.yahoo.co.jp

 この記事いわく、「総裁選各候補のTwitterアカウントのツイートに”いいね!”をしているアカウントのプロフィール文を形態素解析することで、どのような層に支持されているかを可視化してみた」そうなのですが、野田聖子候補のその形態解析結果というのがこれ、

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 なんか変じゃね? 野田氏についてTwitter上で最も話題になっていたのは、やっぱりというか、終始アレでしかなかったのだが・・・・?

 

www.dailyshincho.jp

 

 これに対する野田候補の反応がこれ、

 

www.sankei.com

 信じるのは構わんけどさ・・・・。嘘を信じてどうすんねん、というか騙されてる。なんかこういう展開、最近多いよね。

bunshun.jp

 夫や婚約者を盲目的に信じるのは構いませんが、立場を弁えてもらいたいものです。政治家を引退するとか、皇室とはスパッと縁を切るとかして、そのうえで愛を貫いていただければ立派なのですが、中途半端に繋がったまま相手に対する想いを吠えるからシラケる。はっきり申し上げますが、野田氏の旦那さまも小室さんもかなりのスジ悪。世間はそれを見破ってるからブーイングしか出ないのですよ・・・・。

 でっ、先の野田候補の形態解析の記事に戻るのですが、”旦那” の二文字抜きで何が解析できるのでしょうね。ネットなんだからもっと切れ味鋭くありのままを解析すりゃいいのにと。結局、ネットもメインストリーム化するにつれて、お行儀良くなって、誰も求めていないのにあれこれ勝手に忖度した結果、見えて来るはずのものが見えなくなってしまっているという。これではオールドメディの二の舞だと思うのです。

 でっ、本題に入るのですが、実はそれが目前に迫ったドラフトにも影響しているのですわ。

 ネットのドラフト記事に忖度は必要か?

 というのは、この記事を読んでちょっとどうかなって感じたのですよ。

number.bunshun.jp

 この方は20年近く前から ”流しの捕手” をやって、なんだかんだでアマチュア野球界とは昵懇の関係になってしまっているので仕方ない面もあるのですが、なんというか全体的に提灯記事になってしまって、これでは選手の実力は見えて来ない。読んでいただければ感じると思うのですが、記事で取り上げた選手はみんな凄い、ってことになって持ち上げてばっかり・・・・。凄い選手であることはみんな判っているって。ただドラフトを目前に控えて、そこでは指名や順位という形ではっきりNPBから優劣が突き付けられるので、その前に手掛かりを求めて安倍さんの記事を読むというのに、これでは何の参考にもならない。野球ファン、特にオタク的な方は観戦歴も豊富だし自分の観る眼に少なからず自信を持っていて、ドラフト候補選手に対しても一家言ある。しかも贔屓の球団の未来図にも関わって来るからこそ、安部さんの記事に対する需要が高まるというのに、上の記事の内容では台無しです。

 15年ぐらい前でしょうか、一度神宮のネット裏だったと思うのですが直接安倍さんとお話しする機会があって、私もご存じの通り野次馬なので、厚かましくも二試合ほど隣の席で観戦させていただきました。やはり話す内容は的を射るものが多くて大変参考になったし、結構毒を吐くこともあったのですよ。ところが記事になるとあれ・・・・。

 そこで思うのですが、きっと上のコラムも安倍さんご自身はきっと本意ではないのだろうなと。つまり色々とダメ出しにあいながらああなったのだろうなと。別に本家の「Number」誌に載るのじゃないんだから、そこまで気を配る必要はないと思うのです。とはいうもののああいう形でしか公開されない以上、これも一種のネットのメインストリーム化の余波ではないかと。 

 最近の世間の傾向として、 ”評論” というものがそこから埋没しつつあるのではないかとつくづく感じます。大家はもちろん、気鋭の論客と言われる方の著作も、世に出ることがすっかり減ってきているのです。その裏で、人気小説、映画やドラマ、出演タレントの「ファンブック」はよく売れるているのだとか。まぁ「ファンブック」の中には、いわゆる写真集も入っているのでしょうから、そもそも「評論本」と出版数や売り上げの比較をするのは詮無い話。しかし前者には、対象をひたすら絶賛するラブレター紛いの文章を寄せ集めた程度のものも多い。そこから期せずして世の中の流れを垣間見てしまうように感じるなぁ、トホホ・・・・。

 それはメインストリーム化しつつあるネットにあっても、如実に表れて来ているのではないかと。つまり絶賛系の記事のほうが、斜に構えた批評系の記事よりもずっと読まれる。しかもSNSでも拡散される。結果、残念ながら「ファンブック」ばりの大甘の記事のほうが、客観(主観?)分析記事よりもPVを取りやすいのでしょうな。その代償としてネット上にも忖度が跋扈するようになった。安倍さんの論評の切れ味が鈍くなるのもむべなるかなと。

 怪物は君だ!

 でっ、ようやく本題に入るのですが、今年のドラフトはどうなんだというわけですが、今年は素直に ”欲しい” 、そう思える選手がいます! 因みに去年はいませんでした。じゃぁ誰かと言えば、この選手です。


www.youtube.com

 何でも今のところそんなに評価は高くないのだとか。野球太郎でも総合7位だったっけかな。しかも今年の目玉は高校Big3で小園、風間、森木で決まりだそうです。

 風間、森木よりは全然こっちが上なんですけどね。いやぁ、今年のドラフトが、そして来年のファームの試合が楽しみだわ。

 というわけで、次回は達を中心に今年の候補選手を辛口に紹介しながら、去年ここで扱った選手について答え合わせをしたいと思います。乞うご期待!

スポーツビジネスを巡る冒険

 先週、大谷について書いていた途中で寝落ちしてしまい、その直前、二日後の未明に自動的に更新させる設定にしたのですが、すっかりそのことすら忘れて、しかも金曜の夜は結構時間があったにも関わらず、今月初めからFOXが気が狂ったように「Prison Break」を集中放送している関係で、まぁせっかくだから予約しておくか、そのうち暇が出来たら観るだろ、ぐらいの感覚で録画していたのがちょっと気になって、ちゃんと録れているか確認してやるかな、ってなノリで観始めたら止まらなくなり、更新時間直前には嫁共々再び寝落ち・・・・。気が付いたら書いてる途中でやめた内容のままアップされているではないですか! 超恥ずかしい。

 なんとかしようと悪あがきをしてみたら、日付が変わって更新されて、せっかく☆を付けてくださった方がいたというのに消えてしまいました、誠に申し訳ございません。近いうちに「大谷翔平賛歌」についてはちゃんと書きあげたいと思います。

 しかし、いかに大谷が凄いかを、メジャーリーグNPBとの位置関係という観点で、個人的な思い出から遡りながら書こうとすればするほど、大谷からはどんどん遠ざかっていくという・・・・。こりゃあかん、とりあえず出直します。

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<本日の寝落ち>

 

 SkyAにトヨタCM参上の怪!

 先週の水曜ですか、阪神 vs ヤクルト を観ていまして、こんな私ですが家庭内ではそういう時間って結構後ろめたいものじゃないですか、お父さんまた好きなことしてる、みたいな。だから大人しく、息をひそめて観ているわけですよ。でも、思わず ”えっ!” って大声を上げてしまった出来事がありました。それは、大山のホームランでも小川の初勝利でもなく、これですわ、

 


www.youtube.com

 

 CSのあの腐れSkyAでトヨタの、しかもレクサスの現行CMが流れる日が来るだなんて、夢にも思いませんでした。販売店のローカルCMではないのです。我が目を疑いました。なんせESはレクサスの最高位ではないですが、人気モデルですから・・・・。さらに1分近くある特別バージョン! サテライトABCの時代から観ていますが初めてでは? まだ信じられません。

 以降、かなり執拗にCMをチェックしながら野球中継を眺めていたら、JsportsのMLB「イッキ見」、そして土曜の広島 vs 阪神 でも流れました。これが何を意味するのか、そして私が何を言いたいのか、この極北の当ブログに訪れてくださるみなさんは感づいているのではないかと。

 以前、オリンピックの最後の方に、スポーツイベントの放映権料などについて近々書く、みたいなこと言っておいてそれっきりになっているので、良い機会なので取り上げたいと思います。

 全盛期から巨人戦は鬼っ子の怪!

 スポーツビジネスの話の前に、その前段として頭に入れて置いて欲しいことがあります。それは私が一貫してオールドメディア、特にテレビ業界について下記の主張をしている点です。違和感を感じる方はスルーでお願いします。

① 視聴率は電通によって操作されている

② スポーツ番組は煙たがられている

③ テレビの中の人たち(いわゆる業界人たち)は、税金や企業の広告宣伝費を山分けすることしか考えていない

④ そもそも地上波のCMなんて視聴者は見ていない

 ①については前にも書きましたが、VR一社でしかその数字を出せない段階で、それを信じろというのには無理がある。”スイッチ・メディア・ラボ” みたいなのも出て来てはいますが、所詮”業界” の卒業生みたいな輩の集まりなので何の意味もない。もう取り込まれてます。毎年何千億もの広告宣伝費を”業界” に突っ込む企業側から、改めて視聴率について検証してみるべきかと。もっと突っ込んで言えば、株主がそれをするべきです!

 ②についてですが、二十年前まで巨人戦は毎試合15%以上の視聴率を取ってはいましたが、不思議なことに決して手放しでは喜ばれていませんでした。当時から局の中ではスポーツ担当とその他の間で溝があったのです。1シーズン試合数は130。試合放送時間は2時間。他の担当からすれば、4月から秋までの2クールのうち260時間がスポーツ番組に、しかもゴールデンから奪われていたわけです。巨人戦さえ無くなれば、そこに充てられていた枠は予算ごと全てドラマやバラエティ、報道に回る。日テレ内部ですら巨人戦を疎んじる社員が多かったのです。まぁ、スポーツ担当にコネ入社の割合が高いというのもあったようですが・・・・。

 今でも巨人戦が地上波で放送されていれば、視聴率が二桁あったとは夢にも思いませんが、視聴率は電通によって意図的に操作され、結果として地上波から締め出されたと私は思っています。特に03年あたりからの7、8年の間に一気に落ちたのには人為的なものを感じました。何より不自然なのが、あの現象から十年以上を経ちましたが、北海道や東北、関西、中国、九州では、今でも地元のチームの視聴率は普通に取れていることです。つまり関東だけプロ野球の数字が低く出る、というか出す。巨人の人気が落ちただけというのなら、先の五輪における野球の視聴率の東西の差は何でしょうか(関西地区と比較すると、野球はだいたい3~5%低く、サッカーは10%近く高く関東地区では出ます)? これでは巨人人気の低下だけでは説明がつきません。

 関東だけ野球の人気が低い、という見方もできますが、関東各球団の観客動員数はコロナ前までは順調に右肩上がりで推移しており、決して野球熱は低くはありません。今時電車に乗れば、スマホプロスピをやっている若者を見かけないほうが珍しい。それは関東でも同様。個人的な肌感覚で言えば、野球人気は盤石にしか思えない。果たしてこの見立てが誤っているのか、電通による野球下げ操作はあるのかのご判断は、読んでいただいた皆さまにお任せします。

 地域による嗜好や文化面での違いは、スマホがほぼ全人口に浸透し、世の中が総ネット化するその過程で小さくなりました(ラーメン不毛の地であった大阪ですら、二郎系のラーメンが跋扈しているのには正直ショックでした)。狭い日本の中で、関東だけ殊スポーツ面で特別だとは思えないし、巨人人気が落ちたことに異論はありませんが、あそこまで短期間で急激に視聴率が落ちたことに対する違和感は消えない。

 ちょうどあの時期、テレビの広告収入の成長神話が終わり、一転下落に転じました。またリーマンショックにより各企業が広告宣伝費の引き締めと選択が進み、ネットの広告収入はあの期間で倍以上に伸びそのまま成長を続け、数年前にテレビを抜き去りました。あの頃すでにここに至るまでの予想はついた。つまり”業界” は、収入源がこれ以上の上積みを望めない事態に初めて陥り、かといって縮小に舵を切ることはできず、決まったパイの中での椅子取りゲームが始まった。そこで巨人戦の椅子を物理的に消すことで、ドラマやバラエティなどの既得権益を守ろうとしたのではないか?

 電通からすれば、巨人戦にオワコンの烙印を押しさえすれば、地上波からプロ野球の全国中継は打ち切れる。電通が仕切る業界内の住民は局の社員だけではなく、いわゆる芸能界の人たちもたくさんいる。彼らを食わすためにはドラマやバラエティ、情報番組は多ければ多いほどいい、という大義名分も立つ。つまり巨人戦はそのスケープゴートにされたのでしょう。 

 ”業界” に蔓延する掟の怪!

 そもそも業界にとってプロ野球中継の最大の問題は、そこに集まったCMの売り上げが、代理店とテレビ局で中抜きしてもその半分以上が巨人をはじめとする各球団の懐に入るというところ。プロ野球の各球団や選手は、いうまでもなく ”業界人” ではありません。つまり金が外に流れるだけで、内部に還流しない。また球団の親会社の多くが自前で広告代理店を持っていることは以前書きました。

tilleternity.hatenablog.jp

 ここからは③についても絡んでくるのですが、”業界人”たちは、身内かそうでないかをとにかく重要視します。身内に金が落ちるのならまぁ良いだろうとなる。ジャニーズが儲かれば吉本も拍手するのです。アイドルとお笑いはバッティングしないからでしょと受け流されがちですが、最近のジャニタレはバラエティ部門にも進出していて、もはや明らかなライバルです。それでも拍手するのです。業界内が盛り上がれば必ず仕事は回って来るわけですから。

 また、身内の絆を堅いものにするため、芸能プロダクションの系列化が進んでいます。そしてその流れに反旗を翻す者は徹底的に、元からいなかったことにされる。それはプレイヤーを減らすためでもある。儲けを山分けするには分母が少ない方が良い。かっての日本映画界の五社協定のような現象が、今芸能界では起こっているのです。この先どのような道を辿るのか、実に分かりやすい。

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 先ほど視聴率の検証は株主がすべき、と書きました。なぜ企業内ではダメなのでしょうか。それは各企業の宣伝部などは完全に ”業界人” だからです。彼らは少しでも多くの広告費を持ち帰って来るよう業界に躾けられた手配人。そうなるように、業界ならではの、まさにPricelessな接待を受けて抜けられなくなっています。異動があった際などもその接待込みで引き継ぎが行われるようです。なので企業内で広告宣伝費の妥当性を検証するのは難しいと思われます。

 ④については説明は不要かと。そのまんまです。今は自分の好きな番組ほど録画して、自分の好きな時間に視るものです。ドラマもバラエティも、その質が高いとされればされるほど視聴者はそうします。リラックスして観たい方はスマホに落としてお風呂でのんびり視るでしょうし、良い夢を見たい方は寝るのに合わせて寝室のテレビで視るかもしれない。つまり番組を視るタイミングの主導権は、すでに局から視聴者に移っているのです。これも一種のYoutube効果でしょうか・・・・。

 15年ぐらい前までは、OLを中心に月9のドラマを視るために仕事を切り上げて帰宅を急ぐ、という現象がありました。食事も済ませて五分前には家族揃ってお茶の間で視たそうです、父親抜きで。そういえば、25年前ぐらいでしょうか、月曜の朝、駅前のコンビニで少年ジャンプを買うためにレジの前で列をなす学生やサラリーマンの姿が一つの景色でしたね。そういう時代が確かにあったのです。当時のドラマや漫画には ”鮮度” というものが内包されていたのかもしれません。彼女たちは間違いなくCM込みでドラマが視ていたでしょうし、彼らはジャンプに載っていた身長が高くなる広告もしっかりと読んでいたのかもしれません。今は言うまでもなくCM込みでドラマやバラエティを視るようなバカはいない。録画してそれはカットされます。

 W杯放映権料を巡る怪! 

 スポーツビジネスについて書こうと思って大きく話が逸れてしまいましたが、”業界” の現状を整理するためにどうしても必要なのです、ご容赦願います。

 でっ、最近スポーツビジネス、特に放映権について立て続けに大きな事件がありました。

www.nikkansports.com

 これが三週間前で、さらにその三週間前にはこういうのもあった、

www.asahi.com

 まず、一つ目のW杯アジア最終予選における日本のアウェー戦が放送されなくなったというのは記憶に新しいところかと。これは香港に拠点を置くFMAという代理店が、恐らく中国資本なのでしょうね、そのスケールメリットを最大限に活かして、電通のやってきたことをそのまんま劣悪にコピーしてをやり出した関係で放映権料が跳ね上がり、結果として国内で放送できなくなったというお話。

 二つ目は来年のカタールW杯の放映権料についての交渉が、ジャパンコンソーシアム(JC)という国内の放送局連合(みなさまのNHK含む)との間で暗礁に乗り上げたというお話。しかもポイントは金額が「200億を超えた(原文まま)」というところ。実は7年前のブラジルW杯のそれは400億で、直近のロシアW杯が600億と言われているのですが、今回は一気に1/3の200億って・・・・?  映像の二次利用などの権利が含まれていないのかもしれませんが、急にそんなに下がるか? しかも、だというのに暗礁に乗り上げるっていう、なんだか頭がおかしくなりそう・・・・。

 一説にはロシアW杯では400億だったとも言われているのですが、このあたりのはっきりとした数字が出て来ないところに、いかにも電通が絡んでいる怪しさを感じる。そもそも600億と400億じゃ全然違うだろと。一説も二説もあるもんかと。そんなに開きがあるのに間違うような奴がいたら連れて来いっ!

 結局、われわれの税金や受信料がそこにつぎ込まれているわけですわ、湯水のごとく。実はJCといっても半分以上はNHKが払っているのです。でっ、恐らく残りを民放が折半。W杯の放送自体、グループリーグの3試合のうちの一つはNHKが無条件で中継することになっていて、残りの二試合を民放4社がクジで決めるという・・・・。そういう取り決めですから、間違いなくNHKが半分以上払っている。だからはっきりとした金額を出せないのでしょう。

 でっ、今回どうして200億までディスカウントされたのに交渉が成立しないのか・・・・? 恐らく理由はこれ、

www.asahi.com

 この中で最も削減規模が大きいのが、300億円超の番組経費などの見直し、という項目だったはずですから(上のは有料記事なので全部は読めない)、NHKが出せなくなった以上、従来の電通の言い値から大幅にディスカウントしたのに払えなくなった、といったあたりでしょうか。

 こういうのもありましたね、

www.bbm-japan.com

 でっ、ここで一番言及したいのが、そもそもW杯の放映権料が言い値ってところ。そんなことないやろ、と思われる方にお見せしたいのが、主要国がロシアW杯でFIFAに支払った放映権料の高い順から、

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 出典はまちまちなのをまとめたので正確さは勘弁して欲しいのですが、まぁこんな感じと思ってくださいな。でっ、驚くのが、まずはアメリカと中国が出てないのにこれだけ払っているところ。払うといってるところから絞り取ってやれ感が出てるでしょ。ただこの二国は、そのうちFIFAごと丸呑みしてやる、みたいなところがあるので、なんとなく理解できる。やっぱアホ、というかお人よしは日本。なんの野望もなく、試合開始時間にちょっとした小細工を入れてもらう程度の見返りしかないのに、全体の1/6ぐらい払っています。しかも半分は知らない間に国民が払わされているという・・・・。

 でっ、一番腹立つのが、この表にイギリスが出ていないところ。本当に価格が需要と供給で決まるのならば、最も国民がその放送を熱く、そして強く望み、その価値を理解している国に高値がつくはず。イングランドプレミアリーグはこの十年以上に渡って世界一の人気とレベルの高さを誇り、国民のイングランド代表に掛ける期待も高く、プレーを観る眼も肥えている。なのに放映権料の総額がTOP5にも出てこないなんて・・・・。

 私の力不足かもしれませんが、仮にその額が表に出て来ても、恐らくはドイツの八掛けほどではないか。個人的には中国ぐらいは出してもらわないと納得できないのだが。そもそも国別の放映権料って何を根拠に弾き出されるのか、少なくとも上の表からはその相関関係はよくわからない。つまりW杯の放映権料は需要と供給で決まるものではなく、そこからは野望に溢れた国と、代理店に騙され続けるおバカな国と国民がどこの誰であるのか 、ということしか見えては来ないのです。

 リスクを負う、その心意気やよし!

 ことほど左様に、この国では電通がスポーツビジネスを好きなように捻じ曲げ、本来の価値さえも書き換えてきたのです。そして令和になり、文字通り時代が変わって、東京オリンピック電通は大コケをかましてくれたわけです。

tilleternity.hatenablog.jp

 ようやく化けの皮が剥がれやがったと、個人的には溜飲を下げているのですが、その矢先、冒頭のようにトヨタのCMがあのSkyAで流れたわけです。でっ、遂にやったぞと、なんせトヨタは五輪CMから撤退し、地上波の放送内容に対して社長自らが苦言を呈していましたから、今回の快挙はそれが形になったのだと。

 しかしである、CMというのはやはり企業の顔であり、何かと ”格” というものがついて回ります。地上波とBSとでは、そこで流れているCMとの間には明らかな違いがあって、CSとなると更に落ちる。実際、レクサスのCMの後に流れたのは、六十代、七十代の男性の貴方に、で始まる頻尿改善のサプリメントの通販形式のやつでしたから・・・・。

 それでもトヨタはCSの阪神戦の視聴者をマーケットの対象になる、そして彼らは必ずCMを視認する、そう踏んで仮説を立て、それに基づきCMを打つようになったのではないでしょうか。実際、阪神が優勝した暁には、清水の舞台から飛び降りたつもりで車をレクサスに買い替えてやるから見とけよーっ、そういう需要はありえると思うのです。

 よくCSを観る層なんてゴミクズ、米印とも言われています。実際、スカパーの契約者数は250万世帯。全世帯数の1/20以下。恐らくそれをもってして米印と言うのだと思うのです。しかし、見落とされがちなのがケーブルテレビの加入者数です。二年前の末の段階で3,191万世帯(出典総務省)ですから、すでにこの国の半分以上の世帯数に上るわけです。コンテンツはスカパーと9割以上は同じですから、この層がプロ野球ペナントレースに一喜一憂している可能性は大いにあるのです。

 今のところCSにおけるトヨタのCMはまさに掃き溜めに鶴でしかありません。周りのCMはやれ育毛だのシミ消しだの、果ては生涯現役とか詐欺まがいの通販の金太郎飴状態。企業イメージが損なわれる恐れすらあります。しかし、私はトヨタのこの英断に対して、心の底から拍手とエールを、CMを観る度に妻と娘と一緒になって送るようにしています。今月末、ドームで行われる伝統の一戦にして首位攻防の巨人阪神戦、勝敗以上にG+のCMのラインナップに注目します!

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 私は常々、時代を変えるのはリスクを負えるかどうかだと考えています。平成の時代というのは、どうにもリスクに対して臆病なだけの時代でした。これでは国が衰退するのも仕方がありません。しかし令和になって、ようやくこの国も変わってきたようです。スポーツビジネスにおいて、リスクを顧みずにチャレンジするという企業をもう一社紹介したいと思います。

www.rugbyworldcup.com

 アサヒビールラグビーワールドカップの最高位スポンサーに、アジア企業で初めてなってくれたのです。まったくもって名誉なことです。日本大会ではハイネケンでしたが、フランス大会からはアサヒビールがその役割を引き継ぐのです。もちろん、金さえ積めばなれるのかもしれません。実際、契約には20~30億が動いたと言われています。ジャパンマネーが札束で、ハイネケンからその座を奪い取った、そのような報道のされ方もあったかもしれない。しかし実際のところはハイネケンが降りたのです。その理由は、

ja.wikipedia.org

 フランスでは上の法律で、スポーツ観戦におけるスタジアム内での飲酒やアルコール類の広告も禁止されているのです。ここ数年で改正の動きは確かにありましたが、コロナでその雲行きは怪しくなった。それでもアサヒビールはチャレンジしました。

 二年後のフランス大会で、スタジアムを埋め尽くした観客の多くがスーパードライを片手にラグビーに酔い痴れ、Asahi BREWERIES の文字がピッチの脇の電光掲示板に映し出されるのか、それとも法律の壁がそれを阻止するのか、その可能性は今のところ五分五分ではないでしょうか。

 この大いなる賭けに対して、”その心意気やよし” と思うのは、きっと私だけではないはず。リスクは決して負わず、勝てるようにお膳立てした八百長のような勝負にしか乗らず、勝ってさえも身内だけで儲けを山分けする、そんな振る舞いは平成限りにしてもらいたいのです。

 確かにリスクは誰もが恐れ避けたがるもの。しかし、それを背負うことでしか感じることのできない空気や、見えてこない景色もあるはず。もしかすると成功や栄光はその先にしかないのかもしれません。トヨタアサヒビールのこの意気に、そしてのんさんの生き方に、私は一人の人間として心惹かれ共鳴するのです。

大谷翔平 賛歌(一部修正あり)

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 本日発売の雑誌「Number」で大谷が特集されています。おそらく都内では昨日の夕方あたりには書店の棚に並んでいたかもしれません(書いていたのは9日でした、テヘッツ)。まぁそれに先手を打とうというわけではなかったのですが、極北に位置する当ブログとしても独自性を貫く意味で、メジャー誌が取り上げる前に書いておきたい、というのが少なからずありました。万が一にも内容が被ってしまった場合に備えて、ええ。杞憂に終わるようですが。

 恐らくは登板の際にマウンド上でやたら帽子を脱ぐとか、前髪を利き手でかき上げ過ぎとか、初回から汗ではなく整髪剤? ですでにびっしょり濡れてるぞとか、そんなところに言及するような雑誌はないのでしょうけどね。

books.rakuten.co.jp

 

 私が少年の頃、深まる秋と共にメジャーのチームやオールスターなどが日本にやって来て試合をすることは、今以上に決して珍しくはなかったが、そんな環境下にあってすら、

「大リーグでホームラン王争いするような日本人が出れば良いよね!」

 というような会話を無邪気に交わすことは皆無だった。もしそれをしたら、「お前の頭の中、虫湧いてるのか?」 そう罵られたことであろう。レベル的に日本人では真のホームランバッターは無理、ということを子どもながらも理解していたように思う。

 私の場合当時から、殊野球の知識においては誰からも一目置かれていたので、その品位を保つ意味でも、そんな台詞を口にすることはなかった。仮にそれが夢の中の話であってもだ。もし、仲間の誰かが妄想の一環としてそのような発言をした場合、

「・・・・っていうか、そもそも王も張本も金田も日本人やないやんけ!」

 という危険な香りのする突っ込みを入れる輩もいたりするので、収拾がつかなくなることも予想され、ここより先は進むことの許されない領域、このままではそこに足を踏み入れることになりかねない、気をつけねば、子供心にもそう思ったもんである。

 

 それでは今から三十年以上も前の子供たちにとって、メジャーリーグというのはどのような存在であったのか、大谷を呼び水に知ってもらいたいと思うので、少し書いてみよう、

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 われわれが子供の頃のメジャーリーグとは大リーグであり、そして何といってもそれは星飛雄馬と一体化していた。しかし間違ってもそのギブスがMLBの機構そのものを養成するというのではない。そんなことは正力松太郎でも無理であろうから、恐らくは ”大リーガー養成ギブス” の誤りであろう。

 しかも「巨人の星」は、星飛雄馬読売ジャイアンツのエースの座を目指すというストーリーであり、劇中にその延長上で大リーグ入りというような仕掛けもない。大リーグ養成ギブスや大リーグボールは、いわばキャッチーなアイテムで、あくまでも巨人軍のためのダシに過ぎないのであった。

 ではわれわれが子供の頃に、リアルにMLBの存在を何から知り得たのであろう。そこはやはり毎年のように訪れては去る助っ人外国人から、ということになるのではなかろうか。

 元大リーガーだとか、元バリバリ大リーガー、現役元大リーガーというのもあった。種を明かせばみんな ”元” 。とにかくいろんな触れ込みでNPB各チームにやって来た。そんな中、私のような阪神ファンに最も大リーグについて思いを馳せさせてくれたのは、76年に来日した初代赤鬼こと先日亡くなったハル・ブリーデンだろう。

 先ほど私は子供の頃から野球の知識については一目置けれていたと書いたが、そんな私にも師匠がいた。私より二つ上のチームメートで、ある会話を元に、私は彼を私淑するようになったのであるが、その会話とは以下のようなものであった、

私:「明日の巨人戦観に行くねんけど、田淵のホームラン捕りたいから、グローブ持ってレフトスタンドで応援するんや」

師:「羨ましいなぁ、せやけどレフトはあかん。田淵のホームランはポールを巻いてアルプスに飛び込むんや」

私:「ええっ?・・・・、確かに・・・・。(尊敬)」

 まさに核心を衝いた一言であった。そんな師匠に開幕直後から活躍するブリーデンについて訊ねたことがあった、

私:「ブリーデンって、凄ない?」

師:「あいつは大リーグでもシーズン15本のホームランを打ったことのある本物。絶対にやるやつやで」

私:「すごっ!(納得)」

 またある日のこと、

私:「ブリーデンって、いつも口の中でクチャクチャやってるけど、あれってなんなん?」

師:「あれはなぁ、噛みタバコや。大リーグでは常識」

私:「・・・・すごっ!(本人にあまり関係なし)」

 さらにある日のこと、

私:「ブリーデンって右手の親指に輪っかしてるけど、あれってなんなん?」

師:「あれはなぁ、詰まって痺れたりするのを防ぐんリングや。もちろん大リーグではみんなしてるんや」

私:「・・・・すごっ!(特に本人関係なし)」

 またまたある日のこと、

私:「ブリーデンって左投げ右打ちやん。あれって珍しいの?」

師:「むっちゃ珍しい。でも大リーグには結構いるらしい。日本では過去に一人、阪急で活躍した山田伝だけらしいな。アメリカ出身の日系の選手で、なんでもその選手はボールをヘソの前でポケットキャッチするので ”ヘソ伝” って言われてたらしいで」

私:「・・・・ヘソデン?・・・・、すごっ!(もはや本人にまったく関係なし)」

 そんな風に、私はメジャーリーグというものを知っていくのであった。しかし当時の私にとって太平洋は途方もなく広く、そして遠く、MLBは文字通り海の向こうの存在であった。それ故、盛りを過ぎた選手の時折垣間見せる残光であってさえも眩しく映ったものである。

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 ここまで来て、まったく大谷について書いていないことに気付きました、テヘッ。でも、それで良いと思う。正直言うと、彼についてあまり書く必要を感じていないのです。

 今シーズンも残すところ後一カ月弱、彼のプレーをテレビやネットを通じて観て、記憶に焼き付けてもらうことこそが一番だと思うのです。言葉では尽くせない。みなさんが観たまんま、感じたまんまが大谷翔平なのでしょう。

 大谷が素晴らしい選手であることが、誰の眼から観ても明らかだからというのもあります。無尽蔵の可能性がそこにあって、間違いなくMLBに一つの時代を築くでしょう。強面の選手が集まる中、ハリウッドスターのようなスタイルで、子犬の様に愛くるしい、そういわれる彼の存在は、もはやメジャーリーグに欠かすことのできない大きなパーツなのです。

 日本人はメジャーではパワーに劣る。これは真理でもあった。しかし大谷はそれを結果で、数字で・・・。

続く(途中で寝てもうた、アワワ

 

第103回大会 雑感 Ⅲ

 夏の甲子園、なんとか夏のうちに終わりましたね。しかし結果についてここで触れることは永遠にないでしょう、ええ。

 さて、前々回から ”with コロナ” に見合ったチーム作りや強化をそろそろ考えるべき時期に来ているのではないか。そして差し当たっては練習試合を極力抑え、普段の部内の練習を土台に黄金期を築いたPL学園の指導方法から学べるものがあるんじゃないか、特にバッティングにおいては、ってなことを無責任に書きました。その裏にはコロナ禍で打者のレベルが相対的に下がっているように感じたから、というのがあります。

 じゃぁいったいPL学園のバッティングって何なの、ってなると思います。

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 簡単に申し上げれば、PLの殊打撃においてはしっかりとした約束事があった。そして選手は皆それを守っていた。少なくとも私のような傍から観る者にはそう映りました。

 選手は打席に入る前、そのルーチンとして、まず目を閉じ胸のあたりに忍ばせたお守りに利き手を添えるとユニフォームごとそれを鷲掴みにして祈る。次に目を開けると、やおら背筋を伸ばし投手側の肘を立てて脇を擦りながら拳を上下に振り始める。一回二回、すると今度は一気に五、六回かなり速く上下に拳を振り脇を擦り出し、一息つくと確認を終えたとばかりにゆっくり打席に向かう。

  構えは脇を絞りグリップは肩の近くにあって、前の肘(右打者なら左肘、左打者なら右肘)を緩く曲げ常に遊びを持たせている。それ故スイングの軌道は必然的に身体の近くで描かれ、前の肘をいっぱいに張ってバットを引っ張り出すようなことはありえず、テークバックは総じて浅いように映った。またグリップを余して持つ打者も多い。

 次にPLの打者のスイングであるが、その特徴を一言でいうと、ヘッドを立てる、これに尽きる。ヘッドを立てるとは、極端に言えばグリップの位置よりヘッドを常に高く保つことである。なぜそれをするのか? 以前述べたが、PLの各打者のミートポイントはこの夏の甲子園に出場した選手のそれよりもボール一個から一個半ほど捕手側にあった。つまりボールを引き付け手元まで呼び込む。しかしその分差し込まれるので、それをヘッドを立てることで押し返すイメージか。

 ストライクゾーンは基本上げて、追い込まれるまで低目に手を出すようなことはしない。低目のボールはそこから外へ曲がったり落ちたりする変化球が多いから、というのもあるが、先に上げたようにヘッドを立ててスイングする以上、低目のボールをその軌道で仕留めることは難しい。よっぽどの免許皆伝の打者以外は、カウントが浅い段階で低目を打ちに出ることは許されなかったのではないか。なので真ん中であっても低目のボールをフルスイングで掬い上げるようなことはほとんどない。清原の高校時代のホームランを見てもらえばわかる。ほぼ真ん中から高目だ。

www.youtube.com

 

 間違っても前の腕を目いっぱいに伸ばして、遠心力を使って振り回し、外の球を引っ張り込むようなこともしない。外の球は押っ付けるのではなく、肘に遊びを持たせたまま踏み込んで払うように、右ならセカンド、左ならショートの頭にそれぞれライナーで打ち返す。

 逆にインコースのボールに対してはスイングが身体に近いことを活かして、軸の回転で巻き込む様に打つ。また低目を深慮遠謀に与するのに対して、高目にはそのままヘッドが立ってバットが出るので、甘めに入ってきたものは球一個分ボールであっても強引に、初球からでも振りに行くことがある。83年の池田戦、水野からの桑田、児島の二本のホームランは、キャッチャーのミットの位置を見返すにつけどちらもボールではなかったか?

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  上の絵はまさにPL野球の真骨頂であり、高校野球界の勢力図を塗り替えた衝撃の一打と言える。以降、池田や箕島のような、覇者の名に相応しい公立校は出ていない。

 書いていて気付いたのだが、桑田の一発で主役交代となりあえなく散った徳島県立池田高校がやっていたチーム強化手法は、昨今の有力私立校がこぞって取り組むメソッドの先駆けであり、今に至るまでその本流となっている。すなわちウェートトレーニングを積極的に取り入れ、マシーンを並べて徹底的に打ち込ませるというその原点が、なんと田舎の公立校 ”蔦池田” にあったのだ。そしてこの夏をもって去る前田某あたりが何度も出向き、そのノウハウを取り入れ80年代後半から花を咲かせ ”ヒール校に戴冠なし” のセオリーを打ち破り我々は大変迷惑しているのです。まったく皮肉ものである。

 実際、池田の各選手はポパイのような腕で金属バットを振り回し長打を連発した。やまびこ打線はいまだに語り草である。しかし、プロ野球はおろか上のカテゴリーで活躍した打者はほとんどいない、というのもまた事実である。一昨日書いたが、目先の結果を出したいのならば、実戦重視の指導方法でそれは可能、ということを証明してくれている。

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 KK以降のPLは、東六から絶縁状を突き付けられ、ボーイズやシニアの指導者からは距離を置かれ、井元さんにも逃げられ、と次々に状況は暗転し、結局三十年持たなかった。更には三代目教祖から疎まれていた点が大きく、予算も九十年代に入ると他の強豪校とは比較にならないぐらい低かった、という話を聞いたことがある。

 PLのブランド力から廃部直前まで有力選手が集まったというのは事実であったが、PL学園の経営は生徒数の推移を見れば、二十年近く前から既に行き詰まっていたことが手に取るようにわかる。それは今世紀の初め、スタンドに絵文字を描けるのかどうかと囁かれていたことでも伺える。恐らくは部の運営も大変だったことであろう。

 そんな状況下にあってさえ細々とではあったが、ほぼ毎年プロに卒業生を送り込むという育成力とその再現性の高さは素直にリスペクトに値する、そう思っていた。当然その背景には過去から積み重ねられたノウハウがあればこそ。PL野球部亡き後、何んとかそれを再構築できないもんかと思うが、佐久長聖の藤原監督あたりが果たしてどれだけ受け継いでいるのか、どうも着任後の発言を点検する限り怪しい・・・・。観野や金築あたりをもう少し育てることができなかったのか、という疑念もある。我こそはという伝承者はいないものか。

 PL野球部の規模は全盛時でも毎年50人ほど。そして遠征や練習試合は極力抑え、一日の練習も3時間。寮も他の部(ゴルフ部、剣道部)との共用のもので、日々の料理は下級生自らが作るなど、練習環境も含めて今の私立常連校の方がよっぽど恵まれている。当時の学校規模から考えても、今思えば身の丈を越えた栄華であったと言えないか。もちろん、中村監督以外にも有道コーチや、時には井元氏も練習を見ていたという体制面の下支えは見逃せないが、今ならちょっと山っ気のある公立校でも手の届く範囲というのは言い過ぎだろうか。

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 昨日、何とか強行開催した夏の大会を終え、今後は ”with コロナ” の高校野球の在り方が模索されていくのだろう。そこで求められるの果たして何か? 私はしっかりとした野球理論だと思っている。 

 ある種モンスターと化した公立校である池田の編み出した野球は、それまでのスタンダードであった緻密な野球を凌駕し、今に連なる猛打の野球の礎となった。恐らくは投手の球数制限はそれに拍車を掛けるだろう。もちろん主役は資金が豊富な私立強豪校である。今年ベスト8に残った各校などは、結果が出ているのだから壁にぶつかるまで来た道をそのまま突き進めばいい。

 そしてそんな潮流に逆らい真っ向勝負を挑もうと、かっての公立伝統校の雄が狼煙を上げようというのなら、何よりもまずは芯となる野球理論を身につけるべきだろう。問われるのスケールではなく中身だ。

 皮肉にもあの池田を倒し、公立校でも拮抗できた時代に終止符を打ったPL野球とは何であったのか、彼らこそが自らの手で紐解き検証し、そこから学び己の血肉となった時、再び公立伝統校は甦るかもしれない。

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第103回大会 雑感 Ⅱ

 今日は準決勝、なんとか八月中に夏の大会を終えることができそうですね。高野連も胸を撫で下ろしていると思います。

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 がっ、その一方でクラウドファンディングは駄目のようですな。まだ目標の二割も集まっていないそうです、ってそんなもん当たり前や。毎年春夏合わせて100万人以上お客さんを集めておいて、その上がりの積み重ねが余剰金や繰越金として懐にある筈でしょうに。寄付を考える人って、それぐらい調べてからするもんです。24時間テレビのように、薄っぺらい感情に押し流されて、じゃぁお釣りの48円をレジの前のこの募金箱に入れておきますね、っていうのとは訳が違う。行為に値するのかよく考え、調べてからそれをするのです。高野連銭ゲバ体質だということはバレている。なんで儲かってる組織にお布施をする必要があるのかと。そのビジネスモデルが通用するのは京都のお寺だけ。毎年儲かった分を使い切ろうとする中の人たちを何とかするのが先だろうに。みんなそう思っています。

news.yahoo.co.jp

 一昨日、 ”with コロナ” の高校野球を考えなければならない、というような話を書きました。具体的には、これからは練習試合をたくさん組めなくなることを前提に、改めてチームの強化方針について考えるべきでは、とも書かせていただきました。そもそも、練習試合をたくさん組めるチームと組めないチーム。地方をまたいで遠征できるチームとそうでないチーム。こういう格差というのはどうしても生まれるし、しかも固定化してしまう。当然それができる前者はどんどん強くなり、それができない後者のチーム強化は進まない。今年のベスト16に公立高校が長崎商と高松商の二校しかないのはつまりそういうこと。きっと予算の格差というのがあるのです。

 ここしばらくはコロナとの共生が求められるでしょうから、人流制限に配慮し、練習試合はある一定の条件の下で行われるようにしてはどうか。それは投手に球数制限を導入したという、昨今の高野連が推し進める方向性とも合致するはず。投手はそもそも予選や甲子園だけで消耗するというのではないのです。江川や桑田が言う、招待試合がキツかったというのは事実だろう。

 その一方で、私立と公立との間にある予算の差を何とか埋めたい、という気持ちもある。埋められないまでも、それがなるべく勝敗にまで表れないようにできないものか。ここまで言ってしまうと公立校保護の側面が強過ぎるか・・・・。

 私立の高校が野球部を自らの法人の宣伝に使うこと自体に問題はない、常々私はそう思っています。ただ私立は商売である以上、野球部を利用し一定の成果が表れ、受験者数や進学実績が軌道に乗れば掌を返すようなところがある。たとえば桐光や桐蔭にはその気配がありありと伺えるし、大阪桐蔭履正社あたりも監督の去就次第では強化に区切りをつける可能性がある。そこにカチンとくるわけです。つまり、高校野球をもっと大切にして欲しい! 商売や損得にだけ結び付けるのはやめてもらいたいのです。

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 与えられた時間は平等なので、練習時間に差は生まれない。というかそのはず。しかし、土日は朝から晩までとにかく練習試合を、それも他地方にまで足を運んで強豪校などと頻繁にやられると、それができないチームとの間にどうしても差がついてくる。つまり体で覚えるぐらいに実戦を重ねると、結果も伴うものなのです。だから監督自ら、もしくはコーチに大型免許を取らせるなどしてバスで選手を連れて行くというのまで出て来る。実際それでどんどん強くなっていくし。

 じゃぁそれができないのなら、知恵を絞って工夫を重ねて対抗しようぜ、となれば良いのですが、もうアホらしいほど差が開いてしまって、それをやろうとするような奴は駆逐されてしまいましたね、ええ。

 野球部にかける予算に制限を設ける、なんていうのもあるのでしょうが、特待生の扱いを巡って揉めたのと同じぐらい馬鹿らしい話だからやめた方が良い。なので、せめてそういう奴がまたやる気を起こすぐらいにまで環境を均すことはできないもんかと。でっ、 ”with コロナ” を良い機会に捉えませんか、というわけなのですよ。

 野球はコンタクトプレーがない分、考える領域は相対的に広いと言える。体に覚え込ませなければならないような戦術もない。まぁ殊更野球を考えるスポーツだとまでは言わないし、仮にそうだとして、冬場にまとめてそれについてやれば十分だろうという向きもある、これ以上は別の機会に譲ろう。ただバッティングについて申し上げるならば、”実戦” と ”考える力” を上手に組合せることをしなければ、質的向上はありえない、そう個人的に思っています。

baseballking.jp

 矛盾するようですが、経験値を上げることでチーム力は間違いなく向上する。そこに疑いはない。言い換えるなら、実戦を重視する指導で恐らく目先の結果はついて来る。じゃぁその ”目先” とか ”質” って何なの、ってなると思うので、今後の話もあるのであえてはっきりさせると、”目先”とは甲子園やそこまでの道のりを言うのであり、”質”とは卒業後も野球を続ける場合に必要とされるもの、という整理である。

 もっと明確に言うなら、甲子園で結果を残す打者を育てようと思えば、実戦を積み重ねて作り上げることは可能だが、その先、木製などの対応まで頭に入れて打者を育てようと思えば、しっかりとした技術を考えさせながら教え込む必要がある、ということ。つまりはそのノウハウがPL学園にはあったのではないかと。練習と実戦をバランスよく組み合わせる匙加減についてもPL学園は熟知していた、そう思えるのです。

 PL学園の打撃の神髄については明日以降で・・・・。

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第103回大会 雑感 Ⅰ

 松商が負け、私の夏も終わりました。この極北のブログまでわざわざお越しいただいたみなさん、ありがとうございました。明日以降どうなるかわかりませんが、とりあえず予想はやめにして、うだうだとお茶を濁しながら完走を目指したいと思います。

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 正直8強の顔ぶれを見るのはツラい。”ヒール校” が五校もある。ヒール濃度高過ぎ、窒息しそう・・・・。

 それと近畿勢だけで五校というのも、

baseballking.jp

 だって大会期間中に戻って調整しなおしてるもん。地元のアドバンテージを活かし過ぎ! しかも近畿以外の2チームにしても、敦賀気比はメンバー20人中15人が、明徳は9人が近畿出身。地元に戻ってノビノビって感じでしょうか。不公平感極まりない。関東の皆さん、スイマセン! 代わりに謝っておきます。

 ただこれぐらい過去にあったのでは、とも思いましたがあれは選抜でしたっけ、6校というのは。そうですか夏は5校が最多でしたか、勉強になりました、ええ。

 そういえば、あの春の大会も雨だらけでしたね、池田が田んぼの中で東洋大姫路に負けた年ね。どうやらこういったはっきりした傾向がある以上、これからの予想は長期予報と天気図片手にやろうかなっ!

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 まぁ冗談はこれぐらいにして、異例尽くしの今大会を勝手に振り返ってみたいと思うのです。まず、去年もここで書きましたが、このコロナ禍で野手のバッティングレベル、間違いなく落ちてます、

tilleternity.hatenablog.jp

 野手は試合に出て経験を積み重ねない限り、ことバッティングにおいては殻を破ることは難しい。部活禁止期間があったり、蔓延防止で休日の移動が制限され校内の施設に留まっていては打者として伸びないのです。だけどこればっかりは嘆いても仕方がない。そろそろパンデミック後に向け踏み出す必要があるのかもしれません。具体的には、これまでのように土日はとにかく練習試合を組みまくって、そこで徹底的にバッティングを伸ばす、みたいなことはできなくなると考えた方が良いのではと。

 以前、練習試合の多さについて、ちょこっと古いですが横浜隼人の例を挙げて、休日はトリプルヘッダー当たり前、みたいなことを書きました・・・・、

tilleternity.hatenablog.jp

 もうそういう時代には戻れないかもしれない。つまり嫌な表現ですが、 ”withコロナ” を前提にしたチーム強化が求められて来ているということ。そして結果として案外それは、これからの高校野球の質を押し上げることに資するのではないか、珍しくも前向きにそう思うのです。

 じゃぁ具体的にどうすればいいのか・・・・?

 たとえば、PL学園の指導方法について学び直す、というのはどうだろう。

 白状するが私はアンチPLでした。それはPL全盛時の例の研志寮について、噂として漏れ聞こえて来るところを知り得ていたし、当時のボーイズの関係者が、”天才が天才を殺す” と呻くように喩えたその日常には驚愕しました。

 手塩に掛けて育て上げた優秀な中学生が、瞳を輝かせ入部するも挫折し、失意のままユニフォームを脱いだ、そんな経験が幾度となく繰り返され、二度とPLには選手を送らん、と袂を分かった指導者が一人、また一人と増え、その積み重ねこそが栄光のPL野球部を廃部へと歩ませたと私は思っています。しかもそんな地獄の環境を放置しておいて、「球道即人道」と公の場でいけしゃあしゃあと言って見せる指導者・・・・。救いようがないとすら思った。

 しかし悪い面ばかりではない。あれだけの名選手を造り上げたノウハウは、後世に渡り評価に値する。もちろんそれだけの素材を集めていたじゃないか、という声もあるだろうが、桑田問題以降、東六への進路も断たれ、シニアやボーイズの指導者も離れ、超一流の逸材が常に集まったわけでは決してなかった。それでも卒業生の質をどこよりも高く保ちえたその再現性こそが、PL野球を支えた屋台骨ではなかったか。

 PLについて書きたいことはまだまだあるのだが、とりあえず今回はこれぐらいにしておきます。

 ただあえて一つだけ続けるならば、PLの練習試合の少なさは、令和のこれからの高校野球の何よりのヒントとなる、そう個人的に感じている。また日々の練習時間も短かったという。それでよくあれだけの野手を、そして打者を育て上げた裏には何があったのか、どんなアドバンテージを彼らは手にして卒業したのか、そこに思いを馳せてみるのは意味のない行為ではないだろう。

 ここで一つの仮説を掲げたい。

 PLの選手は、今大会打席に立った各打者よりも、ミートポイントを平均して球一個分引きつけて打ってはいなかっただろうか?

 残念ながらこの検証はできそうにないが、私の個人的な印象としていえばそのように映る。ただ誤解がないように言っておくと、そうすることで甲子園での結果が、例えば打率が良くなるとか長打が増えるとか言うのではない。それは87年を最後に一度もPLが優勝はおろか、決勝に進むことさえできなかった事でもわかる。

 簡単に表現するなら、それは打者として投手の投げるボールを打つ、という行為において、少しでもボールを長く見る、変化を見極める、という至ってシンプルな行為に過ぎない。しかしそこにこそプロに進んだ各選手たちの礎があるように思う。

 翻って現在の甲子園出場の常連校は、グラウンドに複数台のマシーンを並べ、140キロ以上に設定しそれを相手に徹底的に打ち込み、感じのいい選手を土日の練習試合に次々に出場させ、その結果で篩に掛けて公式戦でチャンスを与える、というような工程で打者を育てていないか・・・・?

 打者は投手以上に結果が全てである。仮に打てても三割の分野だ。実戦、そしてそこでの結果こそが選手の能力を引き上げるし、監督もそこを手掛かりに起用を決める。ただそこに落とし穴は潜んでいないか? 本来のあるべき論が御座なりになってはいないか?

 選手の個性は千差万別、野球にも多様性は肝要。一つの物差しで選手を試し測りするようなことが許される時代ではない。しかしその代償として、大切にすべき約束事が見落とされてはいないか? 時に結果をも超越する、まさに真理ともいえる何か、打席に立つ者が皆、チームとしてルールのように守るべき何かが。

 土壇場のチャンスで打席に向かう選手に、私が指導者ならどのように声を掛けよう。自分のスイングをして来い、そう引きつった笑顔で背中を叩くのが精一杯か。トーナメントである以上、三振して来い、などとは決して口にはできない。たとえそこに自分たちのスイングをして来い、という暗喩が潜んでいてさえも・・・・。

 自分のスイングと自分たちのスイング、果たしてそこに差異は許されるべきなのだろうか?

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